進級したい私とさせたい彼女

@zawa-ryu

第1話

「ハアッ……ハァッ……ハッ……ふぅ」

 長い坂を下った先、幹線道路沿いの信号は一度足止めをくらうと、なかなか青になってくれない。

 首にかけたタオルで汗を拭いながら、足は止めずに動かしておく。

 一気に下ってきたから、今のうちに呼吸も整えておこう。

 よし、あとは平坦な道をまっすぐ1キロほど。

 ちらりと左腕に目をやる。

 表示された時間はベストとまではいかないが、まずまずの好タイムだ。

「うん、いいペースね」

 信号が変わるのを見計らって、横断歩道を飛び出していく。

 ああ、いい天気だ。向かい風も心地よい。

 駅前のお店を目指して、私はスパートをかける。



「春菜、遅いね……」

 スマートフォンを見つめ真由が呟く。

「まさか走って来てたりして」

 結愛は冗談めかしてそう言うが、春菜のことだ。あながち無くはない。

「春菜のお家って、あの坂の上でしょ?さすがにそれは無いんじゃ……」

 甘い、甘いよ真由。春菜とはそういうヤツなのだ。

「うん、その坂の上のずっと上のほう。けど春菜だったらやりかねないけどね」

 さすが結愛。私と同じく春菜とは中学からの付き合いだけあって、

 少しは分かってる。

「メッセージ送っても既読にならないからマジでそうかもね。案外ジャージで飛び込んでくるかもよ」

 私が言うと、真由がそんなまさかと言う顔をしたその時だった。

「ごめんごめん!遅れたーっ」

 お店の扉がカランコロンと音をたて、春菜が手を振って現れた。

 額から吹きだす汗を拭い、その出で立ちは2月の下旬というのにジャージどころか 

 Tシャツにハーフパンツ。

 さすが脳筋春菜。私の斜め上をいくヤツ。

 私が手招きすると、春奈は嬉しそうに笑って唖然とする真由の隣に腰を下ろした。

「私らは先に注文しちゃったから、あんたどうする?何か飲み物頼む?」

「えーっと、そうね。取りあえずお冷。ピッチャーでもらおうかな」

 真顔で答える春菜の横で、真由の口はずっと開きっぱなしだった。



「いやー暑い暑い。ごめんね遅れちゃって。途中までは良いペースだったんだけど、チャリの集団に道塞がれちゃってさ」

 あの少年野球軍団にさえ出くわさなければ間に合ってたはずなのに、悔しいっ。

 結愛が渡してくれたメニューをうちわ代わりにパタパタ煽ぐ私を見て、隣にいた真由がなぜか申し訳なさそうに、首に巻いていた襟巻を外した。

「汗しっかり拭いとかないと風邪ひくよ」

 結愛は相変わらずお母さんみたいなことを言う。

「大丈夫。私風邪ってひいたこと無いんだよね」

 私の言葉に隣にいた真由がギョッとした。

「ホントに?一度も……?」

「うん。生まれてこの方一度も」

「ナントカは風邪ひかないってやつの生きた証明だよね」

 相変わらず芽理は口が悪いなぁ。

 だけど、もう何百回とそんな風に言われてきた私には今更ノーダメだ。

「まあ、健康に育ててくれた親に感謝だね」

 運ばれてきたお冷を一気に飲み干す。

「あんた健康も大事だけど、ちょっとは勉強もしなよ?明後日から期末考査なんだし。毒バチのことだからテストの出来によってはマジで進級させないかもよ」

 うっ。嫌なこと思い出させるなぁ。

 そうなのだ。週明けから学期末のテストが始まる。

 一学期に我が校始まって以来の赤点記録保持者となった私は、二学期はなんとか挽回して赤点を9教科中2教科に抑えた。私的にはその後の追試でなんとかクリアもできたし満足していたのに、担任の蜂田(通称毒バチ:チクチク嫌な事を言うから)は今度一つでも赤点を取ったら進級させないなんて言う。

