母は「はなさないで」と書いた
暁太郎
日記にて
私が大学生で小説家としてデビューしてすぐの事だった。母が交通事故で呆気なく死んだ。物静かでいつも柔らかく私に微笑みかける、そんな人だった。
遺品を整理していた時、母の日記を見つけた。母の残滓を少しでも掴みたくて、私は何冊にも渡る10年分の日記を読み耽った。
読めば読むほど母が隣にいる気がして、思わず涙ぐんだ。
そして、最後のページにたどり着いた時、私は眉をひそめた。
そのページは殆どが破られていた。ただ残った行に一つ「はなさないで」と書かれている文章があるのみで。
一体、何を離さないで、なのだろう。
母は最後の日記に何を遺したのだろうか。
私は母の事を思い返した。
もともと母は父と共に私の進路として看護師を勧めていた。実際父は医者で、母も看護師だった。医療系の家系だったのだ。
でも、私には一つ夢があった。本を書いて、それを売ること。小説家になること。親子の仲は良好だったが、それでも、画一的な将来を求められているのは息苦しさがあった。
家にたくさんの蔵書があった故に、自然と本を読むのが習慣となっていた。
そして私も自分の想いを世界に広げたいと強く願うようになった。
大学は文学部を選びたいと両親に願い出た。母は悲しそうに目を伏せて、父も私を改めるよう諭していたが、私の頑固とした意思を受けて、とうとう二人の方が折れた。
大学で本格的に文学を学び、四回生の時に私は新人賞に受賞した。
父も母もこの時ばかりは一緒に喜んでくれた。
喜んでくれた?
私の中で何かが繋がっていく気がした。
家の蔵書は殆どが母のものだった。母も本が好きだったのだ。
母も両親の希望で看護師になった。
でも、本当は私と同じように小説家になりたかったとしたら――。
「貴女『は成さないで』」
不意に母の声が聞こえたような気がした。
私は日記を閉じ、ダンボールの中にそれをねじ込んで、封をした。
声を振り払うように部屋を出る。
私があの日記を読み返す事は生涯ないだろう。
母は「はなさないで」と書いた 暁太郎 @gyotaro
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