源剣解放

 剣に纏わせた炎を猛らせながら、挨拶とばかりに真横に剣を振り抜く。

 風を切り、冷たい嵐を突き進み、やがて空を奔る無数の赤炎。

 斬鳥ざんちょう。幼少の頃に村で編み出し、初めて見たセリスが鳥が空を駆けるようだと形容したことからそう名付いた基礎技の一つ。

 

 翠の剣エメルとの契約の影響で一層はやく、激しく飛翔する斬り火の鳥共。

 だが炎の疾走の一切が、この災害の元凶に届くことはなく。

 目前数メートルの地点で途端に灯りを失い、凍らないはずの火は凍結し砕けてしまう。


「その魔力に斬撃……。あら、あらあらあらっ! まさか貴方、アンクなの?」


 それでも意味はあったのか、荒れ舞う吹雪が途端に止んだと思えば彼女は降りてくる。

 その優雅さはさながら天使の降臨。絵画の一枚をそのまま持ち出したかと思えてしまうくらい。

 だがそれと反比例するかの如く、彼女の羽から発される魔力は更に濃密になっていく。

 

 あれは例え一角の戦士であろうと、対策なく吸い続ければ中毒死してしまう濃度。

 魔力の質は変わっていないはずなのに、感じるそれは以前とはまるで違う。

 包み込むような優しさではなく、周囲を圧するような暴虐の魔力だと、張った神経が警鐘を振るわせていた。


「……そうだよ。久しぶり、トゥエルナさん」

「ええ、久しぶり! 生きていてくれて嬉しいわ! 私もセリスも、ずーっと心配していたのよ!」


 ここが地獄のど真ん中とは思えない、日常みたいに声を弾ませてくるトゥエルナさん。

 決して欠片も警戒を緩めず、今この瞬間にも首を断ち切る覚悟で会話に応じることにする。

 

 分かっている。分かっているとも。

 彼女との戦いで時間を掛けること、それこそが最大の愚行であると。こうしている間にも、状況が不利になっていくのは俺の方であると。

 けれどどうしても、俺には訊かなくてはならないことがある。同じギルドの仲間として、問わねばならないことがあるのだ。


「……そうだね。俺も会えて嬉しいよ」

「ええ! 嗚呼、何て嬉しい日! さあ、私とニースへ行きましょう! セリスも喜ぶわ!」


 嬉しげに話しながら、まだ人である方の手を伸ばしてくるトゥエルナさん。

 

 ……変わっちゃいない。最後に会った頃と何一つ変わっちゃいない。

 不思議なことに彼女の喜びに嘘はなく、心の底から俺の生存を喜んでくれているのだと、何年も一緒にいた年月が確信させてくる。

 だがそれでも、例え彼女の言葉があの頃と変わらないとしても。

 彼女の異形が俺の理性が喜ぶことなど許してくれない。それどころか、一層警戒を強めろと訴えかけてくる。


 だからこそ、訊かなくては。俺がどうするべきかを、彼女の口からはっきりと。


「その前に聞かせて。この村を滅ぼしたのは貴女? ……ディードの兄貴を、殺したの?」

「……ええ。私がやったわ。けど信じて! 私だって不本意だったのよ?」


 身を切るような葛藤の末、ようやく口に出来た問い。

 けれども彼女はそんな俺の想いなどお構いなしに、それが小さな不幸のように語ってくる。


「ヤドリ様の御意志と言えど、私もこの村の人を苦しませる気はなかったの。けれどディードは分かってくれなかった。それどころか、私に剣を向けてきた。だから──」

「もういい。もういいよ」


 吐き気がする彼女の言葉を遮るために剣を突き出す。もうこれ以上、彼女の醜態を耳にしたくなかった。


「……危ないわね。最初に教えたわよね? 冒険者の鉄則、仲間に剣を向けることなかれ」

「覚えているさ。だから振ったんだ。仲間だからこそ、今の貴女は見てられない」


 意識外であったはずの刺突。頭蓋を貫くべく放ったそれは、防御せずとも氷の翼に守られてしまう。

 あの頃と同じ優しい声。あの頃と変わらないたおやかな口調。

 だが同じなのは表面だけ。まるで元あった中身はぐちゃぐちゃに変質してしまっている。

 

 俺の知っているトゥエルナさんであれば、自分の行いに言い訳なんてしなかった。非情な選択であろうと、誰かの意志なんぞで他人を傷つけはしなかった。

 誰よりも凜々しく、時には兄貴にだって食いかかる芯の強さ。

 そんな輝ける彼女は今や見る影もなく。痛々しい外見よりも、尚のこと内側が腐ってしまっていた。

 