「ふん、馬鹿にしないでよ。今回は私も本気なんだから。毎日ちゃんと机に向かってたし」

「へぇぇ、春菜凄いじゃん。さすがに危機感が芽生えた?」

「えらいね春奈……」

 二人は手放しで褒めてくれたが、芽理だけは冷ややかだった。

「ふぅん。机にねぇ」

 組んだ腕をドカッとテーブルに乗せ、まっすぐ私を見てくる。

「それで、あんたは毎日机に向かって何してたの?」

「えっ?」

「答えなさい。あんたは机で何をしていたの」

「そ、それは、その……」

 芽理の目の鋭さに思わず口ごもって目を逸らす。

「……真由から借りた小説を読んでました」

 途端に真由がミルクティーをこぼし、慌てて結愛が店員さんを呼んで布巾を借りる。

「はぁ、だと思った」

 芽理が組んでいた腕をほどいてため息をつく。

「あんたね、もう今日から小説読むの禁止。無事に進級が決まるまで、テスト期間中は絶対読んじゃダメよ」

「ええっそんなぁ。今いいところで終わってるんだけど」

「口ごたえしないっ!」

「……はい。わかりました」

 うぅ芽理怖いよう。お母さんより怖い。

「芽理も心配して言ってるんだから、今回はちゃんと勉強しないとね」

「小説はテストの後のご褒美だと思って……今日から頑張って……」

「結愛、真由」

 うんそうだよね。心配してくれる友人のためにも、頑張らないと。

「一年の時、私も同じような事して散々な目にあったから言ってるの。特にあんたの場合、今回は進級が懸かってるんだから、真剣にやらなきゃダメよ」

「わかった。よしっ心入れ替えて頑張るぞっ!」

 飲み干したお冷の氷を嚙み砕き、拳を振り上げる。

 結愛と真由は拍手してくれたが、芽理だけは半信半疑な顔をしている。

 ……信用無いなぁ私。



 いよいよ明日からテスト週間が始まる。

 春菜はちゃんと私の言いつけを守っているだろうか。

 しかしまあ、明日のテスト科目は家庭科、古文、現国。

 家庭科は教科書を読みさえしてれば何とかなるし、古文はいつも通りなら全問二択。現国は性格もテストもやさしい操ちゃんだから初日は大丈夫かな。

 ベッドに入り、アラームをセットしてから教科書をパラパラとめくる。

 さて、私も今日は軽くおさらいだけして早めに寝よう。


 次の日、私と結愛が教室に着くと、机に突っ伏した春菜を心配そうに見つめる真由の姿があった。

「春奈っ!いったいどうしたの?」

 結愛が慌てて駆け寄る。

「嫌な予感しかしないんだけど……何があったの?」

 私の問いに、真由が小さな声で呟いた。

「春菜、徹夜したんだって……」

 はぁ?徹夜?何も徹夜までしなくても。

「あんたねぇ、家庭科満点取って嫁入り修行でもするの?」

「違うのよ……芽理」

「えっ?」

「徹夜で、小説読んじゃったんだって……」

 真由が俯き加減でそう言うと、結愛が白目を剥いて天を仰いだ。

「このバカっ!あんた私の話聞いてたの?」

「聞いてたよぉ。聞いてたんだけど、どうしても続きが気になっちゃって…気づいたらこの手が勝手に……」

「呆れた。もう知らん」

「うぅ、見放さないでぇ」

 目の下が真っ黒になった顔をあげて、私の腕をガシッと掴む。

「もうここまで来たらジタバタしても始まらないから、一つだけ言っとくわ。いい?まず分かる問題から解きなさい。分からなかったらとりあえずパス。残った時間で、ゆっくり後回しにした問題を考えるの。わかった?」

