第2話 隠された怨念


「シゲ、遅いね」


 僕は言いながら自動販売機に群がるを手で払って硬貨を入れ、ボタンを押す。直後にガコン、と落下音がした。

「どうせビビって家から出られねーんだよ、アイツは」とゲンちゃんがき下ろすように吐き捨てる。

「それか夜中に抜け出してママに怒られるのが怖いのか、だね」と言ってから曽根くんは「ね、ゲンちゃん?」とゲンちゃんにおうかがいをたてた。


 缶ジュースに口をつけて、ぼんやりしていると、ヒロが「じゃあさ」と声を出す。「あと5分待って来ないなら俺らだけで行こうか」

 

 そもそも僕はこの『肝試し』にゲンちゃんが誘ってきた時、あまり乗り気ではなかった。だけど、ヒロが「面白そうだな。悠太も行こうぜ」と無邪気な笑みを僕に向けるものだから、つい誘いに乗ってしまったのだ。

 だって、ヒロと遊ぶのはいつも楽しいしさ、と心の中で自分に言い訳を唱える。ヒロは賢くて合理的で、いつも僕なんかじゃ思いもつかない遊びを教えてくれる。人に合わせてばかりいる僕に、ヒロはいつも「流されるな。自分の頭で考えろ」と口癖のように言った。賢くて意志が強いヒロは僕の憧れの存在でもあった。


 5分が経過し、仕方ないシゲは置いて行くか、と皆が腰を上げた時、「おーい」と声が聞こえた。見ると、シゲがこちらに手を振って駆けて来るところだった。


「お、ビビりが来た」とゲンちゃんが笑うと、曽根くんも「おうビビりィ」と茶化す。

 シゲは「び、ビビりじゃないって! ママ——お母さんが遅くまで起きてて抜け出せなかったんだよぅ」と情けない声を出す。

 「とにかく揃ったなら例のトンネル向かおうぜ。たしか西側のトンネルだろ?」ヒロが絶妙なタイミングで誘導してくれたので「そうだね、早く行かないと時間過ぎちゃうよね」と僕もそれに乗っかった。



 ♦︎



 トンネルはそう長くない。上下左右をコンクリートで固められた真四角の穴が、せいぜい50メートルばかり続いているだけの簡単な造りだった。

 にもかかわらず、トンネルの向こう側は全く見えない。濃い霧がかかっているのだ。

 頼りない外灯だけ、という薄暗さと濃い霧とが合わさって、トンネルの向こうはおろか、10メートル先だって見えない程だった。


 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

 外灯が、てんてんてん、と小さく鳴って照明が点滅し消えかかると、無意識にビクッと肩が跳ねた。僕はびっくりしていたところを誰にも見られてないか、こっそり確認する。


「雰囲気あるなー」と言うヒロはやはりどこか余裕があって、僕はまた少しヒロに憧れる。

「ふん。こんなの大したことねぇだろ」とゲンちゃんが対抗するように応じた。

「誰から行く?」とヒロが訊ねる。

「え! 一人ずつ行くの?!」シゲがのけぞった。

「そりゃそうでしょ。皆で行ったら、誰の『本当の自分』が出てくるか分からないじゃん」とヒロが頭の後ろで手を組んで答えた。


「なら、一番余裕そうな——」


 ゲンちゃん、とおそらくシゲは言おうとしたのだろう。だが、それよりも早く、ゲンちゃんが「——ここは男らしくジャンケンで決めようぜ」とシゲの提案に重ねるように言った。

 いったいジャンケンのどこに男らしさが象徴されているのかは分からないが、ヒロが「確かにその方が面白いよな」と賛同したので僕もそれにならった。




 


 結局、トップバッターは一番遅くに来た一番頼りない男、シゲになった。シゲはアリのような焦ったい足取りでトンネルに入って行く。

 誰も言葉を発さない。耳を澄ませて、何か一つでも情報を、と備えているようだった。

 ジー、ジー、という虫の声と、時折、外灯が点滅する音が鳴る。

 だが、それだけだ。もう20秒は経とうというのにシゲの悲鳴もなければ、次の人を呼ぶ声もない。


「そろそろ行っていいかな」と今度は2番手のヒロがトンネルに近づく。トンネルに入る前にこちらに振り向いた。「あ、俺もシゲにならって次の人呼ばねーから。その方がスリルあるだろ? 左側の階段のとこで待ってるわ」


