真神ノ玉-雪原に爪二つ-

十八 尾も口ほどに物を言う

　天目屋が用意した薬は非道（ひど）く苦かった。

　十兵衞は、目が見えぬというのに実に上手く火の世話をする。火を熾すだけで無く、絶やさないし、暴れさせない。

　竃の前で、灰銀の毛並みが赤く照らされる姿を眺めながら、篤実は庵の中で何もすることが無かった。

「……」

　篤実に背を向けた十兵衞の耳がピクピクッと震えた。

「…………」

　更に篤実がその樅（もみ）の木の天辺のような尖りを見詰めていると、またピルピルピルッと震える。

　十兵衞は竃の前にしゃがみ込み、口を真一文字に結んだまま一歩も動かぬ。動かぬのだが、耳だけが震えていた。

「背中にも目がついておるのか？」

　篤実が尋ねると、十兵衞の毛並みがぶわりと膨らんだ。

　竃の火から顔を逸らし、十兵衞は首の後ろをガリガリと掻く。

「人の悪いこと言わねえでくれ、ゆき」

　顔の傷覆い隠すように藍色の目隠しをしたまま、ぐるるるると喉を鳴らす。篤実の視線の先で、大きな男は立ち上がると静かに摺り足で近付いて、手を伸ばしてきた。

　十兵衞の手を、握り返す。

　そうすると、お互いにふと気が緩むのが指先から伝わった。

「そなたの耳が、落ち着き無く震えていた」

「そりゃあ、震えてたんじゃねえ」

　竈の上には鉄瓶が乗っている。

　火は遠火で、鉄瓶の口からは細く白い湯気が立っていた。

「……ここに来る道中は、寒かった」

　口から吐く息も白くなるほどに。旅路は体を芯まで凍えさせた。

「雪が降っとったじゃろ。都からここまでとなると」

「…うん」

　十兵衞が篤実の隣に腰を下ろした。途端に、寒さが幾らか和らいだように思う。

　篤実は横目に、爪牙（そうが）の男を見る。

　狼の形質が色濃く残った、口吻の突き出た顔立ちに全身を覆う灰銀の毛皮。首から肩は太く厚く、冑（かぶと）など人が被るものよりもずっと大きかった事を思い出す。

　指は短く、爪はよく見えない。彼らは力が強いが、手先が不器用な者が多い。薬を作る天目屋のような爪牙は稀だ。

「ゆき」

　十兵衞の肉体にすっかり魅入（みい）っていた篤実の意識を低い声が呼び戻した。

「……帰っちまうのか。いや……なんでもない」

　彼は慌てて己の口を手で押さえ、そっぽを向いてしまう。篤実は首を傾げた。

「何だ、十兵衞」

　十兵衞はもぞりと座り直し首を横に振る。

「……いや、当たり前の話じゃ。……儂も、ゆきは……若君は、落ち着いたら都に帰るもんじゃと思っていたんだが」

　歯切れの悪い様子である。

「その時は、儂もついて行っていいか？」

　灰銀の尾が、ぱふんと床を叩いた。耳も世話しなく前を向いたり震えたりしている。

　篤実はそんな十兵衞の大きな肩にそっと寄りかかった。やや固く、温かく、体重をかけてもビクともしない。彼も腕を上げ、膝の上へ篤実を難なく抱きあげる。

　篤実は、十兵衞に向かい合い、首筋に顔を擦り寄せた。ごわついた髪と毛皮に鼻先を埋め彼のにおいを嗅ぐ。

　すん、と十兵衞も篤実のにおいを嗅いでいるらしかった。篤実を包み込む腕は、その堅さとは裏腹に抱き締める力は包み込む様は柔らかなものだった。

「ああ。己の……世話をしてくれ」

「御意」

「……そなたの所に…来た事、迷惑では無いか」

「は……」

　ぱふん、と再び十兵衞の尾が床を叩いた。

「まだそんなことを言うのか、ゆき」

　篤実の耳に、十兵衞が溢したフッと笑う様な吐息が触れる。

「儂は…若君の下で働けたことを今でも誇りに思っておる。それは短い間じゃったが。そして今、お主がゆきでも、若君でも…篤実雪政殿、御身（おんみ）に宿る魂は輝いておられます。この大神十兵衛が、お傍で支えます」