「ええと、残った時間でパス?」

「……ダメだこりゃ」

 全員が呆れかえったところで無情にも予冷が鳴った。


 まったく春菜ってヤツは。私がどれだけ心配してるか考えたこと無いんだろうか。

 ブツブツ言いながら問題用紙をめくる。

 問1は「三大栄養素を答えよ」か。まあ、これは余裕。サービス問題よね。

 さすがの春菜でも解けるだろう。

 とか言いつつ、今日は徹夜でいつにも増して頭の回ってない春菜のことだ。

 まさか、肉・魚・野菜とか書いてないだろうな。

 いや、さすがにそれは無いか。おっと集中集中。もうテストは始まった。

 私だって人の心配してる場合じゃない。

 ええと、問2はっと。昭和の三種の神器ね。楽勝楽勝。

 なんだ今回簡単じゃない。

 これなら春菜も赤点を免れそうだ。



 うぅ目がかすむ。

 頭もぐらんぐらんする。

 せめて、せめて自分の名前だけでも間違えないように書かないと。

 ―問1 三大栄養素を答えよ―

 むむぅ一問目から難問だ。

 栄養……栄養……。栄養と言えば……肉。

 そうだ肉だっ!三大肉!三大と言えば牛肉、豚肉、鶏肉。やっぱこれよね。

 馬肉、猪肉も捨てがたいけど三大と言われたらこの三つだろう。

 よし、一問目はクリア。

 幸先いいぞ。

 ―問2 昭和における三種の神器を答えよ―

 はあ?なんじゃこら。しかもまた記述って。せめて選択問題にしてほしいな。

 さんしゅの、じんぎ?……うーん。

 ハッ、待てよ!これ真由に借りてる小説で見た気がする!

 うーんと、えーっと、確か、ひとつは草なぎのつるぎ。

(草なぎのつるぎ)っと。

 あとは何かのカガミだったな。とりあえずカガミって書いとこう。

 △ぐらいは貰えるかも。

 あとひとつ、か。うーん駄目だ出てこない。

 こんな時は芽理の戦法。わからない所は飛ばして後でじっくり考える。

 よし次。

 けっこういいじゃん私。今回は案外いけるかも。

 そんなこんなで眠い目をこすり、揺れる頭をガンガン殴りつけながら、私は何とか初日を乗り切ったのだった。


「あんた今日は今から帰ってすぐに寝るのよ。八時には私が起こしてあげるから」

「はあい」

 あくび交じりに返事して、自宅方面行きのバスに乗り込む。

 芽理に言われた通りに、というか眠気の限界が来ていた私は鞄を放り投げると、制服のままベッドで意識を失った。



 むっ?

 ガバっと起き上がると部屋の中は真っ暗だった。

 時計は7時すぎ。なんと7時間も眠っていたのか。まさに爆睡。

 だけどお陰で頭はスッキリ。

 よっしゃ復活したぞ。今なら10キロぐらいは走れそう。

 違った5,6時間は勉強できるな。

 よーっしやるぞ。ゲェ明日は数Ⅱがあるのか。とりあえず教科書、教科書。

 おおっと、机には今朝まで読んでた小説がそのままになっている。

 早く目の届かない所に移動させないと、今日の二の舞になってしまう。

 テストが終わるまでは我慢我慢。

 でも、どこまで読んでたんだっけ?ああ、そうだここだここ。

 やっと地底世界から脱出できたとこだったんだよねー。

 っておい!私は何をやってるんだ。早くタンスにでも入れてしまおう。

 いや、待てよ。

 今から頑張って6時間勉強するとして、合間の30分ぐらいなら、ちょっとだけ読めるかも。

 いやいやいや、ここで読んだらみんなに合わせる顔がない。  

 特に芽理に。

 まあでも、30分とは言わずに15分ぐらいなら…。


 ピンポーン!


