会いたくなかった

 店主マスターの後を追う形で店を出た俺は、魔力で体温調整しながら彼の後ろを付いていく。

 

「……寒くねえのか?」

「問題ない。得意が火なんだ。内くらいは調整出来る」

「……それならいい。羨ましいことだ」


 店主マスター追いついてきた俺を一瞥し、それからすぐに前を向いて黙ってしまう。

 耳に伝わるのは冷たい風の鳴き声と足音だけ。からからと、音を立てるカンテラから灯る光では、彼の顔をはっきりと確認できない。

 まずい、黙るな俺。訊きたいことが山のようにあるだろうが。場の空気で縮こまってるんじゃねえよ。


「あの──」

「ディードがここを訪れたのはちょうど村が滅ぶ三日ほど前。ちょうど村は狩人を失い、明日の食事すら危うくてな。飢える村のためにと、あいつは惜しむことなく俺達に施してくれた」


 俺の言葉を遮った店主マスターはぽつぽつと、禍々しい赤い空を見上げながら話し始める。


「この村があの女……宿り蜘蛛やどりぐもの器に襲われた時もだ。誰よりも前で一対の剣を振るい、誰よりも果敢にこの村を守ろうとしてくれた」

「だが負けた。紙一重の攻防の果てに、最後の最後であいつはしくじっちまった。……歯痒いよな。人の心を持ち続けたが故に、あいつは無念のまま死んだんだ」


 淡々と話す店主。だが彼の持つカンテラは、言葉に合わせるかのように強く揺れを見せた。

 ディードの兄貴が死んだ。その事実に、俺は自分が薄情だと自嘲してしまうほど驚くことが出来ない。

 だって託されたなどと、そう言われた時点で何となく察していたから。彼を語るその節々から、その可能性がやけに鮮明に浮かんでしまっていたから。


「……着いたぞ」

「ここは?」

「物置だ。俺という人間が、如何に親として欠陥だったかの証明でもあるがな」

 

 少し歩いて到着した、不格好ながらやけに頑丈に作られた小屋へと入っていく。

 所々が凍り付いていたが、それでも風が当たらない故に外よりは大分ましな室内。目立つのは物置らしく、複数の木箱が置かれているくらいか。

 だがカンテラの灯りに照らされて視認したそこは、物置と言うにはどうにも生活感の名残が窺える場所であった。

 

 それにしても親として、か。……なら、そこは掘り下げない方が良さそうだな。


「小僧、お前に渡す物は二つだ。お前が本当に炎剣だと言うのであれば、こいつに見覚えくらいはあるだろう」


 男は複数ある箱の内、最も大きく新しいであろう箱の蓋に手を掛ける。

 箱は室内と違って凍っていないのか、どこにでもある箱のようにスムーズに開いていく。

 

「……バルド。間違いない、兄貴の剣だ」

「当然知っているか。そうだ。そいつこそあいつが最後まで戦い、その際にも砕けず奪われずに残ってくれたあいつの形見だ」


 箱の中に眠っていた剣に脳が刺激され、店主マスターの確認を取る前に手が伸びてしまう。

 見紛うわけのない、何度も握らせてもらったことのある、憧れの人が振るっていた剣。

 鞘は深紅。刀身は灰に近い白。装飾はなく、柄頭には主が気に入っていた漆黒の魔石。

 鉄より軽く、鋼より硬い神秘の凝縮は持ち主の為した偉業を、そして彼の武勇をそのまま表すかのよう。


 その剣の名はバルドとギルス。

 死の霧へ誘う古竜バルドギルスを打倒し、骨と逆鱗、そして核の二つと名にて創られた剣。

 俺が今持つ翠刃の剣と比べても見劣りすることのない、竜双剣りゅうそうけんの名に相応しき兄貴の相棒。そのうちの一振りであった。


「もう一方は死体同様奴に持って行かれちまってな。ま、流石に戦う最中に弾かれた物を拾いに戻るほどの余力はなかったらしい」

「死体を、持って行かれた……?」

「ああ。奴さん、やけにディードの野郎に執着していてな。腕を落とされ肩を抉られ、それでも尚えらく必死に抱きかかえていきやがった」


 店主マスターは俺が手にした骨剣バルドに目を細めながら、その日のことを思い出すに話してくる。

 

