第61話それぞれの赤壁……夏侯惇と管

 最初におれ、夏侯惇が語る。

 最後の仕上げにおれは蔡瑁を呼んだ。

 おれの顔色を伺う蔡瑁に、おれが立てた策を伝える。

 蔡瑁が注意深く確認する。

「よいのですか」

「よい。また、こちら側の間者が黄蓋の兵になりすましている。脱出を助けてやってくれ」

「承りました」

 おれは愛想笑いを浮かべる。

「期待していると、丞相はおっしゃったぞ」

 蔡瑁は笑い返してこなかった。

 蔡瑁を帰したあと、程軍師にも手伝ってもらい、必要な物を揃えた。

 それらを見た程軍師は眉を上げた。

「すごいことになりそうだな」

「ええ。うまくいけば」

「あの身代わり、どうせ道中、襲われるな。わしが周瑜なら伏兵を置く。それに間者の報告にもあったが、劉備も江東側についたのだろう? 諸葛亮とかいう軍師を手に入れたそうじゃないか。そやつも何かしかけてきそうだな。身代わりの坊主といい、子廉のせがれといい、どこまで使えるやら」

「おれも仲康もおります。それにあなたも」

「わしか? 甲冑をつけているがこれでも軍師だ」

「見事なお体をなさっているではありませんか」

「戦うとしても、もうなん十年ぶりだからなあ」

 言ってこきこきと首を動かす。

「ところで元譲、例のあれはいつなのだ」

「顧によれば、もうそろそろと」

「子供の頃の話、よく思い出したものだ」

「亡くなった父親が釣りにつれていってくれた日だったそうですよ、例のあれの日は」

「万が一例のあれがなくとも、こちらからしかければな。蔡瑁のやつ、おだてたか?」

「ええ。努力しました」

「あやつはおだてに弱い。おれからもおだてておこう」

 程軍師が蔡瑁と会い、話し込む姿をおれは見た。おれなんかよりも表情豊かに、あのやたらと説得力がある声で蔡瑁に言って聞かせている。

 蔡瑁が目尻を下げた。

 程軍師がおれに気づいて、ぐっと拳を握って見せた。

 成功したと、伝えたいようだった。

 翌日、蔡瑁は水軍の船を動かした。

 それにはおれの策を成功させるために必要な物が積んである。

 むろん江東側も気づく。が、おれたちにとっては織り込み済みだ。

 あとは江東に潜入した管、銭、江、石たちの動きにかかっている。

 また、馥にも、ちと難しい仕事を頼んだ。

「任せてください。やりとげます」

 馥は言い切った。

 うまい漕ぎてを蔡瑁から回してもらい、馥は小舟に乗って出発した。




 次におれ、管が語ろう。

 おれ、銭、江、石は黄蓋の兵になりすまし、降伏の準備を進めていた。

 並行して、丞相が降伏を固く信じていると、黄蓋や周瑜に信じ込ませる工作をする。

 小型の船に藁やら燃えやすい草を積み込み、その上から魚油をかけ、染み込ませる。

 その船を軍艦の後ろにつないだ。

 つまり、例のあれ――冬には滅多に吹かない東南の風が吹く日に、火がついた船を我々の船に突っ込ませ、我々を焼き払うためだ。

 おれたちは黄蓋の軍艦に乗り込む。

 ちょうど黄蓋を迎えに来る体で蔡瑁が軍艦を進めてくる。

 藁を積み込み魚油を染み込ませた小舟に、火がつけられた。

 そのとたん、蔡瑁が軍艦で黄蓋たちの船を取り囲む。

 火がついた小型船は進めない。

 当然、黄蓋たちの軍艦に燃え移る。燃え広がる。

 蔡瑁たちの船にも、魚油をかけた藁などが積んである。当然、燃える。

 蔡瑁たちが脱出を始めた。

 黄蓋は立ち尽くしている。

 そこへ、一本、矢が飛んできた。

 黄蓋の左肩に突き刺さる。

 そう――子廉将軍の若君様が射たのだ。

 すごい腕じゃないか。揺れる小舟の上から、火が燃えて明るいとはいえ、夜、暗い中で見事命中させるとは!

 黄蓋は長江に落ちた。

 若君様を乗せた小舟は、燃える大きな軍艦の後ろを、東南の風に乗ってすいすいと北岸へすべってゆく。

 岸辺には、李がいる。丞相の甲冑をつけている。若君様を助け下ろして馬に乗り、駆けていく。

 おれたちは黄蓋を引き上げる。助けるためじゃない。

 仇討ちをするためさ。

 ずぶ濡れの黄蓋を甲板に仰向けに転がす。

 おれは黄蓋の胸を足の裏で踏みつけた。そして大声で言ってやった。

「おれたちは山越だ」

 黄蓋があっと叫ぶ。

 こいつは山越の抵抗が激しい地域に赴任しては、山越をつぶしてきた。

 石が噛みつくように言う。

「おまえたちはあたしたちを無理やり従わせようとした。そのくせ、あたしたちだけ損するように暮らしのしくみを作った。そしてそれを知らせないまま、あたしたちの親を、きょうだいを、友を殺した」

 銭の声は怒りと悲しみに震える。

「おれたちは確かに盗んだ、殺した。でもなぜ、なんのためにそうしたのか、おまえたちはおれたちに一度も聞いたことはなかった」

 江の目からひとすじ、涙が落ちる。

「山には食いものがなかった、おまえたちはおれたちに売らなかった、だから里で盗んだ。おまえたちはおれたちを疑い、簡単に殺した、だからおれたちはおまえたちを殺した」

 おれは黄蓋に、一言ひとこと区切るように言った。

「丞相は聞いてくれたんだ」

 黄蓋が目を見開き、歯と歯をかちかちいわせる。

 おれはもう一度言った。

「丞相は聞いてくれたんだ。江東でおれたちがなめた苦しみを。だからおれたちは命をかけてここにいるんだ」

 おれたちは声を合わせた。

「おまえには、ここがお似合いだ!」

 黄蓋の手足を四人で持ち上げ、船の便所に放り込んだ。

 黄蓋の体は、肩に矢が刺さったまま、便所に投げ出される。

 蔡瑁が出した小舟が近づく。

 おれたちは飛び乗った。

 便所に転がった黄蓋は、追いかけて来なかった。

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