第三夜 冠を脱いだ者
十 十兵衛、燃ゆ
大工に加えてその嫁も、と按摩を頼まれ、十兵衛が客の家を出たのはすっかり日が暮れてからだった。と、なると気にかかるのは家に残してきた若君のことで、杖を突きながら自宅へ帰る足も自然と急いだものになった。
「おう、十兵衛! なんじゃそんなに急いで」
「…いや、見ての通りだ。爺さん」
急いでいるのである。
しかしそんなときに限っておしゃべりが好きなすきっ歯の爺さんに捕まったりもする。
「お~呼び止めてすまんのう。ああ、たくあんと茄子の漬物持ってくか。それと、これ、納豆も持ってけ。この前の礼じゃ」
急いでいるのである、が、食料を貰えるとなると無碍にも出来ぬ。何せ十兵衛は庵で一人暮らしの盲であるし、戦で大手柄を立てた男。集落の村人達に普段から慕われていた。
「そういや十兵衛、きいとくれよ」
「いや、悪いが儂はそろそろ…」
すきっ歯の爺は十兵衛に分ける食い物を風呂敷に包んで十兵衛の左手に握らせながら長話になりそうな気配を滲ませる。
「やや、聞いといた方がええ。今日、天目屋が帰ってきたぞ」
「……
「おお。儂らに挨拶もそこそこに、お前さんの庵に行ったわい」
「そりゃあ毎度のことだが、もうそんな季節か」
「じゃからこれは天目屋の分じゃ。ああ、それと後で何時もの薬を頼むと伝えておいてくれんかの」
包みが増える。すきっ歯の爺は佃煮と餅も十兵衛に持たせたのだった。
漸く帰宅しようとした十兵衛は、庵に近づくにつれ強まる妙な臭いに顔をしかめた。
「まったく…もう店開いてんのか竜比古兄は………」
それは十兵衛にとって春の恒例行事と言えた。
寒さを嫌う天目屋は両親を亡くし大人になった後、いつしか寒さが訪れると国の南へ向けて旅をして、薬を売り、また材料を仕入れながら雪が融けた頃に集落へ帰って来る生活を送るようになった。集落に帰ってくると真っ先に十兵衛とおトキの元へと顔を出し、というか庵の中で、まるで我が家であるかのように堂々と荷解きする。
「まて、ということは竜比古兄と若君が」
十兵衛は二人が顔を合わせたやもしれぬと気がついて、急いで自宅への道を進む。ざかざかと落ち葉を踏んで進み、戸を開けて庵へ戻ると案の定なにおいが鼻をついた。
しかし、それだけではないのだ。
「――あっ あっ…ん、どう、して ッ」
「どうしてもこうしても、お主が一等わかっとるじゃろうが」
十兵衛は思わず足を止めた。
庵の中から話し声が聞こえる。一つは若君であり、もう一つは約一年ぶりに聞く天目屋の声。
「おれ、はっ は、んぁ……ここまでしろとは言って にゃ ん、ひっ! はぁ…や ぅ、あ゙♡」
「そうか? もう気が狂いそうなんじゃろ。こうするのが手っ取り早い。お主ほどの色狂いが、禁欲でどうこうできる訳もなかろう」
十兵衛は周囲に他の気配が無いか振り返り探った。幸い他に庵に近付く者の気配は無い。厚い胸板の中にある心臓は初めて戦場に出たときよりも早く脈打ち、手足が妙に冷えて感じられた。
「ん、あ 早く だし、て ぅ、あっ ふあ♡」
「出して下さいじゃろうが」
「ん、ひっ ひぅ、あ」
「言え、何が欲しいんじゃ」
「ぁ、ふあぁ――」
若君の声は甘く、切なげに、呼ぶ。雄を呼ぶ。
「こ……だね」
「ほう? そんなお上品な言い方じゃ田舎者の儂にゃわからんのう」
「くっ う、や ひうっ♡ あ 止めない、で」
一歩、十兵衛は後退った。
「こだねとは何じゃ? 言うてみい。言うまでもう動いてやらぬ」
「ッ―― う あ あッ」
冷えた手が今度は燃えるように熱くなった。眉間に皺が寄り、奥歯を噛みしめる。若君と天目屋の荒い呼吸が十兵衛にはまるで耳のすぐ傍に在るように聞こえた。
「――んぽ……じるぅ……」
蚊の鳴くような声で篤実が強請った。
「よおいった」
「ッ〰〰♡ ひ く、ぅあっ!」
二人ともそれ以上声を上げなかったが、手に取るように絶頂の気配が読み取れた。十兵衛は息を殺して頭を押さえ、庵の中に駆け込みたい衝動を抑える。
「は……く……。安心せい。お主から強請ったことも、此処に来るまでお主が何をして居たかも、十兵衛には言わぬ。それと……十兵衛の魔羅がほしくて堪らなくて、気が狂いそうになっとることものう」
十兵衛が手に握りしめた竹杖が、パキンと音を立てて割れた。
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