『すげー! 俺もそんな立派な剣持てるかなー!』

『へへっ、きっと持てるさ。セリスもそうだが、お前は俺が見込んだ男だぜ?』

 

 ふと、初めて兄貴に剣を見せてくれとせがんだ時を思い出してしまう。

 あの時の兄貴の笑み、そして頭を撫でてくれた感触は今でも鮮明に覚えている。

 セリスと共に村か出て、右も左も分からなかった俺に冒険者のいろはを叩き込んでくれた。そんな彼の優しさに、俺はあの人を兄貴と慕うようになったのだから。


「死んだんだな。兄貴は、本当に」

「……好きに持っていけ、それは遺品でしかねぇ。あくまで託された本命はこっちだ」


 兄貴の残した剣を抱きかかえる俺をよそに、店主マスターは部屋の片隅に置かれた小箱を開く。

 

「そら受け取れ。これは今からお前の物だ」

「……手帳?」

「ああ。あいつは確かに言っていた。これは遺言であり意志だと。次へと紡がねばならない希望なのだと」


 そうして差し出された黒革の手帳は、表紙に傷と染みを滲ませている。

 相当に年季の入ってはいるが、それでも造りも質もしっかりとした手帳。恐らく新品で買おうとすれば、王都でも結構値が張ることだろう。

 パラパラと中を捲れば、そこには結構な量の文章が書かれている。ふむふむ、中身はえっと……。


「これを誰かが読んでいるということは、きっと僕は死んでいるのだろう。それでも遺すことに価値があると、ウィッカーラングは麗しのロレーウエ神に祈り綴ろうと思う……か」

「何でもそこには絶望の三日に巻き込まれた人物による王都の様子が記されているらしい。……ウィッカーラングって名に心当たりは?」

「確か王都の新聞記者の名前……だったと思う。曖昧だから、確証はないけど」


 ウィッカーラング。確か手段が強引ながら権力にも噛みつくやべー新聞会社のエースだったはず。

 俺は会ったことはないのだが、それでも三回ほど取材に来たと以前トゥエルナさんが苦々しげに言っていた気がする。

 そんな記者が遺した騒動の中心の記録。……なるほど、確かに紡ぐべき遺産だな。


「気になるならこの村を出た後で読め。この寒さじゃままなら……んッ!!」

「っ!? おっさん!?」


 役目は終えたと早々に小屋から出ようとした店主マスターだったが、途端に急に胸を押さえて苦しみ出してしまう。

 直ぐさま駆け寄り声を掛けるが、彼はなおも強く首元を押さえながら藻掻くのみ。

 一体何か起きて……まさか、店主マスターの言っていたしるしってやつがが原因か……!?


「っそが……!! 小僧、早く村を出ろっ……!!」

「おっさん!! 大丈夫かよっ!?」

「構うなッ!! この疼きはまずい……!! 奴が、もう来るッ……!!」

「ほっとけるかよ! 悪いが見せてもらうぞ!」


 店主マスターの手を噛み、離れた数瞬の間に分厚いコートを首元を引き千切る。

 しるしってやつが呪いの類なら俺の火で何とかなる可能性だってある。……ああちくしょう! こんなことなら店内で遠慮せず見せてもらうんだったぜ!

