十一 十兵衛、暴走す
天目屋と十兵衛の付き合いは長い。同じ集落で育ち、年も近い。人間と
堅物と言われ黙々と槍を振るう十兵衛に対して、天目屋は軽薄を装いよく喋るが、
「十兵衛、儂も二、三日目隠しをしてみたんじゃが」
手柄と引き換えに目を失って
「男やもめに蛆が湧くなんて事になるんじゃねえぞ。虎の婆さんが腰を揉みに来いと言うとった。早う行ってこい十兵衛」
おトキを失った年は、天目屋は国を巡らず共に墓を建て、何度も庵に顔を出し、塞ぎ込む十兵衛が他の村人と疎遠にならぬよう気を配ってくれた。
対して篤実は短い時間であったが、十兵衛を只の田舎の槍使いから
「爪牙の者が居る隊というのは、こんなにも熱が溢れるのか。戦において健やかな心と体は何者にも勝る」
自ら兵たちの教練を見ては、よく褒めた。自身に経験が足りぬと悩みながら各衆の長を集めて積極的に意見を求めた。人間と爪牙を分け隔て無く接するのは始祖神帝に倣う当然のことだと見目の隔たりを越えて接するが、同時に親王としてのけじめとして弱いところやだらしないところを見せないと己を律する男だ。
「そなた、余が此処へ来たときに真っ先に吼えた槍衆の長であろう」
甲冑を脱いだ若君は更に一回り小さく思えたが、まさか顔を覚えられたとは思わなかった。篤実の言葉に十兵衛は驚くと共に胸に熱いものをおぼえた事は、忘れない。
そして十兵衛が
その二人が己の庵で何をしているのか、既に理解しているのに呑み込むのを拒否する思いが、十兵衛を焼く。
「わ……か……ぎみ」
妻おトキの墓がすぐ近くにあるのに、斯様な姿を見せる自分を止められない。
毎日歩く、ほんの短い距離が永遠に遠く、水の中で溺れたかのように胸が苦しい。
「篤実……様」
手をつき、立ち上がり、走る。
己の庵に転がり込み、驚いた様子の二人の気配を嗅ぎ分けると十兵衛は歯を食いしばりながら天目屋を掴み飛ばし、続いて篤実を己の腕の中に強く抱き締めた。
「じゅっ……」
「十兵衛!?」
二人が驚いた声を上げるが十兵衛は構わず、口を開く。爪牙の名に相応しい牙を見せ、喉の奥からグルルル……と唸り声を上げた。
十兵衛の世界は闇である。しかし、その闇の中に浮かび上がるように篤実の姿が想像できた。抱き締めた痩躯から伝わる鼓動、性臭の青臭い残り香、立ち上る体温、十兵衛の
「若君」
その首筋の柔らかさを牙で感じ取り、揺れる髪に鼻先を擦り付け、背が軋むほどに強く抱き締めて、顎を食いしばった。
「ッ――――あ あ ぐっ!」
ブツリと皮膚が破れる僅かな反応と共に、鉄錆の味と、甘く濃厚な雌の誘引香が十兵衛の脳髄を焼いた。
「十兵衛! 何を!」
天目屋が叫び、腕の中の篤実は苦悶の声を上げている。だが篤実は逃げ出すことも無く、むしろ十兵衛の腕を強く掴んで縋り付くでは無いか。
――ならばいっそ此の儘、首を食い千切ってしまおうか。
「ぐるッ……ヴぅ……」
顎に籠めた力を緩め、弾力のある首筋から牙を抜くとまた熱い血の味が口の中に広がる。大きく幅広い舌をそこへ纏わり付かせると腕の中の彼が身体を震わせた。
「……べぇ、十兵衛!
ガンッと頭を強く殴られる。痛みに口を開くが、腕は緩めない。
「人殺しになる気か! おトキや儂の顔に、泥を塗る気か十兵衛! どこの馬の骨とも判らん
「ッ…然様…じゅう、べい」
抱き締めた若君の身体は、十兵衛と殆ど変わらないような熱を帯びていた。そして、じわりと小便のにおいをさせて、足を濡らしていた。
「……天目屋の、言うとおりだ。…今は、まだ……余は」
こくりと喉を鳴らし、篤実は唾を飲み込んだ。
「そなたに食い殺されるわけには…いか、ない。…まだ、ここで、は」
己の袖を掴む手が震えていた。後ろから肩を掴んだ爪の尖った手は天目屋の物だろう。
「…わかぎ…み…」
全身をぶるりと震わせ、漸く腕の力を緩めると途端に後ろから頭を思いっきり殴られた。振り返ると天目屋がもう一度十兵衛の顎を下から殴った。
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