六 うわさばなし





 十兵衛の集落よりも南東にある宿場町で、半端者の爪牙族が一人、温泉に浸かりながら居合わせた人の男と他愛ない話をしていた。


「へえ…じゃあ、あんまり目立たねえがお前さんもソウガなのかい」

「ああ。父が爪牙で、母が人じゃ。混ざりもの半端者じゃ、子も作れねえんで気儘にあちこちぶらついとるんじゃよ」


 そう言って、青い髪の青年は湯船からざばぁと腕を持ち上げた。およそ肘の先から肩にかけて、目を凝らせば細かな鱗に覆われている。爪の形も、人よりも細く、厚みがあり、鈎状をしていた。


瘋癲ふうてんたぁ良い御身分じゃねえか」

「とんでもねえ。儂は薬売りじゃ」


 白濁した湯をすくい上げ、顔をすすぐ。髪を掻き上げれば隠れがちな頬から首筋の鱗も見えた。


「もっと北の田舎に帰るところじゃがの。ぐるりと都まで行って、売って、仕入れて…。こうして風呂で疲れを取って、次は何時会えるともわからん奴と酒でも飲みながら、ぐだぐだと与太話するだけが楽しみでな」

「なんでぇ、聞いてるとまるで、どっかの隠密みてえだな」

「はっはっ! 儂のような二枚目、隠密には向かんわ」


 薄暗い湯屋の中、薬売りの青年は言いたい放題して笑う。


 そうして、浴槽から立ち上がり縁に腰を下ろし、股ぐらを手拭いで隠した。


「西朝の鬼共は実は人を食べるらしいとか、ある気が触れた殿様の奥方が産んだ子供が、どう見ても人じゃなかったとか、そんな話ばかり聞いとるわ」

「ほう、じゃあお前さん、最近噂の雪女男の話は知っとるか」


 薬売りの爪牙は、湯治客の言葉にほう? と片眉を上げた。


「雪女じゃなく、ゆきおんなおとこ、か」


 ちろちろと、青く細い舌を揺らして薬売りは片胡座かたあぐらを掻きながら、同じく湯船から上がった男の話に耳を傾けた。








 る男が宿場町で、一人の女に袖を引かれて、板切れを見せられた。


『北に行きたいのですが、宿を借りる金が無いのです。お助け下さい』


 女は笠を被って顔の上半分は隠しているが、着物から覗く項は白く、髪は長く艶やかで腰に届いていた。

 聾唖かと思ったが、口がきけぬだけで男が話し掛けると、これが少しも遅れること無く頷いたり首を振ったりする。

 尻は小振りながらもむっちりとした肉がついていて、裾から伸びる足も白かった。その辺りの湯女よりも白い。

 それが、夕暮れの、もう陽が落ちきる寸前の時間に、ぼうっと光って見えるくらいだと。


『金がねえなら身体で払えるか?』


 と、男は下心を隠さずに尋ね、衣の上から尻を揉んでやった。すると女は笠を取って頷いて、くてりと柳の木のように撓垂しなだれ掛かってくるではないか。


 前金代わりにと、男が女の手を引いて物陰に連れ込むと、女は目の前にしゃがみ込んで、男が逸物を取り出すよりも先にがっついて褌の上から股ぐらにしゃぶりつき始めてしまう。


 こりゃあ良い拾いモンだと、男は其処からされるがまま。なんたって女が全部勝手にやってくれる。褌から逸物を取り出すのも、手筒で扱くのも、蕩けるように熱い口に飲み込んで、舌で包み込むのもだ。終いには鼻の下を伸ばして口をすぼめながら、喉管まで使って魔羅をしゃぶり上げる。裏筋の良いところは心得ているわ、ふぐりの裏まで舐めるわ、顔に縮れ毛をへばりつかせて股ぐらから離れぬ。それだというのに、行儀良く膝を揃えて閉じているものだから、男の方は一寸した悪戯心が湧いた。

 子種を出してふにゃふにゃと柔くなった逸物を未だしゃぶってる女の膝の間に、足を入れた。女の方もゆっくり足を開いて、ビクビクと、満更でない。そんなもの見たら、逸物もまた滾ってしまうのもうなずける。

 ところが、男が足で御陰ほとを捏ねてやろうとしたら、なんと、有る。一人前に褌なぞを締めて、中に、女には無いものが。


『は……ぅ 止――め…るな』


 あんなに旨そうに逸物から子種を啜り、しゃぶり上げて、明らかに出来上がっているにも関わらず、女あらため旅の男の逸物は項垂れたまま、男の役目など皆目果たせそうに無い有様であったと。


『かならず…く、する だから…おれを』


 赤い唇をペロリと舐めて濡らし、物欲しげに見上げながらそうやって男に媚びる。男が名を尋ねると、その色狂いの陰間はか細い声で「ゆき」と名乗る。








「――っていうのが、雪女男の話でさ」


 湯治客の男が語り終え、再び湯船へと身体を沈めていった。薬売りの青年は、顎に手を当てて思案気に相槌を打った。


「なるほどのぉ」

「ひい、ふう、み…四つ前の宿場町で、その雪女男を世話してやったって奴から聞いたんだわ。いやぁ…俺もお目にかかってみたかったのう。しかもこの雪女男が……」


 湯治客の顔を覗き込むように背を丸め、薬売りの男が口を開いた蛇のように笑った。


「次の日には忽然と部屋から消えてるってオチじゃろうか」

「そうそう。なんだ、知っておったなら言わんか」

「ハッハッハッ。その上男の金にも手を付けん変わり者じゃろ。南の村で、何度か聞いたのぉ」


 薬売りは立ち上がり、手拭いを絞ると一足先に湯屋を出て行った。美しい鱗に覆われたその背中を追い掛けるように、男が尋ねる。


「薬売りの若旦那よ、折角だ。名前ぐらい教えてくれても良いんじゃねえか」

「おう? 儂か」


 衣の上に置いた色付きの丸眼鏡を掛けた薬売りは振り返り、湯屋からの言葉に応える。


天目屋てんもくやじゃ」


 唇から青い舌を覗かせ、男は笑った。身支度を調えると、身体を冷やさぬように毛皮を着込む。提灯を手に表に出れば、夜の空には満月が山の間に浮かんでいた。


「ゆきおんな、おとこ……去年儂が都に行くときは、そんな噂話はあったか? いやぁ…聴くようになったのはここ最近じゃな」


 幸い風は弱く、天目屋は足元を照らしながら夜道を歩く。カラコロと下駄が時折小石を蹴り飛ばした。


「その雪女男が北に行くなら、ひょっとしたら儂ともすれ違うかもしれんなぁ……十兵衛にも教えてやるか」


 天目屋。蜥蜴の形質を持つ爪牙族の血が半分だけ流れるこの男は、大神十兵衛と旧知の仲であった。

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