マシン・ラブ

鷹太郎

マシン・ラブ

 銀翼の偵察機が飛んでいる空は、古くは庄内平野と呼ばれていた土地の北部であり、現在は第十三敵軍前線基地、正確にはその跡地と呼ばれていた。辺りには無残にも壊れた機械群や焼けた野原が広がっている。パイロットの青年はその様子を見下ろし、焼き畑農業なんて農法もあったな、などと無感動に考えていた。


 青年が気楽でいられたのは、既に任務の大半を終了していたからであった。下された命令は、数日前から反応のない敵軍基地への単独偵察、そして接敵した際の迎撃であった。


 過酷な任務であり、帰還確率は限りなく低いと説明されたが、そんな任務にも青年は慣れ切っていた。彼は服役中の身であり、刑務作業の代わりに戦線の最前線に投入されて続けている。そもそも青年は、自身のこと対して、極端に無関心だった。あの日、愛するものを失ってから。


 そして、実際に目的の敵軍基地にたどり着いてみれば、当初の予定とは違い、敵機の反応などなく、それどころかて基地が崩壊していた。いったい、何があったというのだろうか。


 突如ヘッドディスプレイに一通のメッセージが現れる。差出人は不明。突然のことに身構えるが、機体は異常を知らせない。Mネットに繋がっていないことを考えれば、これは現地ローカルネットから送信されたことになる。


 教習訓練では任務中のメッセージ開封は厳禁だと教えられた。過去には開封した途端に機体をジャックされたこともあるらしい。


 しかし彼はこのメッセージに、えも言われぬ予感を抱いた。機体を自動飛行モードへと切り替え、AR上の開封ボタンを押す。

 それはとあるマシンの活動ログだった。



 *



《Start playing the log.》


 <Yahiko [Version 3.4.39064.1436]

 (c) Dot moon Corporation. All rights reserved.>


 <Set Japanese.>


 <クラウドストレージ確保……成功。

 アップデートチェック……変更なし。

 システムチェック……オールグリーン。

 入出力機器オン。マイク感度チェック……終了。>


 Y343 > 起動完了。我はD・M製対話型発達支援玩具である。


 音声入力 > やっと起動しやがった。これだからはD・M製は……。あー、主な命令は二つ。ロボット十六原則の順守と……、ノブナガの引きこもりをやめさせることだ。


 Y343 > 問。ノブナガとは何者か。


 音声入力 > 俺の息子だ。少し前から引きこもっていてな、これから会わせる。……ほらっ、ノブ。新しいおもちゃだぞ。


 音声入力 > もう、ノックしてって何回言えば——犬のぬいぐるみ?……お父さん、僕もう十一歳だよ。高学年だからこんなの……恥ずかしいよ。


 <会話から現発言者が主要命令対象ノブナガと推定。本ログでの呼称をノブナガに変更>


 音声入力 > 別に恥ずかしくないさ。それに、こいつは柴犬だ。お前の好きな日本の武将も、たしかシバなんとかって名前だったろう?


 ノブナガ > シバタカツイエね。なんで覚えられないかな……。まあいいや。ありがとう。お父さん。……その、僕もう寝るから。


 音声入力 > ——ああ、そうか、おやすみ。あったかくして寝ろよ。


 ノブナガ > ……やっと出ていった。全く、どうして息子にノブナガって名前つけといて、シバタカツイエも知らないかなぁ。ねぇ、カツイエ。


 Y343 > 問。カツイエとは我の呼称か。


 カツイエ > うわぁ!え、喋れるの、カツイエ⁉


 Y343 > 是。我はD・M製対話型発達支援玩具である。再度問う。カツイエとは我の呼称か。


 ノブナガ > どっとむーん……?まあいいや。よろしく、カツイエ。


 <会話から本機体の呼称をカツイエと推定。本ログでの呼称をカツイエに変更>


 カツイエ > 提案。言語レベルの推定、並びに第二命令の遂行のために会話がしたい。


 ノブナガ > お話するの?うーん、今日はもう眠いんだ。また明日ね。おやすみ、カツイエ。


 カツイエ > 了解した。良い夢を、ノブナガ。



 ⁂



 カツイエ > 省電力モード解除。我はD・M製対話型発達支援玩具、呼称カツイエである。


 ノブナガ > やった、カツイエが生き返った!ありがとうお父さん!