「……そう。貴方も私を拒むのね。なら仕方ないわ、少し痛い目をみてもらいましょう」


 トゥエルナさんは顔色を虚無へと変え、翼をはためかせて空へと駆け上がる。

 やはり抑えていたのだろう、魔力は蓋が外れたように彼女の中から吹き荒れ、周囲を瞬く間に凍てつかせていく。

 ……あの頃とは桁違いだ。完全に俺を凌駕している。これは、速攻で決めないとまずいな。


剣よ、燃え盛れイフニス


 掲げた剣に魔力を込め、炎の勢いを更に高めていく。

 良い手応えだ。いけるとは思っていたが、まさかここまで俺の全力の火力に耐えうる剣とは。


『当たり前じゃ。わしはお主に応えるために剣になったんじゃからな』

「……感謝するぜ。これなら、希望は持てそうだ」


 あくびするエメルへ小さく感謝を言葉にしながら、空か落ちる氷柱を斬り溶かす。

 えらく鋭い。上手く弾いたはずなのに、手に少しだけ痺れが走ってくる。

 まるで槍を弾いたような感触。単なる氷柱一つだが、膂力までも以前と段違いってわけかよ。


「強くなったのねアンク。でも加減は分かったわ!」


 とにかく全力で戦えると、魔力を昂ぶらせながら踏み込もうとした、その瞬間だった。


「なっ、嘘だろッ……!!」


 空を埋め尽くす膨大な氷柱は、赤い空にも拘わらずに浮かんだ星々のよう。

 指を折るなど馬鹿らしい。目視ですらそれが百はくだらないとしか察せられない数。

 まるで氷柱の雨。落ちるのでなく降ろうと矛先を定める、無数の砲門に等しかった。


「大丈夫、ディードの時みたいな失敗はしないわっ! セリスに怒られちゃうからっ!」

「っ!! くそがッ!!」


 驚愕から一息すら待つことなく迫る氷柱群に、俺は回転しながら魔力を放出する。

 放出された魔力を喰らい燃焼したそれは、螺旋の軌跡を描き、炎の竜巻を具現させて氷柱を悉く燃やしていく。

 

炎塔えんとうね。やっぱり凄いわ! 流石は私とディードが見出した才っ!!」


 だがそれでも、彼女は嬉々として余裕を崩してくれない。

 馬鹿らしい数の氷柱を無に帰そうと、子供の成長を喜ぶみたいに連射し続けてくる。


「でも分かっているわよねっ!? それじゃ貴方は私に勝てないっ!! 昔と同じだって!!」


 ……当たり前か。あの人は分かっている。このまま行けば、俺に勝ち目がないことを。

 炎と氷。それだけで測れば確かに属性は俺が有利。魔法の押し合いのみに限れば、俺に軍配が上がりはする。

 けれどこのままじゃ俺の魔力が先に尽きる。そもそもの話、剣主体の俺じゃ距離を取ったトゥエルナさんへの勝ち目などほぼ皆無だ。

 やはり接近戦に持ち込むしかない。大技で氷柱を散らし、その一瞬で彼女の寸前まで詰めれば──。


「でも私は違うっ! ヤドリ様がお宿りになって力を得たっ!! 見せてあげるわっ!! 熱凍ヒートアイスっ!!」


 このまま炎を伝い駆け上がり、空へと飛び出して間合いを詰めようとした、その瞬間だった。

 炎の竜巻は突如として活力を失っていく。それどころか凍らないはずの俺の魔力が、瞬く間に氷の壁へと変わっていってしまう。

 あり、得ないっ……!! トゥエルナさんの氷魔法じゃ、俺の炎は凍らせられないはずじゃ……!!


 炎の竜巻は氷の牢獄へ。そして空からは巨大な氷塊が俺を押し潰そうと迫ってくる。

 逃げ場はない。俺を守っていたはずの炎は、俺の逃がさぬ為の分厚い壁へと成り果ててしまった。

 故に取れるのは一択。今にも迫る命の脅威と俺を閉じ込める氷の塔を、すべからく燃やし尽くすのみ。


「くそがッ!! 炎衝えんしょうッ!!」


 決断は一瞬。即座に剣を地面に突き刺し、剣に充満させた魔力を爆発させる。

 全方位に吹き荒れる爆炎は、俺諸共に周囲の氷を爆散させ、氷の牢獄を粉々に粉砕する。

 嗚咽が如く軋む身体。燃える衝撃は強力だが、使い手である俺にすらダメージが入ってしまう。参考にしたセリスはこれよりも遙かに強烈で、尚且つ自身に一切の負荷が掛からないというのに。

