だから行くよ

 パチパチと、暖かな橙色の火を囲んで座りながら肉に齧り付く。

 噛んだ瞬間口に広がるのは、猪種ボア特有の臭みと癖は少しあるが、それが気にならないほどの厚みのある旨味。

 これで適当な香辛料でもあれば尚良しだが、流石にそこまで求めるのは贅沢だろう。


 ちなみにエメルは今引っ込んでいる。どうせ他人には姿が見えないし、肉も食えないので少し眠るとのことらしい。


「美味いだろう? 本来荒猪ウェスタボアってのは噛み千切ることが困難ってくらい硬いんだが、あいつらが付くと肉質が上がるんだ。調べた物好きが言うには、刺激された脳からの信号で全身が活性化するってわけなんだと。本当、皮肉なことだぜ」


 舌鼓を打つ俺とは対照的に、声色からですら分かる不快さを露わにしながら肉を囓る声の主。

 いや、そんな常識みたいな感じで理解を求められても困る。

 あいつというのはあの銀の蜘蛛種スパイダーのことだろうが、それにしたって事前情報が足りなさすぎる。

 大体何で未だに顔を隠したままなんだ。助けられた手前強くは言えないが、それでも対話の意志があるのなら外してくれても、せめて名前くらいは明かしてくれても良いじゃないか。


「……あの、フード取らないんです?」

「ああすまんね。顔を晒したくないんだ。最早名前も誉れも捨てちまった身、好きに呼んでくれて構わねェさ」


 つい訊いてみてしまったのだが、返ってきたのは予想外に申し訳なさそうな声色の謝罪であった。

 そんな声で謝られてしまったら、これ以上の詮索も申し訳なくなる。

 ま、大方訳ありなのだろう。精々俺の勘を信じ、こいつが札付きじゃないことを願うばかりだ。


「ところで坊主。剣一つなんて随分と軽装だがどっから来た? それとも一人で最期を過ごしたいって腹か?」

「……さあな。むしろ俺が聞きたいくらいだ。こちとらさっきまでニースにいたつもりなんだが」

「ニース!? まじかよ! 真面目そうな面して結構な冗談吐けるじゃねえか! 軽蔑すべき不謹慎だが掴みとしちゃあ悪くねェ!」


 何が可笑しいのか、腹がよじれると言わんばかりに大笑いしてくる男。

 その態度に少しだけむかついてしまう。確かに信じられないかもしれないが、冗談で言ったわけではないのにそう釈されるのは、こっちとしても少しばかり腹が立ってくるというもの。


「あー面白ェ! けどま、流石にその冗談はここだけにしとけよ? このご時世にそのネタはちょいと刺激強すぎっからな」

「……どういう意味だよ。確かにここから遠いかもしれないが、そんなに巫山戯た発言でもねえだろ?」

「おいおい、本気で言ってんのか? だとしたら相当まいってんな。あの街から来たって発言が、一体世迷い言以外の何だってんだ」

「……はっ?」


 男がこめかみを指差し、呆れ混じりに告げてきた言葉に俺は思わず声を漏らしてしまう。

 滅んだ? 敵の住処? ニースが? デクールの要にして中心が?

 目の前の男はくだらない戯れ言で虚仮にしているわけではない。そんなの、話しているだけで嫌というほど理解出来てしまう。

 だからこそ、嫌な予感が脳を駆け回る。漠然としながらも、胸を刺すような本能の警鐘が響いて仕方ない。

 

「……まさか、本当に知らねえのか? おめェさん、年単位ででも寝てたのかよ?」

「……何年だ。今、天暦いくつだ? ここは何処なんだ?」

「変なこと聞くな? ただ今天暦千と十三年。ニース陥落、あの惨劇からちょうど三年。んでもってこのだだっぴろい平らはデンデラ荒野。デクール最南端、未踏の地平アンホライ……って伝わりやすいかね? 都会人?」

未踏の地平アンホライ。千と、十三年……」


 男が答えた地名と数字に、俺は驚く言葉も失い黙り込んでしまう。

 ここが未踏の地平アンホライ、王都から遙か遠くに位置するデクールの未踏地域だって?