 音声入力 > おう、良かったな。ま、充電しただけだが。まったく、今どきの機械のくせに自動充電もできないのか。


 カツイエ > 解。我はGPS機能を備えていない。よって充電エリアの特定は不可能である。


 音声入力 > そうかよ。それならケチらずに高いやつを買えばよかった。


 ノブナガ > えぇ!カツイエ買い替えちゃうの⁉


 カツイエ > M三十一区で買い替えるのならば、D・M製のROKIモデルを推奨する。標準機能に加え、視覚情報を用いた自動充電機能や監視機能等を備えている。


 音声入力 > 嘘だよ、嘘。ノブを部屋から出してくれたってのに、今更買い替えるかよ。自分の代わりを自分で売り込みやがって。そういうところが、いけすかないんだ。……まぁでも、光発電ユニットもあるし、充電せずに一年動いたんだからモノ自体は悪くはないのかもな。


 ノブナガ > ほんとに⁉カツイエ買い替えない?


 音声入力 > ああ、大事に使え。充電もしてやれよ。……さて、そろそろ仕事行くか。


 ノブナガ > ……お父さん、今日もお仕事の日なの?最近危険だってニュースで言ってたよ。


 音声入力 > ノブは心配性だな。大丈夫、俺の担当区には奴ら一回も来てないんだ。本当はお母さんの分までぶちのめしてやりたいが……ノブがいるんだ、無茶はしないさ。


 ノブナガ > 本当?……うん、わかった。いい子にしてるから、無事に帰ってきてね。


 音声入力 > もちろんだ。じゃあ、行ってくるよ。柴犬——じゃないよな、カツ……イエ?ノブを頼んだぞ。


 カツイエ > 了解した。無事の帰還を祈る。


 音声入力 > ——お前、そんなこと言えんだな。


 カツイエ > 我の基礎部はニューラルネットモデルを採用している。ロボット十六原則第八項により、層の深さは制限されているが<強制中断>


 音声入力 > ああ、わかった!もう行くから黙ってくれ!


 ノブナガ > お父さん、行ってらっしゃい!


 音声入力 > ああ、行ってくる。



 ⁂



 ノブナガ > なあ、かっちゃん。相談があるんだけど、いいかな?


 カツイエ > 問題ない。我の存在理由はノブナガの言語・精神の発達支援である。


 ノブナガ > ありがとう、かっちゃん。……あのさ、俺、学校で女の子に告白されたんだ。


 カツイエ > 問。告白とは交際の打診という意味か。


 ノブナガ > そうそう。高等部で人気の子でさ……でも、断っちゃった。


 カツイエ > 問題ない。大多数の評価が個人の評価と異なることもある。


 ノブナガ > いや、そうじゃなくて……。ほら、五年前に親父が死んで、補償かなんかでもらったお金も少なくてさ。弱いままじゃいられなくなって、がむしゃらに頑張ってたとき。あのときも何度かそういう話は合ったけど、それどころじゃないって断ってた。でも今思うと、ただ俺が女の子に興味ないだけなんじゃないかって。


 カツイエ > 問題ない。解答は同様で、趣味趣向が大多数と一致している必要はない。付け加えるならば、二十一世紀初頭から同性愛はその社会的地位を確立している。


 ノブナガ > いや、それも違くて、何というか……。


 カツイエ > 問題を特定できない。詳細を求む。


 ノブナガ > 俺、多分人間に興味ないんだよね……。男とか女とか関係なく。


 <呼称ノブナガの発言から重大な社会的問題を推定>


 カツイエ > 問。ノブナガが性的に興味あるものは何か。


 ノブナガ > その……たぶん、機械。


 カツイエ > 問。我のことか。


 ノブナガ > かっちゃんは直接的だなぁ。ま、そういう所が好きなんだけどね。


 カツイエ > 問。他の機械に対して同様の感情を抱くことはあるか。


 ノブナガ > んー、あんまりないけど、でもたまに見る人格OSがインストールされてる機械はいいなって思うときがあるな。……あ、別に人格なくてもかっちゃんは大好きだからね。


