三十三 覗く目、逸らす目

「そう悄気るな、雪千代」


 大きな手で背中を叩かれ、篤実は蹌踉めいてしまう。そうして彰の方へと振り返り、すこし控えめに口を開いた。


「将として呼ばれて先頭に立つ戦とは違い、同じ立場から民を動かすというのは……難しいものですね」


 三人がおトキの墓を通り過ぎたあたりで庵の戸が内側から開かれた。声を聞いた十兵衛が自ら出迎えに来たのだった。足を止めた三人の視線が十兵衛に集まる。

 見つめられた十兵衛はピクッと片耳を震わせてわずかに首をひねった。


「あまり芳しくないんじゃろうか」

「分かるのか、十兵衛」


 篤実の驚いたような声に十兵衛は首を横に振る。


「若君以外の声色じゃ全くわからん」

「お…己のは、わかるのか」


 十兵衛は三人へ道を空けるように一歩横へと移動し、ガシガシと頭を掻いた。保紹と彰が通り抜けるとき、その尻尾は身体の影でぽふんと揺れていたとか。


「嘆くほどの状況ではないでしょう、雪政」


 かまどで沸かした湯で十兵衛が茶を入れる。が、湯飲みが三つしか無かったので淹れた茶は篤実達に出され、十兵衛は何も飲まずに急須を片付けた。


「村長殿に、街道に山賊が出るという話とその対処を申し出たが、明日来てくれと返されてしまった」


 篤実が茶を手にして手短に伝えると、十兵衛はぐる…と短く唸った。


「信用…されんかったと言うことか」

「保紹、お前はそれも見越しておったろう。お前ならどうとでも言いくるめられただろうに」

「叔父上の想像にお任せいたします」

「…己が……もっと上手く説明できれば」


 自分を責めがちな篤実の気配に、十兵衛は彼の傍へと近寄り、そっと尾を腰に沿わせた。


「十兵衛……」

「――誰か近付いてくるな」


 十兵衛が村人のにおいに気付くのとほぼ同時に彰が呟いた。


「村の者のにおいじゃ。余所者の類いじゃねえ」


 十兵衛はそう言って首を横に振ったが、篤実はどこか浮かない声で呟いた。


「余所者、か……」


 庵に近付いた村人の誰かは、しかし十兵衛を尋ねること無く遠ざかっていった。


「まるで知らん里に迷い込んだようじゃ」


 十兵衛の独り言に、篤実がぎゅっと手を握った。




 同じ頃、天目屋はある村の猫のような姿をした女の家で遅い朝を迎えた。


「たっちゃん、アンタぁいつまで寝てるつもりなの」

「お前に散々搾り取られて、今日は動けそうに無いわ」

「うそつき」


 女の声は甘ったるく、褥でダラダラとする天目屋に身体を寄せて耳元で囁いた。


「嘘なもんかい。お前は儂が止めろと言わんで放っておくと、女陰ほとで魔羅ごと食い千切るじゃろ」

「そうじゃね。そうしたらたっちゃん、何処にも行けなくなるかしら」


 天目屋は戯れ言を紡ぐ女へと顔を向け、彼女の唇を指先で撫でる。すると彼女はぐるるると喉鈴を鳴らして天目屋の手に頬を懐かせた。

 そんな彼女を眺めながら、薄笑いと共に天目屋は尋ね返す。


「儂が魔羅を食い千切られたぐらいで、外に行かなくなると? お前も随分初心なところが有るんじゃのお」


 女の黒い髪を撫で梳くと、青い目元が露わになった。笑うと鋭い牙が覗く。


「可愛いじゃろぅ」

「ああ、可愛い可愛い」


 天目屋の雑な返答も意に介さない様子で、くすくすと吐息で笑いながら彼女は肩に羽織っていた衣を滑り落とした。天目屋の腰を跨ぎ、夜の間中繋がっていた其処を重ね合わせる。


「たっちゃん」

「何じゃ」

「まぁだ十兵衛ちゃんが好きなんね」

「……ばぁか」


 片口角を上げ、女を見上げながら太腿に手を這わせる。大きく切れ長の目を細め曲線的な身体を反らす彼女を、窓から射し込む光が右半身だけ照らした。影と光が女の肉体に合わせて鬩ぎ合う。


