第16話帝を迎えることは、おれたちにとってどうなのだ

 さて、おれたちが今、どこにいるかと言うと、許昌にいる。東阿から、移動したのだ。

 おれたちは皆、孟徳の邸にいる。

 平服で、いつも軍議で使っている部屋に集まっている。

 孟徳が使っている間者の白が報告する。

「張楊が通行を許可しないそうです」

 孟徳はまた、眉間に縦じわを寄せた。

「説得はできそうにないか」

「管が、突破口を探っております」

 管は、白が育てている間者だ。その風貌は、小柄で目立たない。だが、仕事は確かだ。

 孟徳は間者たちを活用する。戦に情報は欠かせない。そして孟徳の間者たちを、おれたちも使ってよいことになっている。

「一行は、野宿か」

「ええ。いたしかたありません。管には、張楊に通行許可を出させるよう、手を尽くせと伝えてあります」

「管からも報告は上がるか」

「こまめに上げるように念を押しました」

 白は年配だ。そして深みのある声は、何よりおれたちを安心させた。

「管の報告を待とう」

 孟徳は、力強い声で言った。



 朗報が届いた。

 早馬から受け取った竹簡から顔を上げ、白がにこりと笑う。

「管が、やりました」

「ほんとうか」

 孟徳よりも先におれが大声を上げてしまった。

 白は、管の報告を声に出して読み上げる。

「張楊の臣下に、董昭という者がおります。この者がかねてより殿に注目していることを突き止めました。そこで接触しました。事の次第を伝えると、董昭はすぐさま張楊を説得しました。袁紹と曹操が今、共に立つ中、より信用しうるのは曹操であると。よってすみやかに許可されたしと。張楊は聞き入れ、使者は無事長安に向かっております。しかも董昭は、帝の近くにいる将軍楊奉にも、曹操と結べという旨、書き送ったそうです」

 おれたちは皆、自然と、感嘆の声を漏らしていた。

 文若は興奮して、握った拳を振って叫んだ。

「これで帝が殿の存在を知れば、きっと頼ろうとお思いになるはずだ!」

 おれはやつの言葉を聞いて、ふと思った。

「おい、文若」

「何でしょう、元譲どの」

「おまえ、殿を使って、帝を動かそうとしているのではないか?」

 文若は真っ赤になって怒り出した。

「滅相もない! 私が? 何ということを!」

 おれは真面目に、文若に問いただす。

「さっきの董昭もそうだが、おまえたち、孟徳を高く評価してくれるのはいい。だが、なまじ孟徳が何でもできて、用兵もうまい、宮仕えの経験もあるということで、この国を立て直させようとしているのならば、おまえたちがそうすればよいではないか」

 文若は一瞬、黙ったが、すぐに言い返した。

「私にはとても殿のような才はありません。私にできるのは、『王』の補佐だけです。殿こそが、私の才を活かすことができる、私の『王』なのです」

「董昭も、きっと、そう考えているのではないか?」

「そうだと思います。私は董昭に会ったことはありませんが、真に国を憂える者は皆、私と同じように考えているはずです。私や董昭がもし曹孟徳であったとしても、やはり一人では国を立て直すことは不可能ですから、ほんとうに使える人材を集めると思います。今の殿がそうであるように」

 おれは一番心配していることを文若に尋ねた。

「仮に今、帝を迎えたとしよう。そうすれば、帝を手に入れたい連中を全員、敵に回すことになるのだぞ? 孟徳をそんな危ない目にあわせるつもりか? 孟徳が危険ならば、おれたちももれなく危険ということなのだぞ?」

「覚悟の上です」

 文若は、きれいな目に、力を込めた。

「そして、私たちも、戦う覚悟を決めなければなりません」

 孟徳が、おれと文若を見た。

「元譲。文若。もうよせ」

 しん、と、静まり返る。

 おれたちは皆、立っていた。

 孟徳はおれたちが自然と作っていた輪の、真ん中に進んだ。

「楊奉は、李傕や郭汜と同じく、董卓に従っていた。しかし今、連中は仲間割れを起こしている。そうだな、白?」

 白が深くうなずく。

「はい、殿。西の情報を集めている安が、そのように報告しております」

 安も、孟徳が使う間者だ。しかも、間者になる前の生業は料理人だったという変わり種だ。

 孟徳はおれたちの目を一人一人順番にまっすぐ見ながら、言った。

「まずは、帝のもとにおれたちの使者が着くこと。そして董昭の書簡を、楊奉がどう扱うか。動くのは、それを待ってからにしよう」



「正直、帝を迎えるなど、おれにはぴんと来ない」

 おれが言うと、孟徳と文若、奉孝、そして仲徳――程昱の他の連中は、皆、頭を縦に振った。

 子孝が腕組みしながらつぶやく。

「だいいち、帝なんてもの、おれは見たことがない。おれたちの中で帝にじかに会ったのは、それこそ孟徳兄ぐらいのものだ」

 子廉も、顔を曇らせる。

「帝はだいじ。帝はこの国、つまり漢そのもの。

 そのくらいのことしか、おれは知らない。だが、今、その帝は、だいじにされているとは到底言えない」

 受けて、おれも言った。

「董卓が呂布に殺されたあとは李傕や郭汜につれ回され、今はまだ長安にいるからな。帝のそば近く仕える朝廷の臣下どもは、帝のために何かしらしているのだろう。しかし、残念ながらそいつらの努力は、今の帝の助けになっているとは、言えない。おれたちならば、より正確に言えば孟徳ならば、帝に、帝らしい務めや暮らしをさせてやれる。文若はそう主張している」

 聞いて、文則――于禁が、渋い顔でおれに言う。

「帝を迎えることが、我々にとって新たな災いのもとにならねばよいのですが」

 仲康――許褚と典韋は、顔を見合わせる。

 典韋は、額と眉間の両方にしわを寄せた。

「難しい。おれにゃあさっぱりわからねえ」

 仲康は、一言一言、重い声で、言った。

「しかし今のままでは、おれたち農家は耕せない。戦で畑は、つぶされる。土も傷む。麦も、米も、野菜も、豆も、育たない。つまり、この国は、飢える。もし、殿が帝を迎えることで、耕せるようになるのなら、殿は帝を迎えるべきだ」

 皆、何も言えなくなった。

 おれも、稲を植えてみてわかったが、田んぼや畑は、ほんとうに、大変だ。

 仲康の言葉を、孟徳は、真剣に聞いていた。

「仲康。おまえは今、だいじなことを言った」

「当たり前のことです」

「飢えることだけは、避けたい」

「まずは、戦を終わらせることです」

「残念ながら、戦はまだ続く」

「それなら、早く、屯田をすべきです」

「今、おまえとおれたちで、考えているな」

 屯田をやろうと提案している者は、他にもいる。今、準備中だ。



 と、いうわけで、次は、楊奉のそばにいるやつに、語ってもらうことにしよう。

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