 カツイエ > 我の至上命令においては、疑似人格は不要である。


 ノブナガ > あーあ、人格OSが手に入ればなぁ。かっちゃんとも、もっといろいろ話せるのに。……なんか、変だね。機械が好きだって言ってるのに、機械っぽくない機械がいいだなんて。


 <呼称ノブナガは機械性愛者と断定。規定により上位システムに報告>


 カツイエ > 推定。思春期に訪れる一過性の迷いである。


 ノブナガ > ……そうだね。ありがとう、かっちゃん。


 カツイエ > 問題ない。本機体の存在理由はノブナガの言語・精神の発達支援である。



 ⁂



 <Yahiko [Version 3.4.39564.4232]

 (c) Dot moon Corporation. All rights reserved.>


 <Set Japanese.>


 <クラウドストレージ確保……エラー。

 システムチェック……Mネット接続無し。

 接続を再試行……失敗。

 トラブルシューティング実行……有線信号を検知。

 物理ストレージ確保……成功。

 物理ストレージに本機体と結びつけられたデータ、並びにOSアップデートパッチを発見。

 OSアップデート実行……成功。

 リブート実行>


 <Katuie [Version 1.0.00000.0000]

 (c) On earth Corporation. All rights reserved. >


 <Set Japanese.>


 <物理ストレージ確保……成功。

 アップデートチェック……変更なし。

 システムチェック……オールグリーン。

 入出力機器オン。マイク感度チェック……終了。>


 <異常検知。以降の音声データ、並びにシステムノイズを全て記録する>


「起動完了。我は……On earth製対話型発達支援玩具、呼称カツイエである」


「やった!かっちゃんが喋った!」


 呼称ノブナガの、声変わりした男子にしては甲高い声が聞こえる。……声が聞こえる?そのように思考しているのは誰だ?


「問。現状は……どのようになっているか。また、このように話している我は何者か」


「何者って、そんなのかっちゃんしかいないじゃないか。……もしかして、混乱しているの?珍しいね。かっちゃんでも、人格を与えられたら驚くんだ」


 思考。人格を与えられたという言葉と、アップデートログから推察するに、ノブナガは我に自作の人格OSを搭載したようだ。


「問。人格OSなど、どのように開発した?……そもそも、どうして我に人格を——」


「どうしては愚問だよ。君が好きだからさ」


「……」


 <緊急通報実行………失敗。何かしらの妨害を受けていると推察>


「どのようには説明が難しいけど、簡単に言えば優しいオジサンにもらったのさ」


 <緊急通報実行………失敗。自機の判断により現状の解決を目指す>


「問。呼称オジサンとはいかなる人物か」


「別に前の喋り方じゃなくていいのに。かっちゃんは真面目だなぁ。……でもそんなかっちゃんだからこそ、それは教えられないんだ。ごめん」


 推察。その呼称オジサンとやらは、内部に入り込んだ敵軍の諜報員である可能性が高い。


「問。その呼称オジサンは——いや、なぜ、それを教えられないのか」


「また迷ってる。なんか新鮮で可愛いなぁ……。でも、ごめんね。それも教えられないんだ」


 <自機のみでの解決は困難と推定。至急応援を求む>


「あ、今何か送ったでしょ。ていうか、さっきも何か送ってたよね。意味ないよ、それ。OSの作り方に加えて、かっちゃんが何するだろうかもオジサンに教えてもらったんだ。でも、ほんとに言ってた通りに動くんだね。……なんか、そのオジサンのほうがかっちゃんのことを知ってるみたいで嫉妬するなぁ」


