トラウマ・脳内ダイレクト

柴田 恭太朗

第1話

 オレは中学校の教師。

 今日はとある研究所で行われる試写会に来ていた。試写会といっても娯楽映画ではない。学校の防災訓練で使用する教育ビデオだ。


 大学時代の友人が斬新的なシステムを開発したという。今年、防災訓練の担当を任され、教育ビデオの選定に悩んでいたオレには渡りに船である。もし学校で利用できるようなものなら採用したいと思った。さっそくその出来栄えをチェックしに訪れたというわけである。


 友人からLineで送られてきた住所へ足を運ぶと、その建物はすぐに見つかった。研究所の名称が『トラウム・ブレインダイレクト』であることを初めて知った。教育ビデオが目的のオレにとって研究所の名前など、どうでも良かったからだ。


「ようこそ我が研究所へ」

 オレを出迎えた友人は黒いマスクをつけていた。目にはゴーグルのような花粉対策メガネをかけている。そうだ、彼は大学時代からひどい花粉症だった。

「元気そうだな」

 オレは懐かしさに思わず笑みがこぼれる。


 ◇


「離さないで!」

 少女の叫び声がオレの耳元で聞こえる。

 ハッと我に返ると、オレの右腕は彼女の腕を握りしめていた。重い。片手で支えられる重さではなかった。汗で手のひらが滑りそうになる。少女の体を落とさないよう、オレは手首を強く握りなおした。


 ここは地震で傾いたビルの屋上のへり。地上は朱に燃え盛る火の海。手を離せばたちまち彼女の体は地上へと落下し、命は助からないだろう。


「先生助けて、お願い」

 少女は声を絞るように救いを求める。よく見ると少女は、オレが受け持つクラスの萌絵もえだった。もっとも優秀で、もっとも美しく、そしてもっともオレになついている女生徒だった。


「萌絵!」

 オレは少女の体を引き上げるべく知恵を巡らせる。周囲を見回しても、ざらつたコンクリートの屋上に、手掛かりになるようなものは何ひとつ存在しない。絶望的な状況だ。


 オレはこのまま萌絵の体を引き上げることにした。日ごろ、スポーツジムで鍛えている腕力がものを言うだろう。60キロの握力は伊達ではない。


 右腕に渾身の力をこめた。前腕と上腕の筋肉が音を立てて盛り上がる。

 ミチッっと音がした。手には骨がつぶれる感触。

「痛い!」

 萌絵が大きな目をさらに見開いて叫ぶとともに、彼女の体がゆっくりと地上へ向かって落ちてゆく。涙をためた少女の眼がオレの顔を見つめている。遠ざかる萌絵の姿はスローモーションのように地上の炎に飲み込まれていった。


 オレは右手に残された手を呆然と見つめた。

 萌絵の長く優美な指は百合の花がしおれるように、くたりと力なく閉じて動かない。

 

(つづく)

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トラウマ・脳内ダイレクト 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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