そして西へ

 つった足で地面を擦りながら、歩ですらない歩みで村を進んでいく。

 氷柱と吹雪により、あったはずの村の名残は最早残骸とすら扱えないほど。

 吹雪は止まったが、それでも村が溶けることはなく、壊れてしまった物はもう戻っては来ない。

 家も、畑も、人も。つい先ほど、酒場で酒を片手にはしゃいでいた荒くれ達も。

 盆から零れた水のように、二度と元ある形に戻ることはない。敵さえ倒せば全てが元通りなど、そんな都合のいい幻想などどこにもなかった。


「……っ、トゥエルナさん」


 それでも歩いていると、ようやく彼女の落下元まで辿り着き、広がる惨状に一層強く歯を食いしばってしまう。

 自ら凍らせた地面へ無惨にも倒れる彼女は、最早人としての形を留めておらず。

 千切れた翼。砕けた氷の片腕。そして両断され、腰から上のみか細く揺れ動く彼女の身体。

 まさしく人の成れの果て。トゥエルナという女性の尊厳など一縷たりともなく、ただ朽ちゆく哀れな骸。それこそこの戦いで唯一得た成果──俺の刃によって生まれた現実だった。

 

 彼女の側まで辿り着き、倒れないよう必死で屈み、トゥエルナさんの身体を抱き上げる。

 冷たい。冷たすぎる。まるで氷のよう、生命いのちの温かみが微塵もない。

 嗚呼、分かっていたじゃないか。俺が奪ったんだから。……俺がこの手で、殺したんだから。


「貴方の雷は、光は……。そう、ごめ、んね……、アン……ディード」

「トゥエルナさんッ!! トゥエルナさん……」


 聞き取れないを言い残し、そうしてトゥエルナさんの目から輝きが失せる。

 悲痛に悶える身体で必死に彼女を揺すり、何度名を呼び直そうとも。

 彼女はもう応えない。最期の言葉すら曖昧で、けれども二度と口を開くことはない。


「俺が、俺が殺した……。う、うあアアァァ!!!」


 亡骸を前に、今になってようやく現実が追いついてくる。

 斬った感触を思いだし嗚咽を漏らす。彼女を遺体へ吐きそうになるのを喉を押さえ、自分の呼吸が苦痛になろうと懸命に堪える。

 

 大切な仲間であった人であり、ディードの兄貴と同じくらい頼りになった憧れの人。

 そんな彼女を俺は斬った。殺した。殺した。大切な仲間の一人を、俺が手に掛けた。

 如何に魔性に呑まれ、非道に堕ちていようと。他ならぬ俺が、この手で斬って殺したんだ……。


「なんで、何だって、どうしてッ! どうして、こんなことに……」


 風も止み、静寂しかない村の中、ただひたすらに慟哭が止まらない。

 これほどまでに運命を、そして目の前の現実を恨んだことはない。

 嗚呼、何と身勝手なことか。何と浅ましく下劣な心だろうか。

 それが如何に恥ずべき感傷か、裡うちにこびり付いた理性は理解しているのに。例え何度悔いようが、所詮は俺が振った剣で招いた結末だというのに。


「終わったから来てみりゃあ……なんて声、出してやがるっ……」


 そんな様の俺では不規則な足音にも気づけず、掛けられた声でようやく彼の存在を思い出す。

 そうだ《マスター》。彼がまだ生きてるんだから、泣いてる場合じゃない。


「……ッ、おっさ──」


 トゥエルナさんの亡骸を持ち上げる力はなく、けれど置くことだけはしたくなく。

 そのまま重量と苦痛に耐え、首だけをゆっくりと向けて──彼の姿に、最早言葉を失ってしまう。


 義足は砕け、兄貴の剣を支えにして歩く店主マスター

 息は荒げ、彼の肩と腹は赤黒く滲み、右の目は閉じられながらも血の涙を流してしまっている。

 そしてここまで辿り着いて力尽きたのか、剣を落として地面へ倒れてしまった。


 戦闘に巻き込まれたのか。……巻き込んで、しまったのか。

 