「ひえっ!」

 インターフォンの音に思わず飛び上がった私は小説を投げ飛ばしてしまった。

 何?宅配?誰よこんな時間に。

 恐る恐る覗き込んだインターフォン。

 そこに、芽理が立っていた。



「おっ起きてたか」

 出迎えてくれた春奈は何故か制服姿だった。さてはコイツそのまま寝てたな。

「うん、さっき起きた。てか芽理、いったいどうしたのこんな時間に」

「どうしたのって決まってるでしょ。勉強しに来たのよ」

「ええっ?ウチまでわざわざ?」

「そうよ。あんたのことだからせっかく起きても、まだ時間あるしちょっとぐらい小説読んじゃおってなるでしょ」

「うっ。どうしてそれを」

 半分冗談のつもりだったけど図星かよ。

「こんな時間に来てくれたのは嬉しいけど、帰りはどうするの?」

「平気。原チャだし。さあ、そんなことより時間勿体ないよ。さっさと教科書出した出した。」

 それから約二時間。テスト範囲すらうろ覚えだった春奈に、私は愛の鞭を振るい続けた。


「じゃあまた明日ね」

「うん。ありがとう芽理」

「ねえ、春奈。あんたホントに頑張ってよ。分かってないだろうけど」

「えっ?分かってるよ、私だって赤点取るの嫌だし」

 ほら分かってない。

 もう、私だって本当はこんなこと恥ずかしいから言いたくないのに。

「あのね、私はあんたがいない三年生なんて嫌なの。絶対赤点なんて取っちゃダメよ。私たち、四人で進級するんだからね」

「芽理……」

 泣きそうな顔になる春奈を見ると、こっちまで泣きそうになる。

 私は目を逸らして、ヘルメットを被りセルを回した。

「芽理!私頑張るからっ!」

「デカい声出すなよっ。近所迷惑だっちゅうの。じゃね」

「芽理っ!」

 片手をあげてバイバイのつもりだったのに抱き着かれてしまった。

 胸に顔をうずめる春奈の肩をさする。春奈の体が何だか滲んでぼやけた。

 ああもう、排気ガスが目に入っちまったぜ。

 まったく世話の焼ける友人だわ。



「さあ、いよいよ家庭科だね……」

 テスト週間も終わり、各教科の最初の授業はテストの返却が待っている。

 ここまでは何とか赤点を免れていた私。(ほとんどギリギリだけど)

 残すところは今日の家庭科だけだ。

「そういや家庭科ってどうだったの?」

「書けたところは全部自信あるかな。50点ぐらいはいけるかも」

「まあ、今回やさしかったしね。これでコケてたらひっくり返るよ」

 大丈夫。だと思うけど、うぅプレッシャー半端ないな。

 名前を呼ばれ、返された答案用紙をおそるおそるめくる。

 固唾を飲んで見守るみんなの顔からも緊張が伝わってくる。

 私の目に飛び込んできた点数は……。


「31点!」

「あっぶねえっ!」

「おめでとう春奈!全教科赤点回避だねっ」

「ああ、良かった……」

「てか、どこ間違えたの?ちょっと見せてみ」

 芽理がひったくった答案をみんなで覗き込む。

 途端にみんなの顔が引きつった。

「……あんた、これ……。」

「牛肉、豚肉、鶏肉……」

「てか、三種の神器なにこれ?ふざけてんの?」

「ええっ?私こんなこと書いたっけ」

 なんだこりゃ。

 そういやあの日、徹夜明けの脳内に小説の話がぐるぐる回っていた気がする。

「あの、これはその、話せば長くなるんだけど……」

「頭痛くなってきた。話さないでいい」

 芽理が頭を抱えて首を下に振る。

「まあ、とりあえず赤点じゃ無かったんだし……」

「ほんと、よく頑張ったよ春奈」

「マジで奇跡としか言いようがないね」

「みんなのお陰だよ。私赤点無かったのって初めてかも」

 涙ぐむ私を結愛と真由が抱きしめてくれた。

 良かったぁ。これでみんなと一緒に三年生になれる!

「まあそうだね、とりあえず良かった。じゃパーッと打ち上げにでも行きますか」

 芽理の呼びかけに結愛が間髪入れず応える。

「賛成!じゃあ駅前のいつものお店ね」

「私部活にちょっと顔出してから追いかけるね」

 こんな時だけは陸上部のキャプテンって立場がちょっと恨めしいな。

「オッケー。先行ってるから早く来てね」

「待ってるね……気をつけて……」

 ホントはみんなと一緒に行きたいのに……。

「ほら、キャプテン。乾杯までには来るんだぞ」

 私の心の声が聞こえたのか、芽理は笑顔で私の背中をバシッと叩いた。


 放課後、みんなにまた後でと別れ、部室に向かう。

 途中、鞄の中でスマートフォンが震えた。

 芽理からメッセージだ。何だろう?


―おい脳筋!ダッシュで来いよ―


 はいはい、了解っと。

 返事を送信しようとした時、もう1件メッセージが届いた。

 また芽理だ。今度はなに?


―私らずっと一緒だからな―


 ……もう、また泣いちゃうじゃん私。

 部室の前で後輩たちが待ってるのに……。

「せんぱーいっ」

 ほら、私を見つけた後輩たちが手を振ってる。

「おーっす!今日のメニュー言うよ!集合―っ!」


 私は急いで袖口で顔を擦ると、

 メッセージを打ち込んで送信ボタンを押した。 


―芽理、ずっと離さないでね。私もあなたを離さない―

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