英雄編纂室ーその英雄は誰にも語られないー

七篠樫宮

序章

 新聖しんせい歴100年。

 数多の魔族をひきいて、人族の生存圏せいぞんけんおびやかしてきた魔王の討伐から百年が経った。

 まだ魔王がもたらした傷跡きずあとは世界各地に依然いぜんとして残っているが、人族はひとまずの復興を成し遂げたのだ。

 いまや世界唯一の人が治める国、“統一王国”では――人族が平和を取り戻した日から百年という大きな節目を迎えることもあって――めでたい雰囲気を国全体がかもし出していた。


 そんな祝祭しゅくさい気分の王国にて、1つの企画が立ち上がる。




 

「『“英雄王えいゆうおう”ロダン・エクスバーンの英雄譚えいゆうたん編纂へんさん』ですか?」


「そうだ。強大な魔王を倒した“英雄”にして、魔王の侵略でバラバラになった人族をまとめ上げた“王”でもある“英雄王”ロダン。

 若くして亡くなった彼の偉業をたたえると共に、魔王の脅威きょういを後世へと残す為の英雄譚の編纂が決定した」


 椅子に腰掛け、机の上で手を組みながら僕に告げるのは一人の女性だ。

 白いスーツにパンプス姿。

 輝く金髪を後ろに結び、キリッとしたその表情からは天性のカリスマを感じる。


「“英雄編纂室えいゆうへんさんしつ”の室長として、君に命じる。各地に伝わる“英雄王”の逸話を集め、英雄譚を編纂しろ。これは国の事業でもある故、予算に制限はつけない」


 そんな女性である室長――シャルは男である僕に『偉大なる“英雄王”の英雄譚編纂』という荷が重すぎる仕事を任せてきた。


「あの、僕は新人ですよ? かの“英雄王”の英雄譚編纂なんて、とてもとても……」


 僕はここ、“英雄編纂室”に所属してから日が浅い。

 そんな新人である僕に英雄譚の編纂任務……剣を持ったばかりの兵士に魔族を倒してこいと命じているようなモノだ。

 しかも、この企画は国が関わっている。下手な失敗は許されない。

 

 暗に拒絶のオーラを出しながら、僕は室長の反応をうかがう。

 もしかしたら室長なりの冗談であり、“英雄編纂室”の活動紹介の一環である可能性も捨てきれない。


「ハァ……そんな情けない顔をするな。もちろん新人であるお前に全てを任せる気はない。最終的な編纂作業は私がするが、“英雄王”についての逸話を実際に集めてまとめるのは君だ。

 英雄譚の編纂、それも“英雄王”レベルの偉人を扱う機会はない。新人育成にはもってこいだろう?」


 なるほど。そう言われると納得もできる……が、仮にも国の事業なのだ。それを新人育成の機会にてるのはどうなのだろうか。

 それとも、僕がどんな逸話を集めてこようが国が賞賛する英雄譚に編纂してみせるという彼女の自信の表れか。


「あぁ、そうだ。私が最終作業を行うからといって、めた仕事をしてみろ。そんな事をした暁には……」


「した暁には……?」


 ゴクリ、と僕ののどから音がする。

 場に緊張が走る。

 彼女の碧眼へきがんが僕の全てを見透みすかしているように感じる。

 

「……ふっ。これは言わないでおこう。なに、私は信頼しているのだ。行く宛のなかった君を拾ったのが誰だったか……忘れるはずもあるまい」


 室長は笑いながら――眼は一切笑ってない――僕に信頼を預けてきた。

 “孤児院”を出て、仕事が見つからずに街を彷徨さまよっていた僕に衣食住の全てを与えてくれたのはこの人だ。

 そんな僕から彼女に返せるモノといえば“イエス”か“はい”かの二つに一つ。


 僕は自分で出来る精一杯の笑顔で室長に応える。


「全力で英雄譚の編纂を頑張ります!」


「――うむ。頑張ってくれ。君はこの歴史ある“英雄編纂室”の新人なのだからな。素晴らしい英雄譚を期待しているよ、君」


 室長は僕の精一杯の笑顔よりも数段上の笑顔で背中を押してくれた。


「(初めて会った時も思ったけど、室長って貴族様なのかな?)」


 僕が室長について知っていることはそう多くない。

 彼女は自らをシャルと名乗っているが、それが本名なのかも知らないし。苗字があるのかも分からない。

 分かることは室長の立ち振る舞いは人をきつけること。それと、彼女の笑顔の破壊力だけだ。


「(まるで、『“勇者”の伝説』にでてくるみたいな人だ)」


 その笑顔で魔王におびえる人々を安心させたという逸話がある、“聖女”と呼ばれるお姫様。

 孤児院で読んだ伝説上の人物と、その笑顔で僕を元気づける室長が重なった。


「ん? どうした?」


「あ、いえ! 失礼します!」


 室長に見惚みほれて動けなくなった僕を怪訝けげんそうに彼女は見つめてきた。

 

 慌てて室長の部屋の出口へと足を進める。

 少し不躾ぶしつけだったと僕は反省した。


「――あ、待ちたまえ!」


「はい! なんでしょう!?」


 急ぎ足で部屋から出ようとする僕を室長が止めてくる。


「ゴホン、なに、少しアドバイスをしようと思ってな。闇雲に“英雄王”についての逸話を集めても意味があるまい?

