第4話おれと曹操の分かれ道

案の定、中牟県の関所でおれたちはつかまった。

関所の、石の壁、石の床。

冷たく暗い広間で、関所を守る兵卒が叫ぶ。

「人相書きの男です!」

董卓のやつ、曹操の手配書を回していやがった。

曹操は確かに商人の身なりをしていた。

李氏は男装しているし、曹洪もおれも商人のいでたちだ。

だからやつも必死で否定する。

「違います! わたくしは皇甫と申しまして、旅の商人でございます!」

とはいえ、やつは美男子だ。

切れ長の目、通った鼻筋、整った顔立ちをしている。

背も高いし、体つきも引き締まっている。

血筋なのか、曹洪もやつに似ている。

こいつも整った顔立ちをして、しかも肩や胸の筋肉ががちっとして鎧のようだ。腰から下はすらりと伸びている。

つまり二人とも、どう見てもただの商人には見えない。

家柄や育ちのせいもあり、かもし出す雰囲気が違うんだ。

おれか?

おれはといえば、曹操の前にいると、自分がぶざまに思えてしかたがない。

背も低いし、やせている。

筋肉なんて、どこにあるんだ?

武芸は正直、苦手だ。

おれたちの前にも兵卒が立ち並んだ。

曹洪は李氏をかばうように立ち、剣の柄に手をかけようとした。

だからおれは小声で止めた。

「やめろ。却って騒ぎになる」

曹洪は若いが、賢い男だ。すぐに手を放した。

李氏はすがりつくような目で曹操を見ている。

役人が曹操をじろじろ見ている。

そして、役人は兵卒に命じた。

「都へ護送する。檻車の用意をいたせ」

さあ、どうする? おれ。

見た目に引け目を感じている暇はないぞ。

おれは、大声を出した。

「お役人様!」

役人がおれを見る。

「何か」

おれは兵卒をかき分けて役人の前に転がり出た。

けげんそうに見る役人に、おれは、わざと挑発するように言った。

「お役人様の目は、節穴でございますか」

役人は、おれの真意を図りかねると言う顔をして、黙っている。

おれは続けた。

「お役人様ほどのお方が、今、都で何が行われているか、お聞きでないはずがありませぬ」

こいつ、まだだんまりを決め込んでやがる。

がんばれ、おれ。

「董卓は皇太后と弘農王を弑し奉りました」

おれの声だけが、石づくりの広間に響く。

「この男は、確かに、曹操でございます」

曹操がおれをものすごい速さで振り返る。

おれを売り渡す気か、おまえは?

やつの切れ長の目はそう言っていた。

おれは曹操に目で訴えた。

(今からおれがおまえを助けてやる)