 そして天暦千十三年。彼は至極常識のように語るが、俺にとってはあまりに突飛な事実。

 俺がさっきまでいたのは天暦千十年のはず。誕生日と聞いて思い出したのだから、間違っていたはずなどあるわけがない。

 つまりはこういうことか。俺はどこかも分からない未踏地域に三年も眠っていて、その間に王都は滅んじまったってことかよ。


「くそ、どうなってんだ……。三年だぞ、意味分かんねえ……」

「……どうやら壊れちまってるってわけじゃなさそうだな。どうだ、この際少し話して整理してみねえか? その虫食いみてえな知識、一席の縁で知ってる限りは擦り合わせてやるぜ?」


 途方に暮れていた俺に、男は笑うことなく提案してきたので頷いてから話していく。

 王都で謎の穴に落ち、次に目が覚めた時にいたのは謎の場所だったこと。

 転移魔法陣にてその場所を脱出し、飛ばされた先がこの辺りだったこと。

 エメルについてあんまり口外したくないので話さなかったが、それでも体験した不可思議を余すことなく、自分でも意外なほどすらすらと言葉に出来た。


「鳴らずの鐘の鳴鐘に正体不明の転移陣。……なるほど。哀れに思えるほど馬鹿みてェだが、確かにあり得ない話でもねェか」

「……信じるのか? こんなの、どこをどう聞いたって眉唾だろ?」

「正直に言えば半信半疑ではある。だがよ? そういう胡散臭ェ話にこそ真剣になるのが冒険者ってもんだぜ?」


 ま、こんなご時世じゃとっくに廃業だがなと、男はけらけらと笑いながら水筒に口を付ける。

 その様は非合理的で夢見。まさにどこにでもいる、粗暴だと鼻で笑われるべき冒険者。

 だがそんな態度だからこそ、どうにも安心出来てしまう。

 まるで憧れていたあの人のよう。俺に冒険者というものを叩き込んでくれた、あの大きな背中の冒険者を重ねてしまったのだ。


「……不思議だな。口振りや態度。あんたはあの人の、ディードの兄貴にそっくりだ」

「……そうかい。生憎誰と重ねてるかは知らんが、俺に似ているとはそら良い兄貴分だったんだろうよ」

「どうだろうな。俺からすりゃあ、兄貴に似てるからいい男なんだと思うぜ」


 俺の言葉に男は少し閉口し、それから目元へ手を当てて微笑を零す。

 声にすらならない、何かを抑えるような小さな微笑。

 けれど不思議なことに、その笑みは今までの笑い方とは異なる、初めて発した偽りのないものように感じてしまった。


「さて、そんならてめェは何も知らねえってわけだ。あの日起きた惨劇も。空が血の色に染まり、滅びへ向かうだけの三年間も」

「……ああ」

「いいぜ、なら素直に語ってやる。だが言っておくが、俺も全てを語れるわけじゃねェ。あくまで知ってることだけだ。生憎当事者じゃねェからな」


 そうして男は一度言葉を止め、そして肉を囓り、それから水を呷ってから話し始める。


「始まりは三年前。絶望の三日と語られる、王都ニースの陥落から始まったらしい」

「……ニースの、陥落」

「そう。周辺五国にて最強と名高い銀騎士団。そして幾多の冒険者ギルドの実力者すら凌駕し奪った、正体不明の生物の侵攻。それがこの国の終わりの始まりだった」


「あまりに突然であった未知の襲来。だが当事者によると、初めは確かに防衛側の優勢だったらしい。まあ当然だ。銀騎士団を筆頭に、あの日王都にいた実力者達がそう易々とやられるわけがねェからな」

「……なら、どうして」

「どうして、まさにそこだ。その原因こそが最大にして最悪の所業。堅牢無敵とされた王都ニース、そして大国デクールが滅んだ決定的な答えに他ならない」


 男は一端言葉を止めながら、懐から葉巻を取り出し、断面をカットして焚き火に近づける。

 まるでこれからの話を口出すのさえ躊躇うかのような、そんなような葛藤を見せながら。


「一つ訊くがおめェさん、いま食ってる猪種ボアの頭部に付いていたもんを覚えているか?」

「いきなりどうした。……猪種ボア、あの兜みたいだった銀のやつか?」

「そうだ。あれは銀蜘蛛くもと呼ばれるもんでな? 王都滅亡を境にこの国で見かけるようになった、所謂寄生生物ってやつだ」


 不意の質問に関係あるのかと思いながらも答えると、男はそう言ってから葉巻を吸って煙を吐く。

 寄生生物。なら合点がいく。あれが頭に張り付いていたのは、脳に一番近い部分だからか。

 だがそれが何だ。確かに珍しい生き物ではあるが、それが今の話になんの関係があるというのか。

 ……ま、聞いていれば分かるか。あの銀の生き物についても知りたかったし、丁度よくはあるからな。

 

「あいつらは一部を除く地上の生物に付き、自らの傀儡にしちまうんだ。それこそ死体ですら、宿主の肉が朽ちるまでは好き勝手に弄びやがる」

「……悍ましいな。ちなみに一部ってのは?」

「水生生物、そして純粋な人族ヒューマンの女。前者は呼吸の問題で、後者は上位種との関係上。それがこんな世でも探求を止めなかったもん達の結論らしい」

「上位種……?」


 彼が特別強く、噛み締めるほどに苦く発した単語。

 それを聞き、その意味を考えたその瞬間、自身の中でどうしようもなく悍ましい考えに至ってしまう。

 人族ヒューマンの女には寄生しないらしい上位種……まさか、まさかそんなことが?