 

「なっ、嘘だろ……? 氷刻みアイスサイン……?」

 

 後悔はいくらでもあるが、それでも引き摺っている場合ではなく。

 そうして外気に晒された肌を覗けば、そこに刻まれていた氷の傷に動揺してしまう。

 何故ならその傷は、その氷は俺にとって見慣れたものだったから。

 しるしを構築する魔法はあの人の同じ物。そして先ほど俺が店主マスターに提示した、光の翼ローゼンターク紋章エンブレムと同じ形をしていたのだから。


「くっ、とりあえず対処を」


 しるしに手を当て処置する最中、どうしようもない最悪の可能性が脳を駆け巡り続けてしまう。


 犯人は人。店主マスターが宿り蜘蛛の器と呼称していたことから、フードの男が言っていた純粋な人間の女性にのみ寄生する銀蜘蛛くもと呼ばれる何かの上位種。それに寄生された人族ヒューマンの可能性が高い。

 氷刻みの魔法アイスサインはとても難度が高く、その上遠隔で長期間作用させられる使い手など滅多にいないはず。他ならぬ彼女に教えてもらったのだから間違いはない。

 そしてそんな魔法を行使出来る上、光の翼ローゼンターク象徴シンボルを氷で再現出来る人なぞ俺は一人しか知らない。


 ……とにかく今は処置だ。この魔法の元凶など、後からいくらでも考えればいい。


「暖けぇ。なんだこりゃ……。体温が、氷の傷が……」

「よし、これで──」


 調整した橙の火で氷の傷を溶かしきり、安堵の息をついたその瞬間だった。

 外から感じたのは、身の毛がよだつほどの圧倒的な魔力の渦。

 知覚するだけで指先から凍り付きそうなそれは、まさしく極寒すら呑み込む吹雪そのもの。

 

 その正体を、その魔力を俺は知っている。

 あの人のものに限りなく酷似、いやそれと同質のものであると、嫌が応に理解してしまっていた。

 

「うぅ……奴だ。奴が来ちまった。終わりだ、俺達は」

「あいつが、外の魔力の持ち主が……ディードの兄貴をったのか?」

「ああそうだ。あいつこそが、この村を滅ぼした、悪魔だ」

「……そうか、そうなのか」


 頷いた店主マスターから手を放し、兄貴の剣を置いて魔力を高めながら自身の剣エメルを抜く。

 彼の体内には熱を与えた。この寒さであっても、一晩であれば凍えることはないだろう。


店主マスターはここにいてくれ。しるしは消したから、運が良ければ生き残れるかもな」

「小僧、お前は……」


 店主マスターの言葉を最後まで聞くことなく、覚悟を決めて小屋を出てひた走る。

 外は先ほどまでと一変し、静寂が嘘だったように真っ白に吹雪いてしまっており、かろうじて原型があったはずの村は、今度こそ凍り崩れた残骸と化している。

 そしてその上空。村を見下ろし、滅びを嘲笑っているかのようにそこにある白い玉。

 まるで繭。雪のように白い魔力と風が幾重にも重なって、怪物の休ませるための卵のよう。


「嗚呼、やっぱりそうなんだな」


 そして今、吹雪の繭は破れていく。食い破るように人は現れ、繭は羽へと形を変えていく。


 ずっと目を背けていたかった。否定していいわけがないのに、否定する材料が欲しかった。

 自分の仲間が、憧れだった人の一人が、虐殺者に成り果ててしまったなどと。

 けれど最早無意味。目の前に現れてしまったその魔力を、俺はもう否定することは出来ない。


「こんな形で会いたくはなかったよ。トゥエルナさん」


 翠の刃に盛る炎を灯し、切っ先を向けながら彼女の名を呟く。

 髪は変わらず空を思わせる水色。すらりとしながら出るところは出ている、男の欲を刺激する魅力ある体。

 けれども吹雪を凝縮した二対の翼。肉ではなく透き通る氷で造られた右腕。そして片目を歪な銀で閉ざした彼女は、最早人の様相にあらず。

 

 彼女の名はトゥエルナ。光の翼ローゼンターク随一の魔法使いであり、ディードの兄貴の婚約者であったはずの女性。

 俺とセリスがずっと憧れていた先輩冒険者の彼女が、この村を滅ぼした怪物の正体だ。

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