第2話

「イヤーーーー!!!!ムリムリムリ!!!!まだ手ぇ放さないでーーーー!!!!」


 日曜日の早朝。

 一帯から聞こえてくるセミの声を、凜の絶叫が一瞬にして掻き消していく。

 右に、左に、ふらふら。凜はすずから借りた自転車を、非常に不安定な動きで漕ぐ。凜を後ろから支えるすずもヒヤヒヤだ。


『だったら特訓すればいいんやない?』


 あの日──、凜から自転車に乗れないと打ち明けられたあと、すずは成り行きで、平日の放課後と週末の早朝、彼女の自転車特訓になぜか付き合うことになった。練習場所はすずの家の前。国道から二本ほど奥の通り、車があまり通らない狭い道で小さな坂もある。練習場所にはなかなか適している。

 ちなみに凜が自転車に乗れない理由は、転校前に暮らしていた都市では自転車の練習できる場所がなかったからだという。


 小さい頃にさんざん特訓した上で乗れないなら厄介だが、ただ乗ったことないだけなら。体育の授業で見る分では、凜は運動神経悪くなさそうだし、特訓すれば絶対自転車に乗れるに決まっている。一ヶ月もあれば乗れるようになるだろう……、なんてタカを括っていたのだけれど。


「凜ちゃん、だいじょうぶだって。転んでもジャージ着てるんやし」

「でも転んだら絶対痛いよねぇ?!」


 凜はキュッときつくブレーキをかけ、つんのめりつつすずを振り返る。くりっとした大きな瞳が涙目になっている。実は十日ほど前に、試しで手を離してみたら転倒、膝を擦って以来、ちょっとしたトラウマと化してしまった。

 おかげでなかなか先へ進めず、夏休みも始まり、特訓は一ヶ月半に及ぼうとしていた。


 小さい頃ならともかく、大きくなってから転ぶとなぜか物凄く痛い気がする……のは理解する。でも、痛みを過剰に怖がっていてはいつまで経っても、凜は自転車を乗りこなせないだろう。凜がひとりで自転車に乗れないのは気持ちの問題な気もする。


すずちゃん!絶対手ぇ放さないでよ?!絶対だよ、絶対!」

「うん、わかった」

「ちゃんとサドル支えてくれてるよね?!」

「うん、支えてる支えてる」


 ペダルに足を乗せ、凜は再び自転車を漕ぎだした。

 すずがサドルを持ってくれている。そう信じたためか、背筋はまっすぐに、まったくふらつきもせず、余裕で自転車を漕ぐ。


 なんだ、できるやん。

 感心すると同時にすずはふと思いつき、凜に気づかれないようサドルを支える手をそっと放した。


 あれ、普通に自転車漕げてるやん。

 支えてるふりを続け、凜の後を追う。万が一転んだ時にすぐ助け起こすために、どこまでひとり漕げるか見守るために。

 それから、道路を三往復してもまだ、凜は一度も転ばなかった。


 もうとっくに手を放してるって暴露してもいいかな。

 声を掛けようとした矢先、凜はまた強めにブレーキをかけ、その場で止まった。


「ねえ、すずちゃん。わたし、一人で自転車に乗れてた、よね?」


 咄嗟のことに言葉を詰まらせたすずを凜はもう一度振り返る。


「支えてるって言ってたのに……、ウソつきだなぁ」

「ごめん。けど、」

「いーよ!おかげで支えなしで乗れたし、なんとなくだけど転ばず乗るコツが掴めたし!」


 ありがとー!と破顔する凜の髪を、顔を明るい日差しが照らす。

 眩しさと照れくささですずは目を細め、ごく控えめに笑い返した。

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【KAC20245】凜と涼 青月クロエ @seigetsu_chloe

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