 それだけ言い残して、ヒロは特に臆することなくスタスタと霧の中に消えていった。

 また10秒、20秒と経つ。次は僕の番だった。

 よし、と心の中で気合いを入れる。ゴールでヒロが待っているんだ。醜態しゅうたいはさらせない。

 僕がなるべく勇ましく見えるように歩いてトンネルに入ろうとした時、後ろから声が聞こえた。


「ごめん! 遅くなった! ママがなかなか寝なくてさ」


 僕はゆっくりと振り向き、言葉を失った。

 シゲだった。まるでたった今やって来た、というような様相ようそうで手を合わせてゲンちゃんにびていた。


 ぇ……じゃぁ、ときりふさがれたトンネルにもう一度顔を向ける。背筋が凍った。


「さっきの……シゲは、誰……?」


 シゲ以外の全員が顔を引きらせてトンネルに目を向け、黙りこくる。

 シゲは一番にトンネルに入って行ったはずだ。あのシゲは、何なんだ。どう見てもシゲだった。どこからどう見てもいつも通りのシゲだったのに。


「ふ、ふざけんな!」と沈黙を破ったのはゲンちゃんだった。「お前、俺らにからかわれたのが気に食わなくて、俺らを騙してんだろ!」


 シゲは「え! え?! 何のこと?!」と僕らの顔をキョロキョロと均等に見回しながら、戸惑いの色を浮かべていた。

「でも、トンネルの向こうから回り込んで僕らの後ろを取るには、早くても5分はかかるでしょ? シゲがトンネルに入って行ってからまだ1分くらいだよ? いくらなんでも1分でここまで戻るのは無理だよ!」僕は自分でも意外だったが無意識にまくし立てていた。


「なら……なら、あのシゲは何なんだよ!」


 僕がゲンちゃんの質問に答えられないでいると、シゲが脈絡みゃくらくなく「ところでヒロはどこ?」とたずねた。


 僕は脳を思い切り叩かれたような思いだった。

 そうだ! そうだった! ヒロ! ヒロが危ない!

 僕は慌ててトンネルに片足を踏み入れるが、次の一歩が踏み出せなかった。

 心臓がまるで自分とは全く無関係の生物のように荒々しくと脈打つ。呼吸が苦しい。上手く息を吐けずに、連続的に鼻で吸っていた。

 足が石にでもなったように動かない。

 友達が危ないというのに、僕は助けに行くこともできない。情けなくて俯く。


 シゲがいつの間にか隣にいた。僕の肩に手を置き「皆で一緒に逝こう」と言った。

 僕らは4人固まってトンネルに入る。一人ではすくんだ足も皆とならなんとか動かせた。


 トンネルの中は暗くて少しカビ臭い。

 虫の音は途絶え、コンクリートを歩く音が4人分、重なって聞こえる。

 7月とは思えないひんやりとした空気がトンネル内に満ちている。まるで外から隔離された空間を歩いているようだった。

 やがて、霧を抜けて、同時にトンネルも抜ける。特に何も起きなかった。


 もしかしてヒロも何事も起きず、普通に例の左側に進んだところの階段で待っているのかもしれない。

 そう思って、左に歩みを進めようとして、シゲが口を開いた。


「待って。何かおかしい」眉を寄せて顔をしかめたシゲが僕らを順番に見る。「左の通路の先からヤバい空気が流れてる。右に行こう。ヒロも多分こっちだ」


 そう言ってシゲが右に進む。

 ゲンちゃんと曽根くんも続く。

 僕もついて行こうとして、頭の中で声がした。



 ——流されるな。自分の頭で考えろ。



 それはいつも耳にタコができるほどヒロに言われる言葉。

 そうだ。考えろ。

 シゲはこんなに先頭を切るほど勇敢だったか? 霊感がある、なんて話あったか?

 そもそもシゲの言っていることの根拠はなんだ? ヒロが約束と違う道を行った根拠は?


 僕はそっとシゲに視線を向け、血の気が引いた。

 シゲは笑っていた。口角を釣り上げ、歓喜を押し殺すように。

 不意にシゲと目が合った。

 スッとシゲの表情が消える。そして僕を掴もうと腕を伸ばして来た。

 僕は咄嗟に後ろに身を引いて尻餅をついた。シゲの手はすんでのところでくうを掴む。

 その後は無我夢中だった。立ち上がってがむしゃらに駆けたんだ。左側の約束の階段の方へ。


「え、悠太?!」「なんだなんだ! なんだよ! 出たのか?」と階段に座る本物の・・・シゲとヒロの手首を掴んで、階段を駆け上がり、コンビニまで一気に走った。



 ♦︎



「まじかよ……」


 一部始終を聞いたヒロは珍しく顔を青くして目を見開いた。


「じゃあ、何か? 後から来たシゲが偽物だったってことか?」とヒロが言う。

 僕は俯きながら頷いた。「本物のシゲ——今ここにいるシゲだけど、シゲがトンネルに入って行った後、僕らはずっと偽物のシゲと行動を共にしていたんだ。先に行った本物のシゲを偽物だと思って、ね」

