凍った村の酒場にて

 村へと辿り着いた俺達は、門番一人いない出入り口をくぐって村内を散策する。

 家から地面などの周囲の損傷は激しく、村と呼ぶよりは村であったものと言い換えた方がそれらしく思えてしまう荒れ具合。

 そして何故か恐ろしいほどに肌寒い。

 損傷と同じく、いやそれ以上に氷や霜に覆われた村内。村の外とは世界が違うと、そう感じてしまうくらいの肌を刺すような冷気がこの村を満たしている。


 まるで何者かに村が襲われ、その際に凍らされたようだと。

 そこまで考えてから、刹那に過ぎってしまった最悪の予想を首を振って否定する。

 いやいや、そんなわけがない。確かにあの人の氷魔法は凄かったが、それでも村を恒久的に凍らせ続けるほどの力はなかった。

 ここは未踏の地平アンホライなんだ。大方屈強な獣の襲来にやられ、異常気象にでも晒されたのだろう。


「くちっ、随分ひゃっこいのう……。のうあるじ様、調べずともここに人などおらんじゃろう。はよ火を焚いてほしいのじゃがー?」

「……いや、断定するにはまだ早い」


 エメルの言を否定しながら、地面に転がっていた酒瓶を足で拾い上げ、逆さにしてみる。

 するとほんの僅かだが、滴り落ちる数滴の雫。

 口に鼻を寄せてみれば、強い酒の臭いが残っている。凍結していないこと、そして側の汚れ具合から見ても、やっぱりこの瓶は捨てられてから時間が経ってない。それどころか直近のはずだ。

 根拠としては大分薄いが、それでも人がいる可能性を切り捨てるには惜しい。

 もっとも既に立ち去ったか、この極寒で物言わぬ氷像に変わり果ててしまった可能性がないとは言い切れないが。

 

「……ほれ見ろあそこ。光がある。誰かいるぞ」

「べくちッ!! あ゛ー光ぃ? ……本当じゃ、光じゃな!」


 少し歩いた後、俺が指差したのは大きめの、比較的損傷の少ない家。

 形状、そしてサイズ的に酒場だろう。なるほど、確かに人が集まり暖を取るにはもってこいってわけだ。

 しかしどうにも解せないな。人がいれば、多少なりとも何かしらの音が聞こえてくるはずなのだが。


「一応言っておくが、人前では構えないからな。可笑しい奴だと思われたくない」

「よいよい。わしも眺めたいだけで関わりたいわけではないからのう。必要であれば出てくるわ」


 そう言い残したエメルは、欠伸をしながら霧が晴れるかのように消失していく。

 消えていく所自体は昨日も見たので驚きはしないが、それでもどうにも慣れない光景だ。

 身体に頓着しないのは精霊スピリットの性質らしいが、実体しかない人族ヒューマンの俺には理解出来ない感性だな。

 

