第六夜 汝、守るべきは

二十六 若君に連なる人々

 狭い庵に五人の男がひしめいている。


 いや、庵自体は爪牙族である十兵衛の住まいなので、人間の作るものに比べれば大きいのだが。それにしたって、一度に入れる人数には限度というものがある。なんせ、庵なのだから。


「…なるほど。愚弟は、そなた等の元で世話になっていたのか」


 細面に白粉おしろいを塗り、唇には紅を差した眉目秀麗な青年、保紹晴賢やすつぐはるたかは篤実の実の兄であり、北朝の最前線、守護を担う総大将である。


「十兵衛…十兵衛、ああ、思い出したぞ! 確か雪千代を守りながら戦って武勇を立てた槍使いではないか? そうだろう!」


 そして毛深く、声が大きく、爪牙そうが族の体格に全く劣らない、熊のような身体の男は篤実達の叔父であり今上帝の弟である彰雅虎あきらのまさとらだ。かつての地位を保紹へ譲り、今は同じく最前線にて副大将を務めている。


 二人とも柄に各々の印の入った刀を所持していた。


「お…叔父上、己のことはどうか篤実か雪政ゆきなりと…ゆ…雪千代は子供の頃の名で御座います」


 そんな二人を前にして、篤実は正座したまま顔を上げられなかった。


「待て、待て待て待て」


 この状況に一等混乱をきたしている天目屋が三人を見比べた後に、十兵衛を睨んだ。


「十兵衛、確かにお前は、雪政が『高貴な方の子息だ』とは言うとった」

「…ああ」

「いや、雪千代よ、久々に都に戻ったらお前が家出したと聞いて、俺は心底驚いたわ。立派になったな」

「い…家出ではなくて、己は」

「高貴にも程が有るじゃろ⁉ 帝じゃぞ! は⁇ 副大将殿は儂が喋っとる間は、黙ってくれんか⁉」


 天目屋も半ば自棄である。そんな天目屋にも彰は興味を示し、自分の顎髭を撫でた。


「ほう、中々に肝の据わった男だ。爪牙にしては珍しい顔立ちをしているな」

「おうさ、親父が爪牙でお袋は人間じゃ」

「………」

「十兵衛お前は儂にばかり喋らせるんじゃねえぞ」


 と言われても、十兵衛は特に喋る言葉が浮かばないのだった。


「……雪政よ」


 保紹の声は何処かひやりとして、騒がしかった場が一気に静まり返った。


「其の姿見違えたが……先ず、無事でよかった。我等は母上が身罷みまかった時も、都に戻れなかった。――母に続いてそなたまでも、二度と会えない事態を免れた事は、嬉しく思う」

「…兄上……」


 兄の言葉に顔を上げた篤実に、保紹は懐に手を入れて丸い紅板を取り出し差し出した。


「そんな姿で紅も差さずに……。余の紅を使いなさい」

「あ……ありがとうございます」


 受け取った紅板には桔梗の印が刻まれていた。篤実はふたを開けて、また再び閉める。あとで使います、と頭を下げると、横から伸びた毛深い腕がわしゃわしゃと頭を撫でた。


「刀や着物はどうした、雪千代」

「叔父上、ですから己のことはせめて雪政と。……その、此処に来るまでの道中で、何人か……金に困っている様子の民が居たので、金子に換えるように伝え、手放しました。元より、己はもう……」


 兄上や叔父上に並べる男ではありません、と、目を伏せて零した。


 篤実の声の様子に十兵衛は腰を浮かせかけるが、天目屋が素早く帯を引っ張る。結果、十兵衛は胡座を掻いたまま動けなかった。


「さようであったか。それにしても、雪千代がちりめん問屋の跡取り息子なら俺達は何にする? なぁ慶次」

「さぁ。ちりめん問屋の隣の太物問屋でよいのでは? 叔父上。兎も角……」


 保紹が立ち上がり、其れを見た彰も膝を立たせた。二人に続くように篤実も自然と立ち上がる。


「今宵は我等と共に来るだろう? 雪千代」

「あ――……」

「どうした」


 立ち上がったは良いものの、篤実は十兵衛の方を振り返り躊躇した。視線に気付いた十兵衛が顔を上げる。狼の立ち耳を震わせ、薄く口を開くが、やがて十兵衛は再び腿の上で拳を握り押し黙り、口吻を床へと向けた。


「あ……兄上…叔父上」


 俯いた十兵衛から保紹と彰へと向き直り、篤実は顔を上げた。


「今日は、此処で…帰ってきたこの者達をねぎらいたいのです」

「――そうか」

「ゆき…」


 無言を貫く十兵衛の代わりに、天目屋が篤実の名を口にした。


「本当にそれだけか? 雪政」

「ッ――! …それは」


 篤実は頬から耳まで赤く染めて俯く。しかし、此れがどうやら保紹の思っていた反応とは違ったようで彼は弟へ向けて首を傾げた。


「……では、明日にまた」

「今日の宿はどうする? 慶次」

「此処は宿場でもないただの爪牙族の里です。長に頼んでどうにかしてもらうつもりですが、叔父上は? まさか此の儘この十兵衛とやらの庵に居座る気ではありませんか」

「おう、よくわかったな流石俺の総大将よ」

「いけません。叔父上まで愚弟のような事を言わないでいただきたい」


 保紹は己よりも体格の良い彰の帯を引っ張り、庵を出て行く。急かすな、と彰の笑う声が響いた。


 二人が出て行って、残された篤実は十兵衛と天目屋の前へとやってきて、膝を突いた。


「明日は…行くのか、ゆき。…行っちまう…のか…」


 どっしりと胡座を掻いたまま、十兵衛が耳を伏せ、尾をへたらせて呟いた。


「それは……」

「お前、家出してきたんか」

「い、家出ではないのだ、天目屋殿。ただ…に下り、この…恥ずかしい身体を隠して――」

「隠せとらん癖に何を言うかこの雪女男」


 天目屋がケラリとわらう。しかし十兵衛は深刻な気配を隠さず、拳を握り締めたまま微動だにしない。思い詰めた様子の十兵衛と、どこか身の置くところが無いような表情を浮かべる篤実を見比べて、天目屋は考えるのを止めた。


「まぁ、労ってくれるんじゃろう、雪政。飯でも作ってくれるのか」


「あ、ああ…そうだな、疲れただろう」


 天目屋は足を崩し、尻尾も伸ばして横臥した。茶はまだか等と言って篤実の用意する品を待ったのだが、この後泣きを見る羽目になったのである。

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