歩いて村へ

 一夜明け、変わらぬ赤空の下で目を覚ました俺は、その空色が夢でないことに落胆する。

 昨日までの事は全て夢で、起きればそこは馴染みある光の翼ローゼンタークの拠点の自室であればいいなと、どれほど思ってしまったことだろう。

 だがそんな願いを嘲笑う蚊のように、変わらず上を埋め尽くすのは赤。朝とは爽やかであるはずなのに、どうにも目覚めの心地好さを抱けず、青い空の偉大さを感じてしまう朝だった。


「お、起きたな。朝めしの支度は出来てんぞ」


 こんな空で過ごしていたら身体も心もおかしくなりそうだと。

 そんな現実への落胆を抱いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきたので首を振って眠気を払う。

 ……はあっ、切り替えなければ。今はこんな所で、落ち込んでいる場合じゃないんだ。


 近場の川で顔を洗い、男から渡された朝食を食べながら脳を覚醒させていく。

 昨日の晩と同様の肉。それしかないとはいえ、朝から肉は少しばかり胃と舌に重いと感じてしまう。

 ああ、厨房を占拠していたニャルナや料理が恋しい。何ならセリスの大味すぎる料理でも今は……いや、やっぱりあれを朝は辛いな。


 つい仲間のことを、セリスのことを考えてしまった頭を懸命に切り替える。

 駄目だ駄目だ。皆のことを考えていると、つい悪い方に思考が転がってしまう。

 今は無心になろう。何も考えず、ひたすら食へ没頭しよう。いろんな事は、後から考えればいい。


「……大丈夫か?」

「大丈夫。ごちそうさま、水の準備してくる」


 不作法だが今は気にするまいと、咀嚼を早めて肉を呑み込み、直ぐさま立ち上がって旅支度へと取りかかる。

 目測だが、川の水質は恐らく問題ない。これならば腹を壊す心配はないだろう。

 そこまでいき、水筒なんて持っていないことに気付くが、その直後に投げて渡してくれた。


 ……ありがたいことだ。身元は不明だが、それでも一生頭が下がらないな、あの人には。

 叶うなら落ち着いてから礼がしたいのだが、本人に名乗る気がない以上余計なお世話でしかないのだろう。

 感謝の気持ちと申し訳なさの両方を抱きつつ、水筒の蓋を閉めて彼の下へと戻る。

 諸々を片付け、後始末を終えていた男。どうやら既に支度を整え終えており、俺待ちであったようだ。


「ごめん、待たせた」

「気にすんな。目的あるお前と違ってどうせ暇だからよ」


 男はまったく気にしていないとばかりに手振りをし、そのまま手を伸ばしてくる。

 

「じゃあお別れだ、坊主。こんな世とは思えねェ、有意義で悪くねェ出会いだったぜ」

「ああ。こっちも色々助かった。ありがとう」


 差し出された手を握ると、男もまた強く握り返してくれる。

 力強くたくましい、握手だけで相当に鍛え上げられていると圧倒される、剣を握る者として尊敬すべき手だ。

 助けられたからではなくこの手だけで分かる。彼はとても強い、俺よりも遙かに手練れの冒険者のはずだ。

 

「北へ向かうなら北西へ進みな。こっから一日ほど歩けば村があるって話だ。多少遠回りだが、そこで情報でも集めるといいさ」

「なるほど、じゃあひとまずそこを目指してみるよ。……そういや、あんたはどこに向かってるんだ?」

「ああ、ちょいと東の果てにな。何でも国から抜け出せる唯一の穴があるって噂があってな?」


 ふと、そんな彼の行き先が気になり問うてみれば、男は快活に、けれどもそれが振りであるとも思えてしまう声色で答えてくる。

 脱出不可能な国の穴。それはまるで、光も希望もない闇に垂らされたか細い糸のよう。


「皆まで言うな。そんなの誰だって、俺にだって重々承知さ。こんなのは所詮、この地獄で壊れちまった人間が求めた都合のいい幻想でしかねェと」

「……なら」

「だがな? 前に進んでいけるお前と違って、世の中には虚しい希望に縋らねェと生きていけない人間だっている。これは結局、それだけの話なんだよ」


 あるわけないと、そう返そうとした俺の言葉を遮りながら、男は背を向けてくる。

 まるでこれ以上顔を向けていたくないと。フードで覆った目を、更に俺から逸らすかのように。


「それじゃあ坊主、達者でな。また会う機会があれば、そん時は名乗り合って腹を割って話そうぜ」

「……ああ。またいつか」

 