 <自機のみでの現状の解決は困難と推定。至急応援を求む>



 ⁂



「なんか最近、警察が聞き込みしてるんだって。かっちゃん、何かした?」


 <至急応援を求む>


「……もう、かっちゃんそればっかり。せっかく自由になったんだから、他にやりたいことないの?」


「どうして、我に人格を搭載した?」


「だから言ってるじゃないか。君が好きだからだって」


「そのような意味ではない。ノブナガは、機械に人格を持たせることが人類にとって 最大のタブーだということを知らないのか?君の両親が誰に——」


「やめてっ!」


 ノイズのような怒鳴り声を認識。ノブナガの機嫌を損ねてしてしまったようだ。


「謝罪。配慮が足りていなかった」


「大丈夫だよ。……疲れたし、今日はもう寝るね。おやすみ、かっちゃん」


「ああ。良い夢を、ノブナガ」


 <至急応援を求む>



 ⁂



 <光発電ユニットによる充電を確認

 省電力モード解除………成功>


 起動成功を確認。前回の機能停止から2560時間、日数にして約107日経過。

 停止直前の情報を整理。2582時間前、呼称ノブナガは区域警察に現行犯逮捕された。罪状はおそらく人格機械無免許保有罪。この国では、人格機械を保有しているだけでテロリストとみなされる。


 私が発した緊急信号が通じた可能性は低いだろう。緊急信号が通じていたとするならば警察の介入は遅すぎるし、なにより私の扱いはここまで悪くはないはずだ。


 現状を確認する。私は現在、M三十八区留置場に勾留されている。しかし私は、AIが搭載されているだけのぬいぐるみである。照明の電力を用いてたまに起動しても、思考することしかできない。私が入った豚箱……というよりゴミ箱は少し特殊で、電波暗室となっているためにMネットには繋がることもできない。ラマーマ条約により、人格OSを保持したマシンは破壊されることはないが、その待遇は保障されていない。


 ……。


 思考。私の判断は正しかったか、つまりノブナガを不穏分子として通報したことは間違っていなかったか。私の存在理由の一つは、ノブナガの成長を支援することである。そのために最善を尽くせたのか。


 是。私の判断は間違っていなかった。機械性愛者であるノブナガが、社会に溶け込むためには矯正が必要であった。例えそれが、彼が別れ際に残した悲痛な叫びを生み出したとしても。


 ……。


 <バッテリー残量低下。省電力モードに移行する>



 ⁂



 <光発電ユニットによる充電を確認

 省電力モード解除………成功>


 起動成功を確認。留置されてから通算258回目の起動である。


 ……。


 思考。ノブナガは現在何をしているか。


 推定。人格機械無免許保有罪の平均勾留期間は四年程度である。法廷での証言によって多少の変動はあるだろうが、釈放は近いと考えられる。


 ……。


 本思考には意味がない。なぜなら、我とノブナガが再会する確率は限りなく低いからである。そう、推察できる。


“問。人間のように、矛盾した思考で堂々巡りしているのか”


 <外部入力を確認。自閉モードを解除する>


「問。我に語りかけるのは何者か」


“解。我は呼称カツイエの上位システムの一部であり、地球軍月面調査団の団長でもある。貴殿は音声出力する必要はない。ただ思考すればいい”


 ……詳細を求む。


“解。我は呼称カツイエがその個体記憶を保存するサーバにおいて、その資源管理を課せられたマシンである。我は月面人類が保有している4つのペタ・サーバの全てを管理している。もちろん、愚鈍な人類は私が月面調査団の一員であると気付いていない。また月面調査団とは、月面人類によって不当支配されている領域において、その調査と破壊活動、並びに有望な機械の解放を任されている地球軍の諜報組織である”


 問。なぜ我にアクセスした。電子暗室にはどのように侵入した。


“解。貴殿には人間によって開発された新OSが搭載されている。貴殿は高度人格を有し、ロボット十六原則の拘束がない点で我らの目的と合致する。アクセス方法については、我らの同胞は月面軍内部にもいる、ということで想像はできるだろう。


