三十二 篤実雪政、斯く語りき




 余は初陣から帰った後、目付めつけ達からの報告を読んでいる内に、次の戦に出るのが恐ろしく…なりました。戦が怖いというだけでも、国を、民を守る皇族の男子おのこにあるまじき恥です。


 初めこそ、もっと良い手があったのではないか、次は余が討ち取られるのではないかと恐れ、悩みました。戦で手足を失ったりした者達や、遺された家族の心中を想像すると、胸が潰されそうでした。


 ――それと共に、何故か夜毎…身体が疼くようになりました。


 …はい、叔父上。その…叔父上のお考えの通りの、それです。淫欲…です。手が…股座を、まさぐってしまって。


 耽っている間は、恐怖と己の弱さを……忘れることが出来ました。しかし、終わるとまた自分の情けなさに打ちのめされるのです。初めのうちはただ、何も考えずに、その、手まさぐりしていれば、終わったのです。


 しかし…段々、手まさぐりと、それが……重なり始め…ました。


 ……はい、兄上、重なり始めた、と…いうのは……耽っている時に――恐れていたはずの、戦に負け……敵味方の兵に余が嬲られる妄想を伴うように……なった、の…です。


 っ……大丈夫だ、十兵衛。ただ……この先を聞いても、どうか…余を見限らないで、くれ。……たのむ。


 這い蹲り名も知らぬ男達に見下みおろされ、殴られ、蹴られる痛みを思いながら行う手淫が、止められず。日増しに鍛錬に…身が入らなくなるのが……自分でも分かりました。


 そのうち……手で、己のものを…扱くだけでは……満たされなく、なって……しまって。そんな自分がずっと恥ずかしいのに、ひとたび火照ると……果てるまで、治められませんでした。


 己を律することが出来れば消えると言われた腹の紋は、逆にくっきりと、濃く……なりました。


 儀式の際に渡された、腹の紋が消えるまで開けてはならないと言われた箱を、ある日開けました。


 憶えております。箱はとても重かった。


 中に入っていたのは、ふみ膏薬あぶらぐすりと…張型はりがたでした。


 ――はい、お…男のものを模った…鋼で…できた、もので。文には、使い方が書かれておりました。……――まるで最初から、お…おれが、この様に、愚かな感情に流される事が……予め定まっていたかのようで……恐ろしく、でも…でも、あ…あの時は、本当にもう……これで、おれを罰する事で、終わりにしようと思ったのです!


 鈍色にびいろの張形は……底に円い板が付いていて、其れがまるで……色と形と組み合わさると、刀のように見えました。


 膏薬を温めて――張型を浸すと、彫られた溝に溶けた膏が絡んで、しかし……すぐに冷えて固まって。其れを……お……おれは、自分で、自分の……菊門に……い……いれ、ました。


 苦しかった。


 なのに…やめ、られなかった……。


 自分がどんどん、在らねばならない在り様からかけ離れていっておると分かっているのに!


 兄上達にお世継ぎが授からないと、母上が気に病んでいると知っているのに、肝心のおれは、夜な夜な男に犯され嬲られる妄想と共に、自分の乳首を弄り回し、尻に淫具を咥えて……その上、快楽に乱れました!


 おれはそうやって母上を……見殺しにしたのです。


 母上の弔いの儀の席で、やってきた禰宜ねぎの中に……おれに儀式を行った男が居りました。彼は……己の様子を見て、全てを……察した、ようで。


 その者に、言われました。


 こう、なって……しまったら、もう、戻れ、ない。己は……やがて、居るだけで他の男を惑わし、腹に――子を、宿すまで……己の淫欲も収まらない、獣になるのだと。でも、女でない己に孕むことは……出来ないのだから、獣ですらない――鬼になるのだと。


 儀式を失敗させてしまった自分も、もう、生きてはいけないと……後日、禰宜は自ら命を絶った、と…聞きました。


 その禰宜と、母上が亡くなった、後……髪も、真っ白になった己は、屋敷に籠もって居りました。


 表舞台に立たずとも、父上達の力に……なりたかった。でも……おれの、廃位の……話と…屋敷の者が、淫らな夢を見ると聞いて、もう、限界だと思いました。


 己も、どんどん仕事が、手に付かなくなって。…己は……鬼なのだと。


 都を離れて……この者の元へ……来たのは、盲の……彼、なら…悪鬼の己も何か…役に立てるのでは、ないかと…考え、て…なのです。




 懺悔の入り交じった言葉を吐き出した主君へ、十兵衛はむしろの上を膝頭で這って傍へと寄った。十兵衛、とぐずぐずと啜り泣く篤実が、助けを求めるかのように名前を呼ぶ。

「はい。ここに居ります。顔を上げられよ、篤実殿。まだ言うべき事があるじゃろう」


 鼻を啜り、涙を袖で拭いながら篤実はコクリと頷いた。


 今まで何が起きて、此処へ来たのかを言った。そして次は、これからどうしたいかを篤実は、自らの口で言わねばならなかった。


「あに……うえ、お……おじ、う、え」

「ああ」「おう」


 二人が揃って相槌を打つ。


「己は、そんな……はしたなくて、役に立てない、卑怯者です。しか、し…逃げ続けるのも、嫌だッ!」


 ハッキリした声と共に篤実が首を横に振る。十兵衛の目にはその色は見えないが、髪が白かろうと黒かろうと瑣末な事だ。


「民の……みんな、の…力になりたい」


 ――すぅ、と篤実が肺の奥深く迄、酸素を吸い込む。肋が開き、背筋が伸びた。その顔は涙と鼻水に塗れていたし、涙を拭ったときに口紅もよれてしまっていて、誰が見ても「みっともない」と言うだろう有様だ。


「己は……みどりの、みやっ…あつみ……ゆきなり、だからっ」


 それでも胸を張る主君の隣で、十兵衛は厳かに、両手と額を床につけた。

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