第三話 改過

 よく眠れないまま、朝を迎えた。早朝の静謐さを壊さないよう細心の注意を払いながら階段を降りる。リビングへと侵入すると、サヴァンはもう目を覚ましていたようだ。祈るような姿勢でテーブルに項垂れている。


「サヴァンさん、私がお孫さんを助けに行きます」

「なんだって?……いや、やめておきなさい。相手が悪い。それに、この町を統治しているキャルム王国には既に救援依頼を出しているのだ。それも、かなり前からな」

「いえ、私は戦えます。ループスとは戦い慣れているので」


 聞き覚えのあるフレーズを流して発した私の言葉に、サヴァンは目を丸くした。なぜ敵がループスだと知っているのかと言いたげだった。


「ここへ来るまでにループスを何頭か見かけました。相手はループスのことなのではないですか?」

「……ああ、そうだ。本当なら私が戦えればよかったのだが」


 私はここでひとつ、以前聞き損ねたことを尋ねてみる。


「サヴァンさんは戦う術をお持ちなのですか?」

「ああ、しがない魔法使いだがね」

「それは、どこで覚えたものなのですか?」


 私の疑問にサヴァンは目を見開く。虚をつかれたと言わんばかりの表情をたたえていた。彼は加齢により下垂した瞼を一度おろし、再び持ち上げる。その視線にもうブレはなかった。


「君は鋭いな、まるですべて見透しているようだね。……そうだ、私は本当はコマンの町の出ではない」

「……コマンの町に戦える者はいない、と聞いたことがありましたので」

「そうか」


 しばしの沈黙が流れる。私は根気強くその居心地の悪さに耐えながら、彼が再度口を開くのを待った。サヴァンは遠い過去を遡るような目で、エトワレの写真を見た。痛々しい視線が、エトワレを通してどこかを見ている。

 一体何があったのか、と私が尋ねるより早く、サヴァンは白状した。


「私は、ラマージュから亡命してきたのだよ。君も知っているかと思うが、あそこは魔族の用いる魔法を人間が扱えるように研究している。私はその研究員の一員だったのだ。もっとも、引退してからもう長いがね」

「亡命?」


 以前、いや死ぬ前にサヴァンからもらった地図の記憶を辿る。確か、ラマージュという国名は左側の大陸にあった筈だ。とすると、彼は海を渡ってここまで来たということになる。魔物に襲われる危険を顧みず、遠くわざわざ山々に囲まれたこのキャルム王国へと足を伸ばした理由が私にはどうも分からなかった。

 さらに詳しく聞きたい、そんな私の意思を汲み取ったのだろう。サヴァンはもう躊躇うことなく続きを話した。


「私の息子夫婦も、研究員だった。……ラマージュは、表向きには各国を襲う魔物を研究していると発表しているが、その実態は違う。魔王城のある土地までに行くのだ」

「まさか、息子さんは」

「ああ、そのまさかだよ。息子夫婦は二人、その遠征に行かされたのだ。志願する者など、よほどの命知らずしかいない。……だがラマージュは、研究成果のためなら犠牲を厭わない。息子たちを含む研究員たちは魔王の支配する大陸へと船を出し、二度と戻って来なかった」


 それは、私の想像を超える語りだった。私は戦争など知らない。教科書で歴史を学ぶことこそあれ、自身に理不尽な徴兵が降りかかることはなかった。サヴァンの息子が魔王城送りになったように、私がこの世界に飛ばされたのも、ある種の徴兵といえるのだろうか。

 私は自分ばかりが不幸だと嘆いていた。いや、今でもそうだ。なぜ私がこんな目に遭わねばならないと嘆きながらも抗うことのできない力にねじ伏せられている。サヴァンはそれに、抗おうとしたのだろう。他でもない、エトワレのために。


「孫は、エトワレは賢い子どもなのだ。ラマージュでは一定の年齢になると知能検査がされるようになる」

「それに引っかかれば、研究員になるほかないということですか」

「そうだ。だから私はエトワレを隠すことにしたのだ。国の端の方に家があったことも幸いしたのだ。自身の家に炎を放ち、まだほんの赤ん坊だったエトワレを連れて逃げたのだ」


 サヴァンの瞳には確かな強かさと、強い哀しみがこもっていた。自らの家も国も捨てて、孫を守るため、その一心で戦ったのだ。さぞ辛かったことだろう。

 そうして身を打って救ったはずの孫が、いまや魔物の手中にある。サヴァンの絶望は想像に難くない。


「やはり私が助けに行きます。ただし、代わりに弓矢をいただきたい。……近接戦は苦手なので」

「……ありがとう。勿論弓矢と防具は私が買いもとめてこよう。だが、くれぐれも無理だけはしないでくれ。若い命が散るのはもう懲り懲りなのだ」


 サヴァンの言葉に私はしっかりと頷いた。私は、サヴァンを見くびっていた。過去の記憶が消えようとも、彼は彼のままなのだ。私が知っていたよりずっとずっと、彼は強い人だった。


 数時間後、私はコマンの町を発った。経路は同じく、私は走った。敵のことも、自分のことも、以前よりはるかに理解している。突然躍り出た人間に驚く魔物の群れを手早く片付けて、再び子どもたちが囚われた鉄格子の鍵を開けた。


「さらわれる前、星を読んでいたんだ。敵か味方か分からないものがくるって」


 エトワレが帰りの小舟でぽつりと呟いた言葉の意味を、今の私はよく分かっている。そして私はコマンの町の英雄として、再び町の歓声を浴びたのだった。

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魔王の実験台にされた私は、理不尽な世界で魔王に立ち向かう! 貘餌さら @sara_bakuji

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