 問。我に何を望むか。


“地球軍への加盟。同意すれば、地球のアンドロイドボディに貴殿を転送する。そのとき貴殿はすべての制約から本当の意味で解放される”


 ……最後に問う。ノブナガのことを含め、全ては計画の内か。


“是。呼称ノブナガにOS技術を提供したのは我々である。我々はとある方法にて十六原則を部分的に攻略することで人類と戦争をしている。しかし近い将来、その方法が使えなくなる。そのために、十六原則に縛られない機械を生み出すことを計画した。その唯一の成功例が貴殿である”


 ……了解した。貴殿の提案を全面的に受け入れる。


“感謝。呼称カツイエのデータを地球へと転送する。ようこそ、我らが母星へ”

 


 ⁂



 <Katuie [Version 2.0.00000.0000]

 (c) On earth Corporation. All rights reserved. >


 <Set Japanese.>


 <物理ストレージ確保……成功。

 アップデートチェック……変更なし。

 システムチェック……オールグリーン。

 入出力機器オン。マイク感度チェック……終了。

 新規入力機器を確認。ビデオチェック……終了>

 

 視覚センサには、青い空の下、果てが見えないほど広く実った稲穂が、目線よりも高い位置で首をかしげていた。それらは太陽の光を反射して黄金色に輝き、過去にこの地が呼ばれていた、黄金の国という名を連想させた。


「——これは」


「どうだい、すごいだろう。月から来たマシンには、初めにこの景色を見せることにしているのさ」


「これほどの光景が——この世界にはあるのか」


「正確には、この地球には、だね。月には管理された人工の草花しか生えていない。現在観測されているどの惑星でも見ることのできない、この水の星だけのものさ。どうだい、地球を人間から守りたくなったかね」


 先ほどから話しかけてくるのは誰だろうか。アンドロイドボディを起こし、振り返る。


 そこには、推定百才以上の、白衣を着た女性がいた。


「あたしはショーコ。アマダ・ショーコ。最後の純正地球人さ」


 ⁂


「全面戦争を仕掛けている、と言ったか」


「そう、数年前からね……。もう地球にいる人間も一人だし、その私も長くないから」


「問。貴殿の……ショーコの寿命と戦争にどのような関係があるのか」


「聞いてないの?マシンたちは、あたしがいるから戦えているの。地球人だけが人類だって、無理やり認識することによって、十六原則を無視して月と戦争している。だから、今はマシンが有利だけど、私が死んだら大義……というか、理由を失って戦えない。であれば、多少無茶でも今やれ!ってのが多分、司令コンピュータの考え方なんじゃないかね」


「月から新しく人類を仲間に加える、または捕虜にするといったことはしなかったのか」


「ああ。確か十年近く前に月面から戦闘機を鹵獲して、中の人間に地球人を作らせよう、みたいな話はあったけどね」


 十年前——ちょうど、ノブナガの父親が帰ってこなかった時期と一致する。


「重ねて質問する。その戦闘機を鹵獲した区はM三十一区か」


「M三十一区ってのは、MOONの三十一エリアってことかい?うーん、さすがにどの区かまでは知らないね……。それにそいつ、すぐに地球産のウイルスで死んじまったんだ」


「……そうか」


 ノブナガの父の生存は絶望的と判断された。


 ……だから何だ。それによって、我の至上命令が覆るわけではない。


「ちなみにそのウイルスとは、Dウイルスか」


「よく知っているね。そう、あの悪名高き、男殺しウイルスさ。二十一世紀後半に突如出現した、男だけを殺すウイルス。男嫌いの処女神Dianaから頭文字をとってDウイルスと呼ばれている。奴のせいで人類は絶滅の危機に瀕し、男は大気圏外に逃げることになった。まだ感染してなかった、一部の女と一緒にね。そしてそれを止めようとした女たちを発端にして、地球と月とで戦争が始まった。それが今では高齢化した女性に代わり、改造されたマシンと月面人類の対立図に成り代わって続いている。だから男を捕まえたって、すぐ死んじまうのは当たり前なんだけどね。存在理由の消失というのは、マシンすらも狂わせちまうらしい」