「お前さんの方が綺麗じゃ」


 女が太腿で天目屋の腰を挟んだ。


 ところが、家の外でなにやらバタバタと人が行き交う気配がする。特に男達が次々に声を掛けられてどうやら村長の所で集会になるらしい。


「あら……」


 女が目を細めながら外を見ると、丁度他の男衆が天目屋を探して声を上げているところだった。


「ざんねんね、たっちゃん。あなた、呼ばれとるわよ」

「……面倒じゃあ」


 女は自分の着物を羽織り、簡単に髪を結んだだけで家の戸を開いた。


「天目屋ならうちで寝とるわよ」


 天目屋の顔に明かりが射し込む。爛れた時間を過ごしたことを匂わせる女の程良く隙のある姿に男達が気を取られているうちに天目屋も渋々起き上がり、眼鏡をかけた。


「見つかっちまったのう。何じゃおぬしら、ぞろぞろと」


 天目屋を探していたのは、村の中でいつも日和見な態度の男達であった。


「なんじゃぁ。見るからに面倒くさそうな面しおって」


 髪を結び女の家から出ながら天目屋はこれ見よがしに溜め息をついた。


「儂ゃ今日はアイツん家で酒飲んで寝るつもりだったんじゃ。台無しにしてくれたのう」

「他の村から戻ってきたばっかのところ悪いとは思っとる、じゃがお前さんの話を聞きたいと村長が言うとってな」


 猪のような頭をした男がちらちらと隣の女を見ながら口を開いた。


「……あー…人間族の二人のことか?」


 それは確かに自分から話した方が良いかもしれんと、天目屋は腕組みし顎を撫でて空を見た。

 さっき天目屋を照らした太陽が、流れてきた雲に隠れ周囲が暗くなる。村長の家へ向かって歩き始めた天目屋に、思わぬ台詞が聞こえた。


「ああ、そいつらが山賊をこの村に手引きしようとしてるんじゃねえかって」


「……はぁ⁉」


 妙な展開になっている話を聞いて天目屋が村長の屋敷へと駆け込むと座敷では数人の男たちが膝を突き合わせヒソヒソと相談事に夢中になっていた。


「おい!」


 天目屋が声を上げると、彼らは一斉に顔を上げ天目屋をじっと見つめた。疑念の色を帯びた幾つもの目に同時に見つめられ、思わず腰が引けた。


「…な…なにをそんなに、暗い顔をして話しとるんじゃ」


 始めて訪れる町で偶に感じる視線とよく似た感覚だった。疑いと、不安が混ざった、悪意は無いがどう転ぶか分からない危険な視線。


「……天目屋、お前もこっちへ来い」

「お、おう」


 天目屋は男衆の輪に加わり、どかりと腰を下ろし、右、左と皆の顔をもう一度順に見つめながら青い舌をぴろりと覗かせた。


「竜の字、双子山のところの村に行ったじゃろ」

「おう。あそこの村の按摩が、怪我したんでな。その怪我が……」


 顎を撫でながら宙に視線を向けつい先日の話を思い出す天目屋の言葉を遮って、別の男が前のめりになり問い掛けた。


「街道に出る山賊に襲われたんか、按摩が」

「そうじゃ。それに行商の奴らも荷を盗られたと」

「お前達はどうだったんじゃ天目屋」

「……いや、儂らは行きも帰りも無事じゃ」

「山賊が居るのは、本当のことなんか」

「儂も襲われたって話を聞いただけじゃ。按摩は目が見えんからどんな奴らか見とらんし、行商の奴らは荷を盗られて里には来んかったらしい」


 一通り天目屋の話を聞いた村人達が顔を見合わせた後、俯いた。


「その山賊ってのは、あの人間三人も一味なんじゃねえか?」


 唯一村長の甥が前のめりになりながら目を瞠り気味にまくし立てる。天目屋がちらりと覗くと、彼はすっかり尻尾を丸めてしまっていた。


「落ち着け。儂も十兵衛も無事に帰ってきたじゃろうが!」


 何故彼らが急に山賊についてこんなに警戒しているのか、篤実達に疑いの眼差しが向けられているのか分からず、天目屋は周囲を見回した。


「十兵衛はどこじゃ。あいつは呼ばんのか」

「十兵衛は……」


 外が暗くなり、ぽつ、ぽつと雨が降り始めた。村の女衆が洗濯物を取り込み、子供たちが走る音が聞こえる。というのも、この部屋に居る男達が皆無言になってしまったからだった。

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