二十五 霧中の邂逅

刀を持っているのは二人共同じ。足運びも農民や商人のそれとは違う。いや、賊がこのような乱れのない歩き方をするか?


白粉の香りが十兵衛の記憶を駆け巡る。無意識の内に十兵衛の毛並みはぶわりと立ち上がり、喉奥からゔる…と声が漏れ出した。


ざく、ざく、と後ろから近付く二人の歩みは一定の速度を崩さない。音からして刀に手をかけている風でもない。


十兵衛と天目屋は、一先ずその二人が目の前を通り過ぎるのを待った。彼らが一歩足を出す度に、此処だけ時間がゆっくりと流れているような感覚がある。


霧に湿った毛並みがただ不快だ。鼻先に水滴がついて、十兵衛は二人から耳を離さぬようにしながら左の袖で顔を拭った。


ざ、ざ、ざ、ざ、ざ。


白粉を塗った男が一人と、身体の大きな、やたら雄のにおいが強い男が一人、並んで十兵衛達の前をただ通り過ぎていった。


「は……へっくしっ」

「ぶしっ!」


二人揃ってくしゃみをして、気が抜ける。其処に今までなかった風がさぁ……と吹き始めた。霧が流される。十兵衛達は風上に立つこととなった。


――そして、通り過ぎた男達の一人が、歩みを止めた。


「どうした、叔父上おじうえ

保紹やすつぐ、におうぞ」

「ほう」


つられてもう一人も足を止め、振り返る。


先に足を止めた、体格の良い男が向き直った。そして、十兵衛はその男からの視線を感じ耳を震わせた。


「其処の座頭、そして薬屋よ。お前達から、我等の探し人のにおい・・・がするのは如何いかゆえか」


虎が人の言葉を口にしたかの様な声が響いた。


「な……何を突然言い出すか。十兵衛、行くぞッ」


十兵衛の腕が後ろから引かれた。天目屋がそのまま小声で耳打ちする。


「奴ら、親父を狙った賊かもしれんぞ。仕留め損じたと探しとるのかも知れん」

「じゃが竜比古兄、あの二人は格が違……」

「その様子、心当たり有りと見た」


大きい方の男がザクザクと距離を詰める。もう一人はこちらを見たまま動かない。十兵衛は村で調達した棍棒を握り締めたが、振りかぶるよりも早く、その大きな気配は懐へ潜り込んだ。


「なっ」


ぐっと襟が引っ張られる。胴ががら空きであるのを悔いた。


「十兵衛!」


天目屋の声が響き、十兵衛の腹に熱感が走――らなかった。


その代わりに、すぅー……と鼻息を立てて、男が十兵衛の胸の辺りに顔を埋めているのだ。なんとも言えない生暖かさに、また十兵衛の毛はぶわわっと立ち上がった。


「何をするかこの変態が!」

「おおっと!」


ぱしんっと小気味よい音が響く。男の気配が胸元から離れ、天目屋の拳を受け止めていた。


「慶次よ! 当たりだぞ」

「相変わらず訳が分かりません、叔父上」

「ふはははは! 良い、良い」

「何一つ良くねえわ!」

「う……ゔるッ…」


混沌とした気配に、十兵衛の尖り耳と太い尾はすっかり下を向いていた。


霧は晴れて陽が降り注ぎ始めたのに、十兵衛と天目屋の頭の中は嵐の中に放り込まれたかのようだった。




「成る程、其方等が妙に此方を見てくるのは、賊と警戒しての事だったか……」


もう一人の男は、天目屋の話を聞いて腑に落ちたらしく頷いた。


「さて、叔父上が堂々と呼んだ今更、名を偽るのも遅いというもの――余は保紹晴賢やすつぐはるかたという」

「俺は彰雅虎あきらのまさとら。俺達は、甥でありこの保紹の家出した弟を探している。我等に瓜二つの可愛い末のの子でな」

「まてまてまて」


里へ戻る道を歩きながら天目屋は尻尾を左右に振り皆の一歩前へと出た。


「十兵衛には見えんじゃろうから説明するが、一人は熊から生まれたような人間じゃ。デカい、四角い、うるさい、毛深い」

「加えて、良い男だぞ?」

「お……おう」

「儂ゃ何も言わんぞ。次に行くぞ! もう一人は絵巻物の貴公子か? 涼しい顔をしおって……でだ、お主ら二人そもそも似とらんのに、瓜二つの人間の餓鬼がきなんぞ分かるもんか。はぁ……」


天目屋は溜め息をついた。珍しく疲れているように聞こえる。


しかし、この二人が賊ではなく、武器も持った武士もののふであるというのなら道中共にするのは十兵衛と天目屋の身を守る意味でも悪い話ではない。


「叔父上が話すと、かえってややこしくなります」


白粉の香りのする、保紹と名乗った男が呆れたように言うが、男臭いにおいのする彰は笑う。


「しかし、俺の嗅覚が無ければ雪千代ゆきちよに辿り着くのは何時いつになったか分からんだろう」

「その時は切り上げて都に帰るまで。叔父上が飛び出してしまったから仕方なく余も此処まで付いて来ましたが、時間は限りあるもの。刻限という物を決めねばならぬ」


保紹の言葉に十兵衛は眉を顰め、口を滑らせた。


「……その家出した弟君おとうとぎみが、大切じゃねえんか。だから……こんな北まで探しに来たんじゃあねえのか」


胸の裡よりふつと湧いた言葉だったが、十兵衛はすぐに己の無礼に足を止めて頭を下げた。


「いや、余所者が余計な口を利いちまった。許してくれ」

「……然様さよう。我等の事情は余人が首を突っ込んで良いものでは無い、座頭」

「儂は…大神十兵衛と申す」

「ハハハ、慶次はそう言っているが俺は雪千代が見つかるまで帰らぬ積もりだ。安心しろ、十兵衛」

「叔父上……」


しかし、十兵衛達の里に人間の子供は居ない。家出した子供が一人で山を越えるなど無理のある話だ。十兵衛も天目屋も、この毛むくじゃらの武士が何のにおいを嗅いで当たりだと言ったのか、検討がつかなかった。


その疑問は、里に帰って荷を下ろすべく先ず十兵衛の庵へと二人を案内したことで解決した。


「保紹! 雪千代のにおい・・・がするぞ」

「ほう」

「はぁ?」


毛むくじゃらこと彰が、バッと笠を放り投げて熊の如くどどどうっと走り出した。無論、その先には十兵衛の庵がある。


人の気配に、内側から戸を開いた人物が、彰にがっしりと捕らえられた。


「――⁉」


「雪千代! 探したぞ‼」


目の見えぬ十兵衛は勿論、天目屋も口を開けて呆気に取られていた。その後ろで保紹が一人「これだから叔父上は訳が分かりません」とぼやいていた。

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