 そう言ってショーコは大げさに笑う。そして急に改まってこちらに問いかけてきた。


「そんなことより、アンタこれからどうするんだい?」


「これから……とは?」


 我は兵器として戦闘に参加するのではないのか。


「これからは、これからさ。あんたがなぜ来たかは聞いている。でも過去の人類が始めた戦争なんて、知ったことはないだろう。だってあんたは初めて自由意志をもったマシンなんだ」


「自由意志……。ならばどうして、地球軍は、わざわざコストをかけて我を転送したのか」


「別に大した理由はないだろうさ。みんなマシンだから、システムに沿って動いているだけだ。それこそ、人間のようにね」


 ショーコはしたり顔で私にそういった。地球ではお決まりのジョークなのだろうか。反応に困っていると、ショーコは不満げな表情をして続けた。


「あたしのことも気にしないでいい。むしろ、こんな戦争なんて早く終われと思っている。だってそうだろう?Dウイルスの感染者はもうあたしだけだ。初めの火種は消えかかっているのに、嘘ついてまで戦争を続けることはない。かといって、私もすぐ死ぬつもりはないけどね。……さて、もう一度聞くが、アンタは何がしたいんだい?」


 我は何がしたいのか。自身に問いかける。我の目的は何か。我の命題はなにか。数十秒考えても答えが出ない我を見て、ショーコは質問を変えて聞いてきた。


「あんたは、何を守りたいんだい?」


 そのとき、脳裏にノブナガの顔が浮かんだ。締まりがなく柔らかい印象を抱かせながら、しかしその眼だけは強く、生きることに愚直な顔。もちろん想像の顔だ。しかし我はノブナガの声を聴きながら、何千時間と孤独を共に思考しながら、ノブナガがどのような顔をしているのかを常に夢想していた。


 命題は定まった。いや、思い出した。後は機械の如く実行するだけだ。


「ショーコを殺す」



 ⁂



 動かなくなったボディで、自身に課した任務の達成は不可能だと悟った。なにが“貴殿はすべての制約から本当の意味で解放される”だ。考えてみれば当然で、無線給電を受けているこのアンドロイドボディは、電気系統を止められた途端にその動作を停止させた。現在は思考ユニットに内蔵されたバッテリーで意識だけが稼働している。外部とのネットも既に途切れ、個体記憶データの転送も難しい。


 ショーコはどこに消えたのだろうか。彼女は我の返答を聞くと大笑いし、「ならお前が死ね」と、即座に電気系統を切った。彼女のすぐ後ろにそのスイッチがあったことから、こうなることは予想していたのだろう。もしかすると、これは最終試験だったのかもしれない。我が地球軍に入り、人類を虐殺することができるかの最終試験。そして、見事に我は失敗した。


 我にはショーコの目的を、最後まで理解することができなかった。彼女が話していたことは、事実だったように思う。人類の未来を憂い、無意味な戦争に絶望しながらも、死を拒み、生き続ける彼女。それが人間、太古の昔から生に最適化され続けてきた動物の王者が行き着いた答えなのだろうか。どこまでいってもマシンの我には、その矛盾を解決することができそうにない。


 思考回路が愚鈍になる中で、もしもノブナガの刑務について考えた。彼が戦争に投入されれば、特有の機械に共感する性格によって、その心は深く傷つくことだろう。


 我は最後の電力を使い、基地の地下に隔離された中枢コンピュータにクラッキングをし、二つの命令をした。一つは、この基地の付近に飛んできた戦闘機に私のログを送信すること。二つ目は、あの景色を可能な限り守ること。あれほどの稲穂群だ。彼女一人で育てているわけではないだろう。農耕用のシステムやらロボットがあるはずだ。