おれは言う。

「この曹操はそれゆえ、非道をなす董卓を、殺そうとしたのでございます」

広間が、静まり返る。

役人と兵卒たちが曹操に向ける目が明らかに変わる。

お尋ね者を吟味する目から、驚嘆と称賛のまなざしへ。

首の後ろから背中は、冷や汗でびっしょりだ。

おれは声を励ました。

「この男こそは、憂国の士。朝廷のため、命をかけております。この男は、必ず、天下に義兵を募ります。そして董卓討伐ののろしをあげます!」

曹操の顔は、こいつはもともと色が白いが、さらに血の気が引いて真っ白になっている。

曹洪も李氏も、真っ青だ。

おれは額を打ち割らんばかりに土下座した。

「お役人様、どうぞ、こやつを、お見逃しくださりませ!」

さあ、どうなるおれ。

どうなる、曹操。

石づくりの広間では、沈黙が隊列を組んで行進している。

沈黙の行進が三往復したあと、役人はおもむろに口をひらいた。

「郷里はどちらですか」

曹操も答える。

「譙県です」

「そちらを目指しておられたのですか」

「はい」

役人は兵卒に命じた。

「この方から離れよ」

兵卒が曹操から離れる。

曹操は、立ち尽くしている。

役人は、また兵卒たちに告げた。

「拱手し、ひざまずけ」

曹操の足元に、役人と兵卒たちが平伏した。

役人が顔を上げた。

「ご無礼、平にお許しくださりませ。あなた様のお志に、それがし、賛同いたします」

曹操が、あの曹操が、声も出せない。

役人は言った。

「お里まで、お送り申し上げます。あなた様のお里の近くに、それがしの知人の富豪が住んでおります。その者も憂国の士、必ずやお役に立つはずと存じます」

役人は立ち上がると、兵卒たちに指図した。

「馬と食糧を用意せよ。譙県へ向かう。すみやかに武装いたせ」


おれたちは支度が整うまで、役人の仕事部屋にかくまわれた。

曹操は入るなりおれの胸ぐらをつかんだ。

「何てことを言ってくれたんだ」

おれは怖かった。

しかし、笑ってごまかした。

「だって、そう思っていたのだろう?」

「兵を挙げるだと? 簡単に言うな!」

「おまえならできるさ」

「董卓がどんなに無軌道なやつかわかるだろう? どれだけ残酷なことをしてきたかもだ。そんなやつを倒したいなどとあからさまに言えば間違いなく殺される。おれに死ねと言うのか?」

く、苦しい。

締め上げられて気が遠くなりかけたその時。

「孟徳兄」

曹洪が言った。

「何だ」

曹操は曹洪にも鋭い視線を刺す。

曹洪は、しかし、落ち着き払っていた。

なんと、李氏もだ。

曹洪は冷静に問うた。

「孟徳兄は、どう思っているのだ」

曹操は、おれから手を放した。

曹洪に向き直る。

さあ、何を言うのだ、曹操?

やつから目を離さずにおれは待つ。

無言だ。

ずいぶん、長いな。

何か言えよ。

曹洪も李氏も、待っているぞ。

ふっ、と、息が漏れた。

曹操だ。

こいつ――笑い出したぞ。

曹洪も李氏も、どうしたのですかと言いたげだ。

曹操は大口を開け、大きな声で笑っている。

曹操は最後まで、おれを見ない。

ちょっと悔しかったが、まあ、いいとしよう。

そんな風に思っていたら、やつは振り向いた。

笑っている。

「おまえにはやられたよ、公台」

おれは、にやけるのを押さえられなかった。

曹操は、おれたちに言った。

「公台の言う通りだ。おれは一人で董卓に立ち向かおうとしていた。どだい、無理な話だ。一人ではなく、大勢で立ち向かえばよいのだ。こんな簡単なことに、なぜ、気づかなかったのだろうな」

この時の、やつの顔。

あなたにも、ぜひ見せたい。

切れ長の目はぎらりと光り、口の片端だけ上げて笑みを作る。

整った顔が、とたんに生気に満ちた。

この顔だ。

この顔に、人はついてくる。

おれは直感し、震えた。

曹操は、自信たっぷりに言った。

「必ず兵は集まる」



こうして譙県に無事にたどり着いた。

役人の知人は確かに富豪だった。

わけを話すと、喜んで援助してくれた。

そして曹操は、兵を集め始めた。

おれは曹操のそばにいた。

おれが助言すると、すべて採用してくれた。

袁紹も馳せ参じた。

袁紹を総大将にしろと助言したのは、このおれだ。

何せ「四世三公」のお家柄だからな。旗印にはちょうどいい。

この時までは、おれと曹操は、良好な関係を保っていた。

義勇軍が解散し、無理な追撃をした曹操は失敗し、曹洪に助けられて命からがら故郷へ逃げ帰った。

曹操を見失ったおれも、故郷に戻った。

再び曹操が黄巾賊の残党を討伐するよう朝廷から命令を受けた頃、おれは妻子をつれて曹操のもとへ戻った。

だが、状況は変わっていた。

やつの周りには、優れた人材が、大勢集まっていたのだ。

おれの顔を見た曹操は、確かに、友情を温め合おうと、笑顔で迎えてくれた。

その笑顔に無表情で応じてしまったのは、このおれだ。

何度も言うがそこからが、おれたちの道の分かれ目だった。

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