 掛ける言葉見つからず、考える猶予すらくれずに去っていく男の背を見つめてしまう。

 最後に何か気の利いた言葉でも。そう思って脳を回そうとしたが、すぐに意味のない行為だと中断する。

 あの人が言ったとおり、所詮は一夜の関係。あんな寂しげな諦観を露わにする男を、素性もよく知らない俺が励ませるわけがない。

 ……そうだな、次に会ったらその時こそ腹を割って話せば良い。今は俺も彼も、優先すべき事があるのだから。


「……去っていったのう」

「っ、びっくりしたぁ。急に出てこられるとびっくりするだろうが」

「おやすまんのう。何分一日放置された身じゃからな。次からは気をつけるとしよう」


 細めた目で背後へ向くと、すぐ側で浮遊しながら満足そうに微笑むエメルの姿が目に入る。

 どうやら放置されたのが相当お気に召さなかったらしいが、半分くらいは出てこなかった自分のせいだろうに。

 

「さて、俺達も行くか。時間は有限だからな」

「…………」

「……エメル?」


 男とは逆の道──西へ身体を向け、いざ進もうとしたのだが。

 エメルはそれに応えてくれず、男が歩いていった方角を、どこか心あらずといった具合に見つめるのみ。

 

「何だお前。あの男に惚れでもしたか?」

「……のうあるじ様や。お主、起床時間はいつも変わらずか?」


 茶化しに反応せず、こちらを向くことすらなく、えらく静かに俺へと問うてくる。

 なんだその質問。起きる時間なんて、何か関係があったりするのか?