　十兵衛の声が途切れると、庵の中にはしゅうしゅうと鉄瓶から上る蒸気の音だけが残った。

　包み込むように抱かれているだけだった篤実が、十兵衞の大きな背を探り、衣を強く握りしめる。すると十兵衞も背を丸め、腕の中の尊いものを壊さぬように、しかし、決して失わぬように、力強く抱き締めた。

「己の一番槍――…」

「ああ、お前だけの一番槍じゃ」

「じゅう、べ…」

　真摯に己を守り支えようとしてくれる十兵衛。篤実は胸を締め付けられる様な熱い思いに滲む涙を着物に吸わせる。

　胸板越しに心の臓が力強く脈打つ音が篤実の身体へと響く。

　猫がにおいを付けるように身を捩り、衣越しに腰を十兵衛の下腹に擦り付けてしまう。

「ん゙、んっ……ゆき」

　十兵衛の腕の力が一段と強くなった。

「…これ以上はいかん」

「ッ……ぅ……駄目、か？」

　駄目だ。自制すべきだ。一人の男として、一人前の武士として扱ってくれる十兵衛にこれ以上淫欲に流される自分を晒して良いはずが無い。そう思うのに口が、体が、火照り疼き、縋るのを止められない。

　そんな篤実の頬を十兵衛が撫でる。

「儂は…何が、一番若君の為になるのか、わからん」

　頬から耳まで、十兵衛の大きな掌に包み込まる。篤実はまた涙が滲み、頬を伝って、彼の手まで濡らした。

「己は……己の事で一杯で――なんと、情け無い。そなたがこんなにも…悩んでおるというのに」

　十兵衛の手に篤実は手を重ね、翡翠の色をした瞳を瞼の内に隠しながら涙を零し続けた。

「したい――いや、もうしたくない…ううん、そんなの耐えられぬ……したところで、終わってまた癇癪を起こすつもりか。どれも、己のことばかりだ。十兵衛、じゅうべえ…」

　はぁ、と息を吸い重ねた手を握り締めた。

「たすけてくれ、じゅうべえ…」

　十兵衛が篤実の唇を塞いだ。

「ん――」

　口を開けば平たい舌が篤実の口腔へと入り込み、舐（ねぶ）り回す。急な口吸いに戸惑うと共に、腹の奥がきゅんきゅんと疼き出し、切ない。

「はあっ」

　仰向けに寝かされた篤実は、視界を十兵衛に塞がれていた。

「…すまん…お傍で支えると言いながらこの有様じゃ、若君。…ゆき」

　十兵衛の傷口を隠す、藍色の覆いが緩み落ちる。露わになる傷で塞がれてしまった目元へと手を伸ばし触れると十兵衛の耳が震えた。

「苦しんでいるのに、それ故に儂に縋ってくれるのが嬉しくてたまらねえ」

「――…」

　十兵衛の言葉に口を薄く開いたまま、は、は、と息を震わせてじっと顔を見詰める。十兵衛は視線を感じたのか、再び耳を震わせ顔をよせた。

　熱く、濡れた唇が重なる。

「ふ…ぁ」

「ゆ…き」

　手首を掴まれ、膝の間に膝を入れられる。篤実も受け入れるように太腿を左右に開き、つま先で十兵衛の脹（ふく）ら脛（はぎ）を辿り足を絡ませた。

「良い、ゆきは…ゆきのことだけを考えておれ」

「だ、が…ふ、んぁ――」

　首筋から耳元を舐め回される。舌の表面というのはぬろり、つるりと引っ掛かりがなく滑らかで、唾液で濡れて熱い。十兵衛という男のにおいも、より一層強く、濃厚に感じてしまう。

「あ、う　また――い、やだ　ぅ　あ」

　ぞくぞくと腰を震わせる篤実の股座が熱い小水で濡れて、立ち所に冷えていく。

「ぐる…う゛…かまわねぇ、漏らしてしまえ」

「駄目…だ…　やぁ　とめて　あ、あ…」

　自分では止めたいのに、じわじわと少しずつ、だが確実に下腹から尿道を通って漏れ出すそれを止められない。衣に染みが広がり、水分を吸って重く、肌に張り付く。

　両手首を十兵衛に掴まれ、膝を閉じる代わりに彼の腰を挟みながらぐっしょりと二人とも濡れるほどに篤実は失禁した。