 ともあれこれで事実上一人。寂れた村に相応しく、静寂に戻ってしまったわけだ。

 静寂。そうだ、静寂だ。風の音のみがあるだけの、暗く冷たく寂しい村。

 あの光が死に際のお残しでないことを願いつつ、明かりのついた家の前まで歩き、年季の入った木の扉を引いて開ける。


「……何だ。いるじゃないか、人」


 扉を揺らすと共に鳴るのは小さな鐘の音。そして途端に伝わってきたのは暖かな空気、そして静寂など無縁な喧騒だった。

 酒を煽り、下品に笑い、カウンター越しで無言のままグラスを拭く強面の男。

 人の数は少なくともまさしく酒場。どこであろうとそう変わることのない、ごろつき共の溜まり場だ。


 少しの安心感を覚えつつも、真っ直ぐ店主マスターであろう人物のいるカウンターまで歩き、側に剣を立て掛け空いている席へと腰を下ろす。

 見慣れぬ客が珍しいのか、やけに人の視線を感じるが気にする必要はない。

 こんなど辺境にあるボロボロの村の酒場だ。そもそも人が来る想定のされていない、閉塞的な身内の集まり場なのだろう。


「見ない顔だな。レストの遣いか?」

「レスト……?」

「……違うらしいな。注文は?」


 こつこつと、足底とは違う固い音を鳴らしながら近寄り、無愛想に尋ねてくる店主マスター

 ……強いな。晒している腕だけでも、王都でも中々見られないほど鍛え上げられた筋肉だ。

 しかし義足か。惜しい、その足でなきゃ相当に腕が立つだろうに。


「弱いのを適当に一杯。後、何か食うもんがあればそれを。腹が減ってんだ」

「……あいよ」


 雑な注文にも眉一つ動かすことなく、てきぱきと作業に取りかかる店主マスター

 その間にトイレを借りて戻ってくれば、既にグラスと料理が準備されていた。


「悪いが食い物はこれしかねえ。文句は言うな」

「いや助かる。いくらだ?」

「いらねえよ。金なんざ無価値だし、貰った所で無意味だからな」


 無料でいいのか。そいつは随分とまあ気前の良いことで。

 無料ただより高い物はないと理解しながらも、礼を言いながらスプーンを取り、湯気の立つ赤黒いスープの迫力に若干躊躇いながらも一口流し込む。

 ……うん、悪くない。というか、見かけに反して大分美味い。

 内まで火が通り、ほくほくとしたごろ芋。食べたことのない、刺激的だが不快にならない辛み。

 俺の住んでいた村も含め、地方の味というのは当たり外れが多いのだが、これは当たりと言っても良いだろう。

 

「……美味いな。店主マスター、これ何て料理だ?」

溶岩煮シューレルツ、俺の故郷の味だ。……ま、随分昔に潰えた料理だがな」


 一日ぶりの真っ当な料理に手が止まらず、気がつけばあっという間に皿の中は空に。

 満腹ではないものの、心に溜まった満足感のまま腹を撫で、それから一口酒を流し込む。


「ふうっ。ごちそうさま、美味かったよ」

「……そうかい、そいつぁ何より。最後の客の評価としちゃあ申し分ねえよ」

「……最後?」

「ああ。さあ、それ飲んだら村から出ていきな小僧」


 腹の虫も黙ったことだし、今晩はどこで寝れば暖を取れるだろうかと。

 そんなことを考えていた俺に、俺の皿を下げた店主マスターは何故か真面目な顔でこの村か出るように言ってきた。

 

「……随分排他的なんだな。村の寒さは人の心の表れか?」

「失礼なガキだ。こちとら見るからに怪しい、まともじゃねえ奴に善意で言ってやってんだがな」


 そう返されると弱い。

 こちらの身なり剥き出しの剣と、おおよそ長旅に適していない格好だけ。考えれば考えるほど、確かにこっちの方が遙かに不審者だ。

 だがその棘のある口調。それ故に、悪意でなく確かな忠告であることを感じ取れてしまう。

 やはり何かあるのか、この村には。部外者を巻き込みたくないような、大きな理由が。


「この村はまもなく滅ぶ。恐らく今日、長くとも明日にはな」

「……おかしな言い方だな。まるで誰かに宣告でもされたみたいな」

「分かってるじゃねえか。俺達は握られちまってんのさ。この村を滅ぼした、人の形をした怪物に末路をな」


 怪物。つまりそれは、あの正体不明の銀の蜘蛛に連なる何か、ということなのだろうか。

 

「もう一月も前のことだ。この村は宿り蜘蛛やどりの器に襲われ、そして無惨にも滅んだ。全滅を免れたのはある男が命を賭し、器に深手を負わせ撤退にまで追い込んでくれたからだ」

「……そうまでして、撤退なのか」

「そうだ。奴は生き残りにしるしを刻み、傷が癒えてから改めて滅ぼしに来ると、そう言い残して去っていった。その印こそが、この村の凍てつきの真相だ」


 店主マスターは懐から細長い棒を取り出したので、人差し指を伸ばして火を付ける。


「……加減が上手いな。こなれてやがる」

「仲間に煩いやつがいたんだ。俺は吸わないってのに、おかげで慣れちまったよ」


 その動作で、仲間であった灰のをした女森人エルフと片耳の猫人キャッツのカップルを思い出す。

 あいつらことある毎にやらせてきたからな。煙草関連には手を出していなかったディードの兄貴を見習って欲しいもんだよ。

 

「……ぷはあっ。そうしてこの村からは温度を奪われ、俺達からは体温を奪われた。肌の色は変わらずとも、もう何食っても何飲んでも温まることはねえ。度数の濃い、酔うだけの安酒に溺れようともだ」