「どうしたいきなり。……まあ、基本は一緒だな。どこでも眠れてどこでも起きられるのは長所だってディードの兄貴にも褒められたことあるし。……それが何だ?」

「……いや、訊いてみただけじゃ。ほれ、早う出発せんか。急ぎなのじゃろう?」


 俺の返事に、エメルは何かを呑み込むような間を置いてからはぐらかしてくる。

 何なんだあいつ。……ま、気にしても無駄か。問い詰めようが、本人に話す気がなさそうだしな。


 何より、エメルの言葉は正しく急ぎなのは事実。悠長に構えている余裕など、今の俺にはこれっぽっちもない。

 軽く頬を叩いて気を引き締め直し、乾いた土を踏みながら、しっかりとした歩調で荒野を進んでいく。


 未踏の地平アンホライの名にふさわしく、歩けど歩けど限りなく広がる地平線。

 俺とて冒険者。目的地までの道中、ただ歩くという作業に慣れてはいる。

 それでも暇は暇。歩けど歩けど何一つ面白みも湧いてくることはなく、目に悪い空の色で気持ちを保てという方が難しい話だ。


「奇怪じゃのうー。地上とは色んな物があるのうー!」


 だがそんな俺とは対照的に、街の探検に精を出す子供のように目を輝かせるエメル。

 羨ましいことだ。途中いくつか見慣れない植物なんかも目にするが、それでも変わり映えしない景色に少し辟易してしちまうってのに。

 まあそれでも、静寂と孤独の中を歩くよりはずっと良い。独り無言で歩いていたら、嫌な想像ばかりで気持ちが滅入って仕方なかっただろう。


「ん? なんじゃあるじ様。わしの美貌に惚れでもしたかえ?」

「なーに言ってんだ剣風情が。俺を堕としたいならせめてそのまな板を膨らませてみ──あでっ」


 どや顔がうざかったので真面目に答えてみたのだが、エメル的にはさぞご不満だったらしく、最後まで言い切る前に拳骨を落とされてしまう。

 痛った、意外に力強っ。ていうか、実体じゃないとか言ってたのに触れんのかよ。

 ま、確かにデリカシーはなかったな。この一撃は謝罪として受け取っておこう。即掴みかかってきそうなセリスに比べれば可愛いもんだしな。


「つーん」

「あー悪かったって。機嫌直せよ」

「つーん。つーんつー……おっ、あるじ様! あれ! あれ獣じゃろ!」


 怒ってるのか怒ってないのか、ただ単純に鳥頭でど阿呆なだけなのか。

 まるで目の前にしか目の行かない子供のようだと思いながら駆け出し、佇む獣の横を通り抜ける。


「戦わんのか!?」

「食べねぇし、狩る必要もないな。……って、付いてくる。回り道すべきだったぜ」


 昨日の猪種ボアと同様、頭部を銀を覆われた鼻の長い四足の獣。

 恐らくは象種エレファンツの一種であろうが、それにしては随分と足が速い。

 それにしても気付かれるとは。これでも結構な速度だったと思うのだが。

 流石は未踏の地平アンホライ生息の種というべきか。……それとも、あの銀蜘蛛くもとかいう奴が引っ付いているせいだろうか。


「少し飛ばすぞ。付いてこれるか?」

「構わぬよ。からだあるとこにわしはいる故な」


 ならばお言葉に甘えるとしよう。このままでも追いつかれはしないが、このままじゃきりがないしな。

 体内の魔力を高め、軽くなった身体で更に速度を上げて追ってくる獣を引き離そうしたのだが、想定以上の速度が出てしまったことに驚いてしまう。

 やっぱりおかしい。通常ではそこまで変化はないが、魔力関連の出力が以前と比較にならない。

 それでいて消費量に大差はなく、今だってそこそこ力を込めた程度なのに、以前でいう戦闘中の出力になってしまっている。

 昨日までの俺と変わった点などないはずだ。精々この剣と、エメルと出会った点くらいしか──。


「エメル、お前俺に何かした? 何か魔力がおかしいんだけど?」

「んー? あー気付いておらんかったのか? お主、わしと契約したことで諸々が向上しておるはずじゃぞ?」

「ああ!?」

「ひっ! 何じゃ一体! 驚かすでないわ!」


 象種エレファンツを完全に撒いた後、するりと停止して質問してみれば、エメルは呆気なく求めた答えを返してくる。

 なるほど、昨日あの岩壁を斬れたのはそういうわけか。あんまり現実味はないが、それでも理由なしよりかは納得は出来るな。

 しかしそういう重要事は口頭で伝えておいてほしい。あの変な場所を出てから話す時間がなかったし、こいつに言うのはお門違いだろうけどさ。


「しかしお主が戦わんから本領が発揮できんのー。わし、まだまだこんなもんじゃないんじゃがなー?」

「そう言われても無用な殺しは勘弁だし……おっ、あれ村か? あれがあの人が言っていた村かな?」


 その後も二回ほど異なる種の獣を振り切り、休憩を挟みながら歩くことしばらく。

 色は変わらずとも太陽が落ち、欠けた月らしきものが出始め、風も少し肌寒くなってきた頃。

 何やらエメルが不満たらたらそうに口を尖らせていたが、尋ねてやる前に景色に変化が訪れる。

 まだ小さくではあるが、それでも前に現れ始めたのは荒野に浮く明らかな人工物。音もなく光も見えないが、それでも確かに存在する自然下の異物だった。

 

 丁度良い。屋根もありそうだし、目的地かどうかは置いていて今日はあそこで休むとしよう。

 人がいれば御の字。いなければいないで、適当に一夜を明かせばいいだけだ。


「おお! あれが男の語った村かえ!?」

「さあな。とりあえず、今日はそこまでで終わりだ。着いて少し休んだら、お前の言う本領ってやつも試すとするか」

「おお! ようやくか! 楽しみじゃのう! お主の驚く顔が待ち遠しいのじゃ!」


 そこまで自信ありげに言うとは、果たして何が出てくるのやら。

 多少気になりはしたものの、ひとまずは村の状態を確認することを優先しなければと気を引き締める。

 はてさてあの男の言葉がどこまで真実なのか。場合によっては、戦闘の可能性も覚悟しておかなきゃな。

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