 まずは“英雄編纂室”――この建物の資料室に行くといい。百年前の魔王討伐に関する文献や、当時についての資料が探せば出てくるはずだ」


「分かりました! 助言ありがとうございます!」


 僕は室長の部屋から出て、彼女の助言通りに資料室へと向かった。






 

 *――*――*


 “英雄編纂室”の本拠地ほんきょちである建物の中を歩きながら思う。


「(“英雄編纂室”って何なんだろう)」


 自分が所属する組織でありながら、僕はその活動内容や歴史について余りにも無知だ。


『“英雄編纂室えいゆうへんさんしつ”』

 

 室長曰く、古今東西の英雄達の軌跡きせきを記録し続けてきた英雄譚の編纂者の集い。

 その始まりは“英雄王”ロダンが魔王を討伐し、“統一王国”をおこすよりも昔。

 “統一王国”が生まれる前は“とある国”を本拠に英雄譚を編纂していたが、魔王ひきいる魔族達の侵攻によってその国は滅んだらしい。

 なんとか生き残った人々が“英雄編纂室”の記録を持ち出すことに成功し、現代まで組織の活動は続いているとのこと。


「確か、『“勇者”の伝説』も“英雄編纂室”の前身組織がまとめた英雄譚なんだっけ」


 恐らく、“英雄王”ロダンと同じくらいに有名である初代“勇者”バーンの魔王討伐の物語。

 僕も“孤児院”では何度も何度も熱心に読み返した覚えがある。

 突如として現れた魔王に対抗する為に、仲間を連れて立ち上がった初代“勇者”バーン。

 彼は魔王を倒し、仲間でもあり、でもあった“聖女”と結婚して王様になるんだ。

 

「やっぱり英雄譚と言えば『“勇者”の伝説』かなぁ。そういえば、“英雄王”をたたえる話はよく聞くけど、“英雄王”についての英雄譚は見たことないな」


 魔王や魔族達の侵攻によって人族は滅亡の危機におちいっていたらしい。

 そのせいで、各地に“英雄王”ロダンの逸話は数あれど、全てをまとめた『“英雄王”ロダンの英雄譚』を編纂へんさんする余裕はなかったのだろう。


 そんなことを考えているうちに、“資料室”と書かれたプレートが掛けられた部屋の前にたどり着いた。


「ここが資料室か」


 木製の扉のドアノブをひねって開ける。

 ギィ、という音を立てながら僕は室内へと入った。

 

 資料室の中は少しだけホコリっぽかった。それと、“孤児院”で何度も嗅いだ古い本とインクの匂いであふれていた。


「うーん……これは、資料を探す前に掃除と整理が必要かな……」


 棚に収まりきらなかったのだろう、本や紙束が机の上に乱雑に積まれている。なんなら、そこにすら置けなかった資料が地面に散らばっている。


「もしかして、僕に雑用をやらせる為に資料室を勧めたのかな……?」


 そんな邪推をしてしまうほどのだった。

 

 僕は手拭てふきの布で口と鼻を隠し、資料室の整頓せいとんを始めた。




 

 資料室の整理を初めて数時間。

 そろそろ昼食の時間になる頃、ようやく資料室内を自由に歩き回れる程度には片付いた。


「ん、これは……?」


 これまで“英雄編纂室”が集めてきた数々の資料。その中の一つに目を奪われた。


 その資料の表紙には一人の女性の写真が貼られている。

 少しだけ色褪いろあせているが、その女性の美しさにかげりはない。

 黒い長髪。こちらを写真越しに射抜くような鋭い眼差し。

 紅色の、僕が見たことのない服――おそらく、東の地域の民族衣装である“着物”と思われる――を身につけている。

 その姿はまるで、抜き身の刃のようであった。


 僕は資料の題名を読み上げる。


「『“東の剣聖”クレハ・ヤマトのインタビュー資料』……!」


 “東の剣聖”クレハ・ヤマト。

 かつて『武の国』にて不敗神話を生み出した、東の民族特有の“カタナ”という武器を扱う生粋きっすいの武人。


 既に亡くなった女傑だが、今尚、武の道を進む者たちから根強い人気のある“英雄”だ。

 “孤児院”で暮らしていた僕ですら知っているというのが、その人気の証明だろう。


 だが、僕が気になったのはではない。

 “東の剣聖”クレハは、“英雄王”ロダンの魔王討伐パーティの一員なのだ。


 ロダン・エクスバーンが魔王を倒し、人族をまとめ上げた“英雄王”になる前、まだ“勇者の末裔まつえい”と呼ばれていた頃からの仲間の一人。


「そんな人のインタビュー資料なら、“英雄王”ロダンについて何か語っているかもしれない……!」


 僕は「ごめんなさい、室長。やっぱりあなたが全て正しかった!」と、雑用を押し付けたんじゃないかと勘繰かんぐったことを心の中で謝罪した。


 気持ちを抑えて、資料を丁寧にめくる。


「(“英雄王”ロダンと共に旅をした“東の剣聖”は、どんなことを語ったんだろうか……!)」


 そして飛び込んできた言葉に僕は固まる。

 


『――“英雄王”ロダンについて、あなたはどう思ってますか?


「英雄王について……? 私の前で彼奴あやつの事を“話さないで”くれ」』



 “英雄王”ロダンに関する英雄譚は、その知名度に反して驚くほど見かけない。

 各地に伝わる逸話は数多く。それを歌う吟遊詩人ぎんゆうしじんも少なくない。

 それでも書物として、記録として“英雄王”の軌跡の全てをつづったモノは存在しない。


「(僕は当時の人々に『“英雄王”ロダンの英雄譚』を編纂へんさんする余裕がなかったのかと思ってた)」


 でも、違うのだ。


「“英雄王”ロダンの仲間は彼の英雄譚が作られる事を望んでいなかった……?」


『“英雄王えいゆうおう”ロダン・エクスバーンの英雄譚えいゆうたん編纂へんさん


 ――“英雄編纂室”の新人である僕――ニコラに任されたその命令は、どうやら一筋縄ひとすじなわではいかないらしい。


 


 

 

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