第12話董卓がわしにかけてくれた言葉
あれはまだ、長安にいた頃の話だ。
たまたまわしは董卓の酒の相手をしていた。
董卓が、わしを呼んだのだ。
背も高いが、丸々とした体型で、命令も短い言葉で簡潔にくだすので、戦場に彼がいるだけでわしらは安堵した。
「文遠。おまえはほんとうに見所のある男だよ」
「恐れ入ります」
「わしがどれほど怒っても、顔色ひとつ変えないのだからな」
わしが何気なく発した一言で、董卓が我を忘れるほど怒り狂ったことがあった。確か調練について意見したと記憶しているのだが、はっきりしない。
顔色ひとつ変えなかったと彼は言うのだが、それは少し違う。あまりの凄まじさに、どうしてよいかわからなくなって固まってしまっただけだ。
「帝は、守らねばならぬ。帝すなわち漢だからな。わしはそれをしようと思っただけだ。それなのに、朝廷のやつら、わしが帝を利用していると受け取った。朝廷のやつらと取っ組み合っているうちに、わしが非道をしているという話になった。まあ、それは合っているが」
厳しい処罰で文字通り首がとんだ朝臣は決して少なくない。
董卓は手酌で飲んでいる。
「曹操は、見所があると思った。わしは真剣に、やつに、漢の行く末について相談しようと思っていた。しかしやつは逃げた。もしかしたらわしがそれなりの地位の役人の家柄に生まれていれば、やつと語り合えたのかもしれない。おまえはやつにどこか似ているよ、文遠」
「どこが、ですか」
「おのれを信じて、負けないところが」
董卓がわしの杯に酒をついでくれた。
「お褒めにあずかりまして恐縮です、董太師」
「わしはお世辞は言わん」
「うまい。こんなにうまい酒は初めてです」
「だろう? わしの地元の酒でな」
つまみも食え、と、まだ箸をつけていない皿から分けてくれた。
「ところで奉先のやつ、わしの侍女とできておるようだな」
わしは飲み込みかけたつまみを吐きそうになった。
「じ――侍女」
顔が熱い。それなのに体の中は雪でも詰めたみたいに冷たくなっている。
その侍女は、何を隠そう、わしまで誘ってきた。しかも、わしは、そいつと、寝てしまった。
董卓は、やれやれと頬杖をついた。
「あの女、男なしではいられないみたいでな。わしだけでは満足せんかったのだな」
わしの背中を冷や汗が濡らす。
董卓はやっとつまみに箸をつけた。
「呂布は、ああ見えて、純情なんだよな。コロッとだまされていたな。わしは見ていて笑いそうになったわい」
「罰をお与えにならないのですか」
「そんな野暮はしないよ」
「しかし、太師を裏切りました」
「あの女は、わしではなく、『太師』と寝たかったのだ。そして呂布と寝たかったのではなく、『太師のおぼえめでたい将軍』と寝たかった。ただそれだけなのだ。罪ではない。そういう女もいる。そしてその女は、いずれ逃げるさ」
「逃げたら呂布は――その女を許さないのでは」
「ああ。許さないだろうな。女にとっては遊びだが、呂布は本気だからな」
その女を、わしは思い出していた。
情けないことに、その女の顔立ちではなく、ほっそりした体を真っ先に思い出した。そして、長い手足がわしの体に巻きついてきたことも思い出した。
行為そのものはあっという間に終わった。女が始めて、女が終えた。わしはまるでその女に御される馬のようだった。
董卓、わし、呂布を乗り捨て、その女はどこかへ消えた。
それからだった。呂布が、語らなくなったのは。
わしが心配して声をかけると、呂布は、泣きながら声をしぼり出した。
「また会いましょうねと、言ったのだ。おれも、また会おうなと言った。それなのにもう、あいつは、来ない」
乗り捨てられたんだよ、わしらは。
それだけは、言えなかった。
「おれの言葉は、届かないんだ」
でかい図体をこきざみに震わせて、呂布は泣いていた。
そんな呂布の言葉が唯一届いたのが、陳宮だった。
どうすればいいと聞けば、陳宮は明確に答えを与えた。
だから陳宮は、呂布からわしや高順を閉め出した。
自分の言葉だけを聞かせるために。
「失礼」
不意に声をかけられた。
見上げる。
美しく長いあごひげの男が、わしを見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます