二十四 他意のない人々





「オイ、朝じゃ。そろそろ仕度せい」


 ――と、天目屋に起こされた。


「眠れたか、十兵衛」

「おう。何か夢を見た気がするがもう忘れた」

「夢のう」


 欠伸をする天目屋と共に身支度を調えると、まとめ役の妻が朝食を振る舞った。麦と米を潰した餅に味噌を塗って焼いたものと、山菜と大根の汁物が用意された。


「座頭さん、薬屋さん、危ない中ァ来てくれて、ありがとうネェ……こんな物しかねえけど、腹一杯食ってちょうだい」

「おー、食って仕事して帰るまで気が抜けんがの」

「…商人も、襲われたと言うとったな」

「そうじゃの。襲われた奴は今この村に居るんか?」


 天目屋が尋ねるが、返事はなかった。ただ首を振る気配だけ十兵衛は感じ取った。


「怪我はしなかったけどネェ、荷を盗られちまったから蜻蛉とんぼ返りヨ。お陰で塩が来ないし、此処のもんを買い取って貰えなくッてネ」


 おかみの沈んだ声に、十兵衛もただ尻尾で畳を一度ぱふんと叩くことしか出来なかった。が、天目屋は違った。


「十兵衛、儂等の村に最後に商人が来たのは何時じゃ」

「――……そういえば、春先には来る奴らがまだ来とらん……な」

「此処だけの問題じゃねえってことじゃのぉ、十兵衛」


 天目屋は苦笑気味に声を揺らしながら、飯を掻き込んだ。


「村を直接襲ってきてねえってことは、頭数は揃っとらんのじゃろうが」


 山盛りに積まれた雑穀餅の、最後の一つを十兵衛が手に取りかぶりついた。焼けた味噌の香ばしさと塩味を水で流し込んだ。



 天目屋は怪我をした座頭の具合を、十兵衛は代わりに村の人々に按摩を施して滞在すること三日。約束の仕事を果たした二人は村を出る前に男達に頼んで棒を調達した。


「すまんなぁ……こんなもんしかねえ……」


 持ち手になる部分に、端布はぎれを巻き付けただけの太い木材だ。地面に突けば持ち手は腰と胸の間ぐらいの高さにあった。無論それは槍や金砕棒かなさいぼうのような武器として仕立てられたものではない。


「竹杖だけよりマシじゃろ、なぁ? 十兵衛」


 十兵衛の膂力りょりょくなら岩に叩きつければこの棒も折れてしまうだろうが、叩きつける相手が人間や爪牙なら十分な脅威になるだろう。十兵衛は持ち手を握り込み、一振りした。


「うおっ! おっかないことするなら一言言わんか」

「ん、すまんかった竜比古兄」

「まあ丸腰よかマシじゃマシ。まぁ早うお上に訴えて、その賊だかなんだかを片付けてもらえ」


 十兵衛は棍棒の具合を確認し、手の感触から間合いを考えた。槍には到底及ばないし、自分と天目屋の身を守るに足るとは言い難い。等と考えていると、村の若い男の弱々しい声が聞こえた。


「でも……その、十兵衛さんナラ」

「阿呆を抜かすな! 此奴こやつも座頭じゃぞ」

「ヒッ!」

「……そうじゃな」


 十兵衛は己の顔を撫でた。目隠しの下には傷を負い潰れた両目がある。


 深くゆっくりと息を吐き、十兵衛は耳を立てたまま尾を垂らし、村の男達へと向き直り深々と頭を下げた。


「賊退治など、儂には荷が勝ちすぎる。すまん」

「十兵衛!」

「いや、十兵衛サン…顔を上げとくれェ。村のモンが失礼なことを言った。二人が今回来てくれただけでもありがたいというのに」

「そうじゃ。れから儂等は、自分の身の心配をせんといかん。ほれシャンとせい」

「痛ッ」


 十兵衛の膝裏がバシッと引っ叩かれた。隣に立つ天目屋の尾だろう。十兵衛は顔を上げ、木の棒を握り直すと、改めて村人に別れを告げて歩き出した。




「奴ら都じゃあ総大将様が帰ってきたとか言うとったが、かと言って役人が動くわけでもなかろうに」


 笠を被り、宿場町に続く道を歩きながら天目屋はブツブツと繰り返した。時折十兵衛の足が尾に叩かれる。天目屋の腹の虫がどうやら尾で暴れているらしいと十兵衛は思った。


「座頭の親父に、商人も襲われたと聞いて、怖えんじゃろ。それに儂等の里にも関係の無い話じゃねえ」

「じゃーからって、よりによってお前をてにする奴があるか……畜生」


 どつ、どつ、と竹杖の代わりに棍棒で地面を叩きながら片腕は天目屋の袖を掴んで十兵衛は歩いていた。


 その日は、冷え込んでいた。朝早く里を発った為か、空気は夜の水気を含んでいた。


「……霧のにおいがするな」

「おお、分かるか。そんなに濃くはないが、霞んどる」


 冬が終わり、春の空気は瑞々しい。すこし瑞々しすぎて、冬の名残のような冷気が、時折道に霧を齎した。


「冷えねえか、竜比古兄」

「んんん、雪に比べりゃあマシじゃ」


 しかし、霧は雪とは違う体力の奪い方をした。服や毛並みが雨とも違う纏わり付くような水気を吸って、うすら寒い。十兵衛ですら顔を顰めずにおれないのに、寒さを不得手とする竜比古は尚のこと疲れるであろう。


 出発したときよりも歩みが遅くなっているのを感じて、十兵衛は竜比古の袖を引いた。


「竜比古兄、少し休むぞ」

「は……ハハ、これぐらいで休んでたまるか十兵衛。お主より儂の方が旅慣れしとる。こんな何もないところで休んでも、仕方がなかろうが」

「何も座って休めとは言わん。はぁ……なら儂に水をくれ、竜比古兄」


 十兵衛が水を求めたことで、天目屋も足を止めた。十兵衛が待っていると、手に水筒が握らされる。


「はぁっ……」


 栓を抜いて水を煽ると、十兵衛は意識するよりも先に耳をピンと立てた。鼻をひくりと動かし、ゆっくりと振り返る。棍棒を握る手に力が籠もった。


「どうした、十兵衛」

「人が来る。……刀を持っておる」

「確かか」


 足音は二人分、徐々に近付いていた。ピクリと震える耳は、その二人が持つ武器の音と、農民とは違う足運びを捕らえていた。


「わ、からんが……」


 薬箱を背負っている天目屋を、己が背後の道端へ立たせながら十兵衛は気配のする方から鼻先を背けた。水筒に何度か唇をつけて、水を飲むふりをしながら様子を伺う。


「……デカいな」

「ああ」


 天目屋も目で捕らえたようだ。確かに足音は一人の方がより重々しく力強かった。爪牙の者だろうか、男のにおいと、白粉おしろいの香りが微かにした。


 ――帯刀し、化粧をしている?

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