はなさないでほしい、それだけ
木曜日御前
はなさないで
「
白木で出来たダイニングテーブル。緑の印字が特徴的な紙を前に、黒いボールペンを握った男が座っている。中肉中背、顔色は悪く、ネイビーのスーツはどこか草臥れていた。
男の向かい側には、目を酷く腫らした女が椅子に座っていた。女の服装は寄れたスウエットにジャージ、彼女の目の下には黒々としたクマがくっきりと主張していた。
「貴方次第よ」
忌ま忌ましい。小さな震え、怒りの中から振り絞られたのが男にも伝わったのか、男は下唇にぐっと力が入る。
「俺だって、家族のために頑張って仕事して」
「貴方次第って、言ったよね」
言い訳なんか聞きたくない。男は冷や汗を流しながら、ぐっと堪えて続きの言葉を飲み込んだ。
暫しの沈黙。男が手に持つペンの先は、紙の上で僅かに。
ひしひしと痛いほどの沈黙は、一体どれくらいだろうか。一瞬か、永遠か。
打ち破るのは、言い訳を紡ごうとしていた男では無く、意外にも女であった。
「私、難しいこと言った?」
怒りと、悲しみ。女の中の感情がぐちゃりと混ざった。
「外に行くなら結衣から目を離さないでほしいって、それだけよ」
「すまない、まさか、目を離した隙に」
「
「お互い遊びだったのに、まさかあんなヤバイ女だったなんて」
「だから? 浮気も、結衣を危険な目に遭わせた事も、何したって変わらないわ!」
女はテーブルを叩いた。テーブルがぶるぶると揺れ続けるほど強い一打だった。
「なあ、もう一度、俺にチャンスを。もう二度としないから」
目に涙を浮かべた男は、女を見上げる。それが通じる時期はとうに過ぎていた。
「話さないで、これ以上貴方に失望したくない」
苦々しいものを噛み潰したような呻り声。
「父親として、貴方が唯一出来る事は」
「もう二度とあの女が私たちの前に現れないよう」
「放さないでほしい、それだけ」
冷たい眼差しに、男は泣きながらペンを握り直した。
はなさないでほしい、それだけ 木曜日御前 @narehatedeath888
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