三十七 相撲と手妻
湯飲みを置いた村長が鼻先を天井に向けて暫し考えるように沈黙した。ひくひくと黒い鼻がヒクついている。
「山賊退治の話ですがのぉ」
「はい」
村長から切り出され、篤実はこくりと頷いた。後ろの保紹と彰も村長の言葉の続きを待つ様に姿勢を直す。
「昨日村の男衆とも話をしたんじゃ。正直急な話であんた方を信じて良いか、わからんかった」
重たそうに垂れた瞼が被さっているせいで、村長の茶色い目は半分ほどしか見えない。それでも、篤実の目には彼がそれまでよりも安心したような表情を浮かべているように見えた。
はぁ、と一息ついて村長は現在の状況を語った。
一つは篤実達三人と十兵衛に見張りを付けていること、一つは村の外にもより身体の強い男達を見張りに立たせていること、一つは山賊の情報を集めるために街道へ数人行かせていること。
「すまないが、儂が皆を説得するまで村からは出んでくれるかのう」
「勿論です。ですが……その」
「何じゃ」
「――愚弟は、賊のことを調べに街道へ行った者の身を案じているのです」
「ああ……なるほどのぉ。いや、今は身一つで行かせておる。町から来る者なら兎も角、手ぶらで発つ者は奴らも興味が無いじゃろうて」
「と言うことは、ゆくゆくは囮でも使う気か」
彰が尋ねるが、村長は左手を挙げ掌を見せ首を横に振った。
「申し訳ないが、これ以上今は言えんのじゃ。村の者の信頼もある」
「承知しました。では村の戦力の底上げが出来るように、どのような資材があるかを見せてもらうことは出来るだろうか」
「それも今すぐにとは言えんが」
「勿論、心得ております」
「何、今は爪牙の童達と相撲でも取るのが丁度良いというものだ」
ハハハと大きく口を開けて笑う彰に同意して篤実達も頷いた。
「よし、こい! 二人いっぺんで構わんぞ!」
パンッ! と彰が手を叩く。赤みを帯びて毛深い肌を惜しげもなく晒し、腰にはまわしを締めている。
「やあー!」
「たあー!」
ぶつかってくる少年二人を「ふんっ!」と受け止める彰。村長との話し合いの翌日、本当に里の子供たち相手に相撲を取っていた。
「中々のぶつかりっぷりだ。だが、はっ!」
少年たちが彰に転がされ、土俵に手を突いた。
「人間のおっさんすげぇのぉ!」
「お前達も良い腰をしている」
「そうじゃろ! わしゃこの村で、いっちばん相撲が強いんだ」
「何をいうか! この村の一番、つまりヨコヅナはわしじゃ!」
「はははは! 結構結構」
大きくてうるさくて臭いと娘には距離を置かれがちな彰だが、爪牙の男児達には早くも大人気の予兆を見せていた。その横で行司役の保紹が眠たそうに腕組みをして柱にもたれ掛かっている。
すると、彰と相撲を取った子供よりも小さな子供が保紹の隣にやってきてじっと顔を見つめてくる。狐のような顔立ちの童に気が付いた保紹は、チラリと彼へ視線を返した。
「……!」
恥ずかしそうに顔を伏せてもじもじと指を合わせる子供を見、保紹は艶黒子のある口元を穏やかに緩める。
「相撲を見に来たのですか」
「……おらぁ……おすもう、弱えんだ」
「そうか」
「……」
童は再び顎を引きながらじっと保紹を見つめている。
すると保紹は懐からスッと一枚のちり紙を取り出し千切り始めた。
二寸ほどの四角形に千切り、重ね、角を捩る。そして形を整えて、掌に乗せて前へと出した。
「何? それ」
「蝶だ」
「ちりがみだよ」
保紹は扇を広げ、掌に乗せたちり紙の蝶を落とすと同時に下から仰いでふわりと浮き上がらせた。
「わあ!」
童が尻尾と耳を立てて声を上げる。ただの白いちり紙が、保紹の仰ぐ扇によってひらひらと生きているかのように宙を舞う。
「捕まえてごらん」
「うん!」
狐の童がぱんっと両手を合わせるが、保紹が操る風はそれを見越したかのようにふわりと蝶を舞い上がらせ、捕まえさせない。やがて保紹の手の中に戻った蝶は白い両手で捏ね潰されて、千切られる前のちり紙にまで戻っていった。
パチパチパチと拍手が起こる。
傍にいた狐の童や相撲を取っていた彰達、果ては見張りに立っていた大人すら、保紹の手妻に感心していた。
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