二十二 双子山麓の村へ

 翌週、十兵衛は天目屋と共に篤実に見送られ村を発ち、宿場町を越えて双子山麓の集落へと訪れた。話を天目屋へと取り次いだ村の男に案内される。そうして怪我をした按摩の住まいへと近付くにつれ、十兵衛は眉を顰めた。


「やぁ…すまねえナア天目屋ァ……薬どころか…仕事マデ肩代わりしてもらっちまって」


 床に伏した座頭が、二人が戸を開ける前に声を出した。足音で察したのだろう。


「…親父、入るぜ」

「アア…その声はアンタぁ十兵衛か。槍の。そうかい、アンタが…ワシの代わりかい」


 十兵衛が眉を顰めた理由は、座頭の傷の状態にあった。血の臭いと、膿の臭いがするのだ。天目屋が薬箱を下ろし、座頭へと駆け寄る。


「おいおい、随分とひでぇ傷じゃねえか旦那。十兵衛、水を汲んでこい。儂ゃ火を熾す。水も湯も必要じゃ」

「コレでも峠は越えたンだ。ああ…全くヒデエ目に遭った」

「怪我とは聞いてたが…刃物傷じゃろう、旦那」

「――刃物傷?」

「ああ…仕事帰りに…山道で足を引ッ掛けられて、バッサリよ」

「分かった。わーかった。手当てするぞ、痛むだろうが堪えろ親父」

「……」


 処置を天目屋に任せ十兵衛が小屋の外へ出ると、誰か小さな気配が視線を向けているのを肌に感じた。


「誰か居るな。……儂は十兵衛。ここの親父と同じ座頭じゃ。親父の手当の為に水が汲みたい。井戸に連れて行ってくれんか」


 体重の軽い足音が近付いて、そっと十兵衛の着物の裾を掴んだ。十兵衛が見下ろすと、その子供と思しき人影は少しばかり身体を強張らせたようだ。


「おいたん、ざとうのおっちゃんたすけてくれるの」


 十兵衛はそろりと膝を折り、その場にしゃがみ込む。手を虚空に彷徨わせていると、小さな手が掴んだ。


「ざとうのおっちゃん、いつもオラとあそんでくれるの」

「そうか。…心配じゃな」


 子供の頭を探して、そろりと撫でる。


「綺麗な水が必要じゃ。儂を井戸まで連れてってくれんか、坊」

「うんっ」

何方どなたか、手伝って下さらんか。ここの座頭は、今薬屋が看ておる。水と湯が要るんじゃ」


 そうして十兵衛は他の住人にも声をかけ座頭の小屋と井戸を往復し、天目屋は傷の手当てをし、瞬く間に夜が明けていった。数日ぶりに身体も清められた座頭が穏やかに寝息を立てていることを確認して二人が小屋を出ると、数人の村人が待っていた。


「かたじけねェなあ…ワシらも手当はしたんですが」

「しゃあない。この辺りには医者もおらん。親父も大した意地じゃ。死なぬと言う意地が無けりゃあ、っとったかどうか」


 よかったと胸を撫で下ろす村人達の気配を感じながら、天目屋の後ろに立っていた十兵衛は口を開いた。


「…何があったのか、誰か親父から聞いたか。こんな所で刀傷など滅多にねえ」


 十兵衛の問い掛けに村人がざわつく。二人は寄り合い所代わりのまとめ役の家へと案内された。


「それが…どうもこの頃山道に良くない輩が出るようで」

「商人が襲われて荷を奪われたり…」

「おかみになんとかして貰わねえと、とワシらの間でも悩んでおったところでした。みやこじゃ戦の合間に大将様がお帰りになったと聞く。もしかしたらこの辺りにも力を貸してくださるかもしれん」


 村人達の言葉に竜比古は絶句し、頭を抱えた。後ろで胡座を掻いた十兵衛はじっと押し黙る。


「いやぁ。アンタ達は、運が良かった。来る途中で賊に襲われなかったんじゃからのぉ」

「ッ――あ……ああ。困ったときは…お互い様じゃ」


 竜比古の声から、彼がずっと俯いているのが十兵衛にも感じ取れた。


 夕餉に村人から酒を振る舞われたが十兵衛は断り、その日は早く床についた。


「…まだ起きとるか、十兵衛」


 十兵衛は鼻先を天井へ向け、天目屋は十兵衛に背を向けていた。


「ん…おう。どうした、竜比古兄」


 天目屋の呼びかけに、十兵衛の意識がうつらうつらとした眠りから引き戻される。天目屋は酒を飲んできた筈だった。


「まったく…思ってもないことを言って飲む酒はちっとも美味くない」


 宛がわれた部屋は旅籠ほど立派なものでは無いが、畳が敷かれて、厚みのある布団が与えられた。二人とも普段の暮らしよりも良い寝床を貰えたと言える。


「親父は大丈夫そうか」

「んん……傷は膿んどったが、幸い見た目より深くない……と思う。儂は薬屋じゃ、医者じゃあない」

「それでも竜比古兄が来て良かったと儂は思う」

「ぐふっ」


 天目屋が布団の中で咳き込む。その様子を案じて十兵衛が身体を起こすが、彼は布団を頭まで被ってしまった。


「明日からお前さんが忙しいぞ十兵衛。はよ帰らんと、おひいさまが泣くかもしれんのお。けけ」

「……なんじゃ、竜比古兄。突然」

「なんでもない。早う寝ろ」


 儂は寝る、と竜比古の籠もった声を最後に部屋には静寂が訪れた。


「…………」


 再び布団に横たわり、十兵衛は見えぬ空を想像した。









 夜空というのは、藍とも墨ともつかぬ色をしていた。そこには砂金を撒いたように星々がちりばめられている。星というのはよく分からないものだ。空にあるということは、鳥や蝙蝠ならば星に触れられるのだろうか。羽のない十兵衛の足は、大地から離れることは出来ない。今は布団の中にあって、ぬくぬくとあたたかい。


 空とは、天である。天ならば神がおわすところである。だがどうにも、あの空という所にこの布団の中のような温かさは想像できなかった。


 十兵衛の意識は、庵で過ごす夜の時間へと飛んでいた。


 かつてそこには妻おトキがいた。時折今日のように天目屋がやってきて、狭いと文句を言いながら共に夜を過ごした。


 槍の腕を見込まれて、遙々南に下った。そうしたら、どういう訳か槍衆の長に担がれてしまった。果たして自分にそれだけの実力が伴っていたのかというと、未だに首を傾げたくなる。

 鼾の五月蠅い男達と共に、干した大根のように転がって眠ったものだ。


「――若君」


 出陣を翌日に控えているというのに、肝心なときに眠れなかった。夜風に当たろうと床を抜け出した先で、十兵衛は先客に気付き頭を垂れた。


 夜風に当たりに来たのに、地面を見て、土に手を突いた。


「……よい。面を上げよ」

「……いえ」

「では、余と共に……星を見よ」


 そう言われて、十兵衛は顔を上げた。


 月光が、佇む若き武将の輪郭を滑って、その鼻筋や紅色の差した形良い唇を照らし、瞳に澄んだ翠色の輝きを宿していた。

 明日も同じ夜空が、若君のいる夜空を拝めるだろうかと十兵衛は祈るような気持ちでいた。

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