「そしてその忌々しいしるしはここ数日で一層疼き、更に身体を蝕んで来やがる。まるでもう間もなく、再びこの地を訪れると予告しているみたいにな」


 男は煙を吐きながら、服に隠れた首下をとんとんと叩く。

 恐らくだが、そこに件のしるしがあるのだろう。見せてこないのは、こちらへの気遣いか。

 それにしても、体温を奪う氷、か。確かトゥエルナさんもそういう氷を扱えたよな。

 ……いやいや、そんなわけない。……あの人がそんなこと、するわけがない。大体あの人のは、一月も保たないんだから違うに決まっているじゃないか。


「逃げようとは、思わないのか……?」

「確かに、何もしないよりかはましかもしれねえな」

「だったら──」

「だが駄目だ。ここにいる奴らはもう折れちまってる。心も、足も」


 店主マスターは軽く足下でこつこつと音を鳴らしながら、がっしりとしたがたいに似合わぬほど弱々しく首を横に振ってくる。


「それに、この村は第二の故郷なんだ。後悔するほど出来の悪い親だったが、それでも息子との思い出だって残っている。だから骨を埋めるならここって決めてんだよ」

「……そうか。残念だ、折角あんな美味いもん作れるってのにさ」


 寂しげな態度とは裏腹に、この人はもうとっくに死に場所を決めてしまっているのだろう。

 その固い決意を前にしたら、これ以上俺が何か言えることはないだろう。

 

 これ以上の問答は不要だと、立ち上がって出ていく支度を調える。

 最低限だが必要なことは知ることが出来た。死ぬ気は毛頭ない俺が、この村に長居する理由はない。

 ああでも、最後に確認しなければならないことがちらほらあった。

 今が天暦何年だとか、ニースが本当に滅んでいるのかだとか。美味い料理の後味を汚す、聞きたくもない質問を。


「……あいつと同じ事を言うんだな。小僧、名前は?」

「アンクだ。そういや店主マスター、最後に一つ訊きたいことが──」


 質問しようと店主マスターの方に顔を向けたのだが、彼の表情に首を傾げてしまう。

 まるで存在しちゃいけない名前でも聞いたかのような、そんな大袈裟な困惑。

 なんだ一体。アンクって名前は珍しくもないだろうに、何をそんなに驚くことがあるというんだ。

 

「……おい小僧、お前冒険者だよな。所属ギルドは?」

「……光の翼ローゼンターク。こんな辺境のど田舎でも、光鎚こうつい竜狩りりゅうがりのいるって言えば伝わるか?」

「嘘だろ……!? 赤みがかった茶髪に得物は剣。じゃあお前が、光の翼ローゼンタークの、炎剣えんけん……!?」


 そこまで食い付かれると、それはそれで奇妙ではあるのだが。

 それでも嘘をつく理由はないので正直に答えると、店主マスターは先ほどまでの落ち着きとは正反対に机を叩く。

 その音をきっかけに、店内にいる全員の視線がこちらに集まるのを感じて剣を握る。

 入ってきた時の興味本位の見定めとは違い、飲んだくれ共とは思えないほど確かな緊張と警戒を秘めた視線。

 場合によっては意味のない一戦が始まってしまうと、こちらも気を張らざるを得なかった。


「……証拠は。所属を証明できる、何かはあるか……?」

「証拠? んなもんない……あ、ちょい待って」


 そんなもの持っていないと、反射で否定しようとしたがふと思い出して懐を探る。

 ……あった。そういえば、これだけは常に持ち歩いているんだ。あの日もそうで良かった。

 俺が取り出し掲げたのは、鎖に繋がれた光の翼の紋章エンブレム

 モチーフは光と火、そして翼。誰にでも届く無双の光の象徴だと、小さい頃に俺とセリスで考え、ギルド発足の際に掲げた仲間だけが持つ物だ。

 

 確かな証拠ではある。しかしこれで通じるのかは、出して初めて不安になってしまう。

 相手は連盟ユニオンの職員じゃないんだし、こんな辺境じゃ伝わるかはいまいち測りかねてしまう。


「これで良いか……って、見ても分からないよな」

「……いや、充分だ。そいつはまさしく、光の翼ローゼンターク紋章エンブレム。……これも運命ってことか、馬鹿野郎が」

「……あいつ?」


 ところが実際の反応は予想と異なり、店主マスターは俯いたかと思えばすぐに顔を上げ、掛けてあったコートを着ていく。


「時間がない。来い小僧、お前に渡す物がある。あいつから……ディードのやつから託された、光の翼お前らへの残し物だ」

「なっ、ディードの兄貴……!?」


 つい叫んでしまった俺の問いに答えることなく、奥の裏口であろう扉を開けて外へと出て行く店主マスター

 ……付いてこいってことか。でなければ、俺に教えることは何もないと。

 息を吸い、それから吐き。そうして意を決してから、ゆっくりと彼の下へと歩き出す。

 

 何故兄貴の、ディードの名前が出てきたのか。

 渡す物とは何か。

 あの人は今、どこにいるのか。

 

 聞きたいことは山ほどあるし、名を出された時点で最早俺に選択肢などなかった。

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