「おっさん、おっさん……」


 膝で地面を擦り、店主マスターの元へ近寄ろうとしたがおもうようにいかず、よろけた拍子にトゥエルナさんの亡骸を落としてしまう。

 すぐに拾い直そうとしたが、必死で思いとどまり顔を背け、店主マスターの下へと進んでいく。

 身内の死より限りある生者を。それもディードの兄貴やトゥエルナさんから教わった、冒険者としての心構えだったから。


「おいおい、勝者がんな面晒してんじゃねえよ……」

「だって、だっておっさん、怪我がっ……!!」

「ああ、助からねえ。今はまだましだが、もういくらかすれば俺も死ぬだろうよ」


 俺とは対照的に、店主マスターは何故か大らかににやつくのみ。

 まるで今にも迫る死神の鎌なぞ、恐れるに足らずとも言うように。


しるしを刻まれてから、もうずっと死んでたようなもんだからなぁ。心の整理をつける時間は充分にあったさ」

「でも、でもっ!! 俺がもっと上手くやってれば、あんたくらいはっ……!!」


 たすけられたはずなのに。

 そう言いかけた俺の口を店主マスターは血の付いていない方の手で押さえ、そのまま頭へと置いてくる。

 昔何度もディードの兄貴がしてくれた、咎めるような、けれど宥めるような手。──俺の知らない父親を思わせる、厳しくも優しい手だった。


「お前は救ったんだ。この村を、……あのまま凍てつくだけだった俺を。だから、誇ってくれ。それが冒険者の、鉄則だろ?」


 ぐしゃぐしゃと、店主マスターは俺の頭を雑に撫でてくる。

 不思議と理解してしまう。それが情けなく泣く俺への励ましでもあり、俺を通して見た誰かへの未練であると。

 けれどずるい。ずるいよおっさん。

 そんな顔をされちゃ、俺にはもう何も言えなくなるじゃんか……。


「……北西へ行け。未踏の荒野アンホライを抜け、ひたすら歩けばレストって街がある。そこなら、お前の望みも叶うだろうさ」

「レスト……。んなこと言われても、あんたを置いていけるわけが──」

「死体は重荷にしかならねえよ。それにな? 俺はもう、この村から出る気はねえんだ……」


 そう言った直後、店主マスターの手が落ちていく。

 その脱力で否応なく理解してしまう。重傷な自分を差し置き俺を励まそうとしてくれた彼は、今にも息絶えそうなほど限界なのだと。

 

「……ああそうだ。もしお前が息子に会ったらよぉ、馬鹿な父親が『すまなかった』なんて、身勝手なこと言っていたと、伝えてくれねぇか?」

「ああ、嗚呼!! 伝えるっ! 必ず見つけて、伝えるから! だからッ!!」

「……へへっ、そうかよ。そりゃ嬉しいぜ」


 掠れた声。浅くなっていく呼吸。それでも彼は静かに笑う。

 それは冒険者するべき表情。不得意で悲観的な俺が憧れた、死地でも不敵に笑みを浮かべて鼓舞してくれる、ディードの兄貴と同じように。


「さあ、もう行け。ここで寝ちまえば、今度こそ凍死だぜ?」

「……ああ。ありがとう店主マスター、この恩は一生忘れないから」


 そうして黙る店主マスターの前で、一度目を閉じ、気力を振り絞って立ち上がる。

 もう、俺が掛けてやれる言葉はない。

 セリスであればそれでもと言うかもしれないが、俺には店主マスターの覚悟に水を差すことが出来ない。

 

 それにおっさんの言うとおり、俺にはやらなければならないことがある。光の翼ローゼンタークの団員として、つけなければならないけじめがある。

 トゥエルナさんは言った。セリスが待っていると、確かにそう言った。

 つまりあいつもトゥエルナさん同様、銀蜘蛛くもなる下衆げすに憑かれ、こんな非道な真似をするほど変わり果ててしまったということだ。


 ……虫酸が走る。よくも仲間を、セリスの尊厳まで踏みにじりやがって。


 兄貴の剣バルドを拾い上げ、トゥエルナさんの亡骸の側へ突き刺す。

 兄貴の剣を墓標に。せめて死後は共にあれるようにと、埋葬する余裕のない俺に出来るせめてものこと。

 そしてこれは戒めであり誓い。永久に忘れず、けれど足を止めないという俺が刻むべき傷であると。

 

 ……殺した張本人が何浸ってるんだか。きっと碌な死に方しねえだろうな、俺は。


「行くぞ、レストへ」


 覚悟は決まった。涙も甘さもここに置いて、振り向くことなく先へ進む。

 光の翼ローゼンタークの仲間を捜し、ニースへ向かう。そしてセリスを見つけ、場合によってはこの手でけじめを付ける。


 この期に及んでもなお、俺はまだ終わった世界について知らないことだらけではある。

 だがもう迷わない。剣を振る理由だけは、もう曲げるつもりはない。

 このクソッタレな赤い空も、銀蜘蛛くもとかいう蛆虫も、俺が全部一掃してやる。

 

 それが今の俺の、光の翼ローゼンタークのアンクとして為さねばならない役目。

 三年も眠りこけ、仲間を殺した人でなしに許された、ただ一つの生きる意味なのだから。


────────────────────

読んでくださった方へ。

諸々から需要がないと判断いたしましたのでここで完結とさせていただきます。

気に入ってくださった方がいるなら誠に申し訳ございません。

次こそは読んでもらえる作品を書けるよう頑張りたいと思いますので、もし機会があれば見てもらえると嬉しいです。


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仲間殺しの雷炎剣 わさび醤油 @sa98

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