三十 四者対話


「はい、兄上」


 四人は十兵衛の庵に再び集まり、二人ずつ並んで座った。あきら保紹やすつぐが胡座を掻き、十兵衛と篤実は正座する。正座に慣れない十兵衛の影が頭一つ抜けて伸びていた。


「楽にせよ、雪政、十兵衛」

「はい、失礼いたします」


 二人とも足を崩して向かい合った。

 連子窓れんじまどから射し込む日射しに、細長い影が床の上へ投影される。日射しの一筋が保紹の顔に掛かり、黒曜石のように黒い瞳を照らすが、保紹はすこしも眩しそうな素振りを見せない。

 薄く塗った白粉と紅、そして髪の黒が、薄暗い庵の中でも慶次の存在感に厳かな空気を纏わせていた。


「取って食おうという訳ではないのだぞ、雪千代――いや、雪政。保紹、お主もそんなに畏まるな。空気が固いぞ」


 保紹の左手に座った彰が身体を揺らし、笑いながら甥の背を軽く叩く。そうされては保紹も能面のような表情も崩さざるを得ず、軽い溜め息がこぼれた。


「では、改めて。さて――お前とこうして顔を合わせるのは何年ぶりになるか、雪政。我等、戦場から戻って母上の菩提を弔い、お前の姿が見えぬので尋ねてみれば……」

「泣きながら家出したと、陛下も泣き出してな。押っ取り刀で俺達もお前を探しに飛び出してきた」


 保紹の言葉を遮るように彰が軽く身を乗り出して、身振り手振りも付け加える。


「――ンン。叔父上、身内以外の者も居りますので、その」

「おお、それもそうだな。まぁ、身内のようなものであろう、なあ、十兵衛とやら」

「はっ⁉ い、いや儂は!」


 突然話を振られて、十兵衛はビクンと身体を強張らせた。身内のようなの意味も分かるはずもなく、身体は確りと殿上人二人に向き合ったままであるが、耳がぺたりと横に倒れた。


「……成る程、其方は正直な男なのですね。話を戻しますが、雪政」

「は、はいっ」

「都から此処まで、一人で……あまつさえ刀も手放し、よく無事だった。初陣の時といい、此度といい……始祖神帝と宇瑠利神うるりしんの御加護に感謝せねばなるまい」

「……はい」

「雪政」

「はい、叔父上」

「自分が周りに迷惑を掛けたことは分かっているか」


 それまでにこやかだった彰が、突然声を低くして篤実を責めた。これには篤実はおろか十兵衛すら、槍で一突きに心臓を貫かれたかのような衝撃を憶え、特に篤実は項垂れて「申し訳ありません」と返すのが、精一杯だった。


「――などと、偉そうに言っていますが貴方も止める間もなく飛び出したではないですか、叔父上。本来なら我等二人が直に出向かなくとも、人を使えば良かったのを」

「そうして大事になったら、雪千代が帰りづらくなるではないか。気心知れた俺達に叱られる方が、雪千代も幾らかは気が楽では無いか」


 篤実は、二人が人を使って自分を探した場合のことを考えて益々背中を小さく丸めた。例えば人相書きが出回って、そうなったら自分は兎も角十兵衛はどんな扱いを受けただろうか。膝の上で拳を固く握り締めて居ると、十兵衛が横から腕を伸ばし、篤実の手を探して、重ねた。


「儂は、天下に二人と居らぬ名将であるお二方が、我が主君を直にお迎えに来て頂いたこと、心より光栄に思います」

「――ほう。……其方は、もう兵ではないのに、愚弟が主君だと言うのですか」

「はっ。おそれながら」


 十兵衛は篤実の手からそっと手を離し、一呼吸整えると胡座の儘両手を床につき深々と頭を下げた。


「この大神十兵衛、戦で負った傷により一線を退きましたが、翠宮篤実雪政みどりのみやあつみゆきなり殿下を勝手ながら生涯の主君と定めております」


 ゆっくりと顔を上げ、十兵衛はふー……と再び深く息を吐いた。篤実には、その表情がいつもよりも強張っているように見えた。


 彰は興味深い様子で顎を撫でながら大きな目を十兵衛へ向け、保紹は考え事をしている様子で暫く目を瞑っていた。


「五年も経っているのに、ですか?」

「たとえ五年、十年、百年経っていようと、篤実雪政殿がお許し下さるのなら、お傍に仕える覚悟です」

「――雪政、其方はこの者をどう思っているのですか」


 保紹からの問い掛けに、篤実の背筋がきゅっと伸びる。スッと息を吸い、声量は抑えながらも、腹から響く声で篤実は言った。


「この者は今の余にとって替えの効かぬ男です、兄上、叔父上」


 かつて十兵衛が聞いた、あの皆の胸を打った声が戻っていた。十兵衛が身震いし、全身の毛をぶわりと膨らませる一方で、兄である保紹が今までよりも僅かに痛ましい気配を滲ませ、切々と問い掛けた。


「ならば何故逃げた。いや……一体何から逃げたのだ。、お前は何を怖れ、悩んでいたのだ、雪政」


 何故篤実が幽霊や雪女と言われるのか。

 ――十兵衛の記憶の中で黒かった篤実の髪は、里に来る前から、全て真っ白に色が抜け落ちていた事を、目の見えない十兵衛だけが知らなかった。


「ゆき……⁉」


 十兵衛は驚きの余り、篤実の名を口走りながら隣を振り返った。


「……大丈夫だ、十兵衛」

「そんなに――若君…」


 触れた身体は瑞々しく柔らかな青年のものだったと十兵衛は間違いなく確信していた。篤実ほどの年の若者が白髪に生え替わるのに、五年という月日は短く、早すぎる。


 十兵衛に見つめられながら、篤実は語り始めた。


「余、は…淫欲に、負けて…男として働く事が、出来なくなりました。元服前に臨んだ、世継ぎを作るための儀式に…失敗、したのです。身体に印を刻み、其れが消えるまで、己を律する事で…皆の手本となるような、強い男とならなければ…ならなかったのに」


 紅を塗った唇が震えそうになると、篤実は呼吸を落ち着けるために俯き、再び顔を上げた。十兵衛は、篤実の様子に険しい表情を浮かべながらも、口も、手も、出さなかった。

 浅く早くなりがちな己の息を意識して落ち着けながら、兄と叔父と、誰よりも十兵衛に対して、五年の空白について語り始めた。

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