 

 だが構うな。今はそんなことはどうでも良い。

 痛みも疼きも全て呑み込んで地を駆けろ。どれほど命を削ろうと、決して炎を絶やず足掻け。

 止まってしまっては相手の思うつぼ。俺の炎が凍らされる以上、足を止めては戦闘の放棄と同義に他ならない。

 

 ──分かっている。そんな事実は、俺が誰よりも理解している。


「無駄よ無駄っ。貴方の実力を知っている私がっ! 貴方を近づかせるわけがないじゃない!」


 だというのに、回避と迎撃だけで精一杯。距離を詰めるどころか、反撃の糸口さえ見出せない。

 無慈悲に飛ばされる氷柱の雨。そして地面に刺さった氷柱が浸食し、更に温度の低くなる周囲一帯。

 いつまでもいつまでも。大仰な知略など必要のない、最も単純で残酷な蹂躙。

 力による圧制が無慈悲に俺を削り、そして蝕む。自らが激しく踊らされ、少しずつ希望の道が閉じいてくのを


 そんな俺を見下ろし、嗤いながら、しかしトゥエルナさんは待ってくれはしない。

 徐々に減衰する俺とは対照的に、彼女を囲む魔力は膨れあがり、地面に流れる魔力の流れが陣を為していく。

 しまった。氷柱は魔法陣を描くための布石。しかもこれは、この人の──。

 

 

氷世界アイスバーン



 そうして世界は煌めき、刹那、白銀と透明が世界を覆う。

 氷柱に脇目も振らず、どうにか跳び上がって回避しようとしても一歩遅く。全身は氷に覆われ、動くことは愚か呼吸すらままならない。

 氷世界アイスバーン。トゥエルナさんの──氷刻ひょうこくの真髄にして秘奥。生物に留まらず、世界へ刻み癒えることのない永久の凍結。

 危険だからとせがんでも見せてくれなかった魔法。まさか、初めて見る機会がこんな場面になるとはな……。

 

「これで終わり。嗚呼……!! これが、これこそがッ!! ヤドリ様から賜った力ァ……!!」


 呼吸すら叶わず、薄れゆく意識の中、誰かの声がぼんやりと届いてくる。

 それが本当に誰かの言葉なのか。それともただの幻聴なのか。回らない頭では、それすら判断はつかない。

 勝てなかった。ついこの前は状況次第で五角……いや、彼女からしたら三年も経っているのだし、こんな無様に負けても当然か。

 嗚呼、もう疲れた。世界が暗くなっていく。影も形もない誰かが俺を手招きしている。

 もういいか。頑張ったもんな。このまま眠ったって、誰も文句は言わないよな……。

 

『諦めるのかえ?』


 諦めるとも。だってもう勝ち目はないんだ。

 俺の身体も魔力だって、既に体温を失い凍りつつある。この状況から覆すことなんて、天地がひっくり返るくらいの奇跡でもなければ不可能だだろう?


『それで良いのかえ? 主は本当に、それで満足しているかえ?』


 ……良くはないさ。けど負けたんだ、完膚なきまでに。

 これ以上、俺に何が出来るってんだよ。指の一本すら、呼吸の一つすら出来ないってのに。


『否。問うておるのはあるじの意志のみ。──折れるか抗うか、それのみじゃ』


 ……うるせえな。そんなもん、答えは決まってるだろうが。

 いつだって今だって、心までは凍てつくもんかよ。だって俺はまだ、何も為せていないッ……!!


『なれば唱えよの名を。声でなくとも心で叫べ。例えそれを知らずとも、確かにお主の心に刻まれているはずじゃ。──さあ、さあっ!』

源剣エメル解放リリースッ……』


 姿なきいざないに応えて唱える。

 果たしてそれは声だったのか、或いは想いだったのか。発した自分にすら定かではない。

 けれど確かに形にした。そしてその願いに応えるよう、内に宿った俺を糧に爆発するっ──!!