 シゲが宙を見つめて考え込んでいる様子だった。

 ヒロがまた口を開く。「じゃあゲンちゃんと曽根はどこ行ったんだよ!」


 言葉が出ない。出ないのに心の中には弁解の言葉で溢れていた。

 仕方なかった、怖かった、どうしようもなかった、あのままでは皆共倒れになっていた。弁解すればする程、僕は自分が汚い人間に思えて涙が落ちた。


「まぁ、まだ何かあったって決まった訳じゃない。……とりあえず家に帰ろうぜ」とヒロが無理に作った笑みを僕に向ける。

 僕は無言で小さく頷いた。


 帰り際、3人で歩いていると、ヒロが「悠太、お前のせいじゃない。あの状況なら仕方なかった」と僕の背中をさすった。

 僕は泣きながら首を小さく左右に振る。違う。違うんだ、と。「僕は最低な人間だ」と言葉が漏れた。

 またヒロが「そんなことない」と僕を励ましながら歩いた。


「最低なのはボクだよ」と突然後ろから声が上がった。振り向くと、シゲが止まってこちらを見ていた。力無いシゲの笑みは精一杯の強がりだと、震える唇が物語っていた。


「あのトンネルは本当の自分を見せるんだろ?」とシゲが言う。「なら、悠太の見たボクは、確かに偽物だけど、でも奴こそがボクの中に眠る『本当のボク』でもあるんだよ」


 シゲの強がりの笑みはとうに崩れていた。そこにあったのはぐしゃぐしゃの泣き出しそうな顔。懺悔ざんげの顔だった。


「ば、ばか。そんな訳ないだろ。友達に危害を加えようとするのが本当のお前だなんて——」

「——ボクは」とシゲがヒロの言葉を遮る。





「ボクはいつもボクをいじってくるゲンちゃんと曽根くんが大嫌いだった。殺してやりたい、と思うくらいに。実際に妄想の世界ではもう何回も殺してる。それは——」


 シゲがゆっくりと腕を上げ、僕を指差した。


「——悠太も同じだよ。悠太のことも……殺したい程、憎んでるんだよ……ボクは」


「なん……で」かろうじてそう言えた。僕はシゲに嫌われているなんて全く知らなかった。大切な友達だと思っていたのだ。それなのに——。

 

「ゲンちゃんにも、曽根くんにも、そしてヒロにも好かれてる悠太が許せなかった。大した取り柄もないくせに、八方美人で誰にでも良い顔をする悠太がボクは大嫌いだったんだ」


 シゲが許しを乞うような、あるいは痛みにえるような顔で「だから」と告げた。


「だから、『本当のボク』がキミ達を殺そうとした。ボクが……殺したんだ。ゲンちゃんと、曽根くんを」


 そう言って泣き崩れるシゲはとても人をあやめられるような人間には見えなかった。そこにはどこにでもいる心の弱い平凡な小学生がいるだけだった。




 ♦︎



 あれから3ヶ月がたった。すっかり夏も過ぎ去り、近頃は長袖を着ることも多くなった。

 結局、ゲンちゃんと曽根くんはあの日から行方が分かっていない。

 僕らはあの後、何度も事情聴取を受けた。もちろん本当のことを話したが、信じてはもらえなかった。


 シゲとはあの日から会っていない。僕は自分を殺したい程憎んでいるシゲとまた仲良くする勇気は出なかった。

 でも、このままではダメだと分かっていた。だから僕は時々、シゲの家の近くまでこうしてやって来るのだ。

 シゲの家のシゲの部屋、2階の窓を見る。カーテンが閉まっていた。

 時間が止まってしまったかのような、孤独な寂寥せきりょう感におそわれる。

 じっと見ていると、ふとカーテンが揺れた気がした。


「悠太」と声を掛けられたのはその時だ。

 振り向くと門の前にシゲがいた。



 体が強張こわばる。手がじわっと嫌な湿り気を帯びて、凍ったように冷たくなる。

 逃げちゃダメだ、と自分に言う。逃げる僕、怖がる僕は本当の僕じゃない。本当の僕は——僕は本当はシゲと仲直りしたいんだ!


「シゲ!」と叫んだ。



 やっと……やっと言える。

 ごめんね。シゲ、ずっと避けてごめん。キミは最低なんかじゃない。


 そう言うんだ。





「やっと」と言ったのはシゲの方だった。

 僕はシゲに目を向ける。








「やっと見つけた」


 そう言ってシゲは嬉しそうに笑った。

 

 

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