三十五 村人達の寄合
「十兵衛が居ったから襲われんかったんじゃねえか?」
一人の男が切り出した。それを聞いて別の男が頭をぼりぼりと掻く。
「なんじゃと?」
天目屋は顔を顰めたが、周囲の男達は口々に疑念を声に出し俄に室内はざわついた。
「さっき、あいつらが十兵衛の家に行くのを見た。そもそもあの雪政ってのも、最初から十兵衛の家に行ったじゃろ」
「山賊なんてこんな北の田舎にはちっとも寄りつかなかった。あの雪政って男が十兵衛の嫁みたいな顔をして居座ってからそんな奴らが出て来るなんて……」
「しかも、自分達が退治しますなんてどうにも話が出来すぎてねえかよぅ」
「十兵衛なら目が見えんから、騙くらかせると思ったんじゃねえか」
十兵衛の名を出され、三味線の弦が切れるような不快感が天目屋の胸中に込み上げた。ヒクヒクと口角が引き攣るのを押さえ込みながら、怒鳴りつけないように必死で問いかける。
「なあおい、何を根拠におまえら」
「天目屋こそ何を根拠にあいつらを信じとるんじゃ」
村人達の視線が一斉に天目屋に突き刺さった。
睨まれた、とも違う視線を浴びながら唇を薄く開き、しかし何も言えずに閉じて息を飲み込む。山賊というまだ里には実感の薄い脅威を仄めかしたことで濡れ衣を着せられた相手は、この国で最も容易く人を殺せる男達なのだ。それが喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。
「ちりめん問屋やら太物問屋やら、儂等に何か売りつけるか安く買い叩こうとしとるんじゃねえか」
「じゃが本当に山賊が出とるんなら、放っておいても今度はこの里が襲われるかもしれんぞ」
「その時こそあの三人の化けの皮が剥がれるんじゃなかろうか」
「な……ならっ」
天目屋は焦るあまりに舌を噛み、膝を立て立ち上がりながら両手を開いて皆へ訴えかける。
「儂等が自分でやりゃあ良かろう! 余所者に任せておけんて話じゃろ? なあ」
村の者達は隣同士で顔を見合わせ、顎を撫でたり喉を鳴らして唸ったり、尾で座布団を叩いたりした。天目屋はさらに畳みかける。
「あんな目立つ余所者がウロウロしとったら、それこそ破落戸共に妙な言いがかりを付けられかねん。あいつらは十兵衛を入れたとしても四人じゃ。数ならこの村の大人の方が多い。見張りと破落戸共の事を調べるので手分けしてもおつりが来るわ」
天目屋は自分でも笑い出しそうになりながら、引き攣った笑みを浮かべて村の男達が篤実に必要以上に近付かないように説得を試みた。
「はぁ……はぁ、何じゃ、アホらしいが」
随分熱く語ってしまったと自嘲気に笑い、天目屋は腰を据え治した。はぁー…と深く溜め息を付き
「儂は……雪政を信じた十兵衛を……信じとるんじゃ。喉が渇いた、水を飲んでくるわ」
立ち上がろうとして蹌踉めき、尻尾で重心をとりながら天目屋は村長の屋敷の台所へと向かった。
降り始めた春の雨は本降りになり、まだ膝をつき合わせている男衆の声をかき消す。周囲には誰もおらず、己の顔を片手で覆いぼやいた。
「何が十兵衛を信じとる、じゃ。格好付けよって。本人もおらんというのに」
どうにも貧乏籤を引かされ続けているような気もして仕方が無いのだが、だからといって知らぬ振りをすれば後悔をしそうなのだ。
「クソッ。調子が狂うわい。次に十兵衛の顔を見たら、なんであんなに雪政を庇うのか問い詰めてやるわ」
天目屋は瓶に汲まれた水を飲み、再び男達の元へと戻っていった。
天目屋の「自分たちで山賊達の対応をすればいい」という案が受け入れられた。
ただし篤実のいる十兵衛の庵の周りと、保紹達が宿泊する屋敷には見張りが立てられるようになった。
「……」
夜、眠る篤実を腕に抱きながら定期的に庵の周囲に見回りがやって来る気配を感じて十兵衛は眠りかけては目覚めを繰り返していた。
雨が降ったせいか昼間よりも肌寒く、篤実は十兵衛の胸に頬を寄せて眠っている。
今日は主君のにおいが落ち着いているように思えた。
それでも篤実のにおいというのは十兵衛にとって悩ましく、放しがたい煩悩を起こさせる。
「ん……」
腕の中で身動ぐ篤実の頭へと手を伸ばし、頭頂部に鼻先を寄せる。頭蓋骨の丸みすら十兵衛の大きな手の中にすっぽりと収まる。息を吸い込めば頭のにおいがする。
十兵衛は顎を引き、篤実の額に己の額を擦り付けた。離れている間に、篤実に付けた己のにおいが薄くなったような気がして無意識にそうしていた。
口を開き、其の儘あちこち舐め回してしまおうかと思ったが
「……ゆき」
自分は、若君の忠僕であるのが本分なのだ。
求められてもいない、身体を休めている篤実に己の身勝手な欲望をぶつけてはならぬと言い聞かせ、彼が凍えぬように己の体温で温めるに徹した。
やはり、寝付けそうになかった。
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