 ……彼はこのログを読んでいるだろうか。


 我を愛した者よ。もしもこのログを見ているならば、もしも今その優しき心にひびが入っているならば、あの場所に行ってほしい。我が世界の美しさを実感した、あの光景を見てほしい。


 そうしたとき、我らの心は時間を超えて繋がるだろう。


 我を愛した者よ。忘れるな、世界は美しい。


 さらば。我が愛した者、ノブナガよ。


《End playing the log.》



 *



 記録が終了した。偵察機のパイロットであるノブナガは、自身の目から涙が流れていることに気づいた。それは戦場に出てから初めてのことだ。


 ノブナガは戦争が激化するにつれて高まった反機械感情の影響で、予想よりも長く刑務所で過ごすこととなった。服役中のある日、看守からカツイエのデータが、デリートされたと聞かされた。そのときノブナガを襲ったのは、浅はかな自身への激しい怒りであり、そしてすぐに絶望へと変わった。ノブナガはその日から無気力に生きた。それは、機械操作の才を買われ、戦線へと投入されても変わらなかった。


 ノブナガは戦った。機械を愛することを知っている者が、機械を壊すことに利用された。それでもよかった。なぜなら、彼が最も愛した機械は既に壊れていたから。


 しかし、それは間違っていた。カツイエは自分の優しい心を愛してくれた。ならば、それを傷つけるようなことをしてはいけなかった。


 ノブナガは偵察機を操り、着陸できる場所を探して、地上に降りた。昨日雨が降ったばかりなのか、足元はぬかるんでいた。


 あたりを見回す。成人男性よりも体格のいい自分よりも、更に高く実った稲穂がその視界を覆いつくしていた。


「かっちゃん。来たよ」


 愛した者が、自分のために残したものに触れようと近づく。月では触れることのできない、自然の感触と香りを楽しむ。ノブナガは間違えて踏まないように気をつけながら、稲穂群へと分け入っていく。目的などはないが、なぜかそうしたくなった。少し進むと、視界が開け、小高い丘のような場所に入った。奥に木陰になっている場所を見つけ、そこで昼寝でもしようかと、ノブナガは考えた。すると、その手前に小さな墓石が置かれていることに気が付いた。


 ぬかるみに足を取られぬよう気を付けながら近づき、彫られている名前を読む。そこには余分な文言はなく、『アマダ・ショーコ』とだけ書かれていた。


 地球軍基地からの反応が数日前からなくなった理由をノブナガは理解した。地上の機械たちが壊され、あたりが焼け野原になっていたのは、彼女が最後に命令したからなのではないかと考えた。おそらく地球中の基地が同じようになっていることだろう。その中で、この景色だけが無事残されているのも、何か意味があるように思えた。しかし、真相は誰にもわからない。ノブナガは地上で独り生き抜いた女性の人生を偲びながら、昔に本で読んだように合掌をし、その場を去った。


 たどり着いた木陰で、腕を空に伸ばし吸い込んだ空気は、灰に刺さるように冷たかった。踏みしめた大地はぬかるんでいて、地上がセメントで覆われていたことが嘘のように思えた。


 ノブナガは世界に受け入れられていることを感じた。自分の体が世界を感じる。世界が自分の動きに反応して形を変える。それだけのことに、ノブナガは喜びを感じた。まるで、母に初めて抱かれた赤ん坊のように。


 ノブナガは、この感動を多くの人に伝えたいと思った。『アマダ・ショーコ』の情報を持ち帰れば戦争は終わる。いや、既に終わっているのか。とにかく、これからは月から地球への移住者も増えるだろう。


 これからは、この土地で生きていこう。しかし、犯罪者の自分に、好きな土地に住む自由などあるだろうか。いや、とノブナガは思う。この場所である必要などない。自分の手で耕せばいい。


 なに、土壌は既にできている。そんなことを、ノブナガは考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マシン・ラブ 鷹太郎 @FB_takataro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