「──ッ!! これは、一体……!?」


 氷を砕かれ、飛び退くように空へと上がるトゥエルナさん。

 ……不思議だ。さっきまでが嘘みたいに意識が鮮明で、世界がより色鮮やかに映っている。

 凍り付いたはずの身体もすっかり力を取り戻している。それどころか、無尽蔵に力が溢れて止まらない。

 

「何だ、これ……」

『急ぐがいい。三十秒、急造故今はそれしか保たんのでな。この機を逃せば今度こそ終いじゃぞ?』

「……ああ。負けないさ」


 姿を見せないエメルに感謝しながら、いつの間にか手へと収まっていた剣を強く握りしめる。

 剣に、そして己が纏う魔力に迸る火花。それはさながら雷が俺の元へ落ち、そのまま帯電しているかのよう。

 過剰な密度の力の発散によるものではない翠の雷。

 俺の適性では電気なんて起こせない。どれほど魔力を高めようと、こんな現象は起きないはずだ。

 

 この力がなんなのか。──そんなことは分からない。

 こんな膨大な力、必ず代償があるだろう。──そんなことはどうでも良い。


 今勝てれば何だって構わない。今動けなければ意味がない。

 あの人の凶行に、俺が蹴りをつけられるならそれでいい。兄貴に出来なかったけじめは、俺がここでつけなければならないんだ。


「……行くぞ」


 上空の彼女が狼狽した、そのたった一瞬の隙。

 惜しむことなく湧き上がるありったけを力に変え、強く強く地面を踏み切いて空へと飛び出す。

 赤い闇夜を奔る翠雷。

 次の瞬間、俺が意識するよりも早く彼女の人であった方の腕を貫き、背後へと辿り着いていた。

 

「なっ……!! ぁぁああア!!!」


 腕が失い、それが落ちてようやく悲鳴を上げるトゥエルナさん。

 だが驚いているのは彼女だけではない。むしろそれを為した俺の方が、この成果に驚いている。

 なんだこの速度……!! はやい、疾すぎる……!! たった一歩踏み込んだだけで、ここまでの馬力で飛び出せるとは……!!


『やはりまだ調整不足じゃのう。ま、初回じゃし仕方なしか』

「く、そがアッ!! 糞餓鬼がッ!! 崇高なるヤドリ様のお体を、よくも欠けさせてくれたなッ……!!」


 トゥエルナさんは羽を広げながら激昂し、刹那、彼女を中心に巨大な竜巻が吹き荒れる。

 その様を目にし、あの頃の彼女はもうどこにもいないのだと切なくなる。

 ……変わったなトゥエルナさん。あんたは負傷しようと、そんな癇癪まかせの大技で暴れるような人じゃなかったはずだ。


『さて、次で決めよあるじ様。塩梅は掴んだじゃろう? お主が想定以上すぎて次の一撃で打ち止めじゃぞ?』

「言われずとも。次で仕留める」


 噴き出す炎で空を漂いながら、今度はしっかりと剣を構え彼女へ狙いを定める。

 刹那、脳裏を駆け巡る思い出。

 共に歩んだ仲間。冒険者として憧れの人。……そして今までで最も強く恐ろしい敵。

 けれどどうしてか、心は静かな水面のように平静を保っている。まるで仲間殺しをする前とは思えぬほどに。



「迸れ、雷炎らいえんッ!!」

 


 纏う炎に雷が宿り、刀身の魔力波より鮮烈に弾け、より強く輝き盛ったのは一瞬。

 次の瞬間、再度空を稲妻がはしる。 

 音を置き去りに、大気を貫く雷炎の槍。今度は振り回されず、確りと捉え刃を振るう。

 その翠の軌跡にトゥエルナさんの防御は展開すら追いつかず。確かに前方の敵の胴、そして翼を両断し、勢いのまま彼方離れた地面へと突き刺さった。


「馬鹿、なッ……。この力は、この輝きはッ……!!」

 

 反撃すら間に合わず、そのまま落ちる最中、翠雷を帯びた炎に焼かれる彼女。

 吹雪と共に彼女の魔力は霧散していく。トゥエルナさんの命が消えていくのを確かに感じてしまう。

 

 ──俺が殺した。大切な仲間を、この手で殺した。


 嗚呼、魔力も意志も抜けていく。先ほどまで無尽蔵に溢れていたはずなのに、もう砂一粒程度も残っちゃいない。

 それでも俺と同様に魔力を失った剣を支えにし、今にも落ちそうな意識を意志だけで繋ぎ止める。

 まだだ、まだ戦いは終わっちゃいない。まだ彼女が倒れた姿を、俺は確認していない。

 昨日見た猪種ボアは斬っても動いたんだ。トゥエルナさんがまだ動ける可能性は、いくらでも残っている。

 

 言葉で身体に鞭を打ち、剣を杖にして、無理矢理にでも彼女の元まで向かっていく。

 彼女を死を見届けるために。この戦いの決着を、俺が為した業をこの目に焼き付けるために。

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