「取り憑いたってのか……? 王都にいた、人族ヒューマンの実力者に」

「察しが良いなァ。そう、それが答えだ。それこそが堅牢堅固たるニースを滅ぼし、今日こんにちに至るまでこの国が滅亡を辿る決定的な要因だ」


 辿り着いてしまった、辿り着きたくなかった答えを肯定してくる男。

 その返答に、俺はセリスの顔を思い浮かべ、その最悪を振り払うべき必死に首を振ってしまう。

 否定してほしかった。違うと言ってほしかった。……間違っていて、ほしかった。

 だって、これが正しいのであれば。もしもそうであってしまうのならば。

 俺の内でしてしまった、嫌な想像が現実になってしまう。ただでさえ考えたくなかったものが、より黒く不吉なものへと濁ってしまうから。

 

「上位種は下位種とは違い、肉体ではなく精神に寄生する。付くではなく憑くんだ。つまり寄生された本人は本人のまま味方から敵へと堕ち、守るべき民衆を殺して奪って更なる手駒へ変えていった。……皮肉だよな、人の心があったが故に彼らは負けたんだ」


 彼は語る。例え顔が見えずとも、徐々に言葉に秘めた怒りと苦痛を強くなるのを理解出来るほどに。

 俺のために言葉を紡いでくれる彼の気持ちなど、この三年を知らない俺に推し量ることは出来やしない。

 けれどその一言一言に、聞いている俺でさえ胸が引き裂かれそうなほど強い思いが込められていることだけは、理解しなければならないと思えた。


「そうして三日に及ぶ侵攻の後、ニースは完全に陥落。滅んだ街から上がった天蓋カーテン……この国を閉鎖する結界によって昼夜を失い、寄生された人族ヒューマン達がこの国を滅ぼし始めたってわけだ」

「……そんな、嘘だ……」

「……ま、呑み込めねェ気持ちは分かるがな。けどこれが現実。目を背けることすら許されねェ、デクールの現状ってやつだぜ」


 頭を抱えるを俺を尻目に、男は葉巻を大きく粋な押してから火の中へと放り捨てる。

 

「強襲に近い侵攻、まだ状況すら把握出来ていなかった人々は抗う術を持たなかった。有名どころで言えば銀騎士団の団長、光の翼ローゼンターク光鎚こうつい氷刻ひょうこく魔法連盟マギユニオンの会長など。……生誕祭が近かったからな。初手で奪われた戦力が、あまりに大きすぎた」

光の翼ローゼンタークの、光鎚……」

「デクールに存在した十二の大都市。俺が知る限りそのうち八つが滅び、現在なお抗っているのは三つのみ。ま、それも時間の問題だろうがな」


 光鎚の二文字を聞き、彼の話が遠のくほどセリスの通り名が嫌というほど脳に木霊して仕方ない。

 セリスが、あのセリスが罪なき人々を殺している。街を滅ぼし、何もかも奪おうとしている。

 いや、セリスだけじゃない。氷刻ひょうこくというのはトゥエルナさんの通り名、つまりあの人も敵に堕ちてしまったというのか。


 冗談じゃない。悪い夢か何かだろう? 明日には覚めて消え去る与太話だろう?

 でなければ、地獄以外の何だってんだよ。なあ、誰か否定してくれよ……。

 

「周辺の、アイザークやマスセイグからの救援はないのか……?」

「無理だ。さっきも言ったが、天蓋カーテンがこの国を覆っちまっているせいで誰も出入り出来ねェし通信すら叶わねェ。この国はもう、とっくの昔に詰んじまってんだ」


 この国はもう終わっているのだと、男は俺の心へ刻みつけるかのように強く告げてくる。

 信じたくない。けれどそれを否定できる、信用に値しないと切り捨てる材料が俺にはない。

 あの銀の生き物も、この気分が悪くなるほど赤い空も実在してしまっている。そして他ならぬ俺が、王都の異常──鳴らずの鐘が音を奏で、なかったはずの大穴を落ちてしまっている。これで何もない世界単位のドッキリであると誰が思えようか。

 

「……ま、信じるも信じないも自由。俺だってこんな話、何も知らなきゃ飲んだくれのくだらないホラだと笑い飛ばすだろうよ。……さっきも言ったが、所詮俺達は一席の縁。名も知らぬ冒険者のでたらめだと、さらっと流してくれても構わねェんだぜ」


 俺の絶望が相当顔に出てしまっていたのか、男は慰めに近い選択肢を提示してくれる。

 だが残酷かな。そういう行為をしてくる事自体が、語られた話を裏付ける後押しになってしまう。

 

「……本当にデクールは、この国は滅んだんだな」

「信じるのか。我ながら、相当阿呆な話だと思うが?」

「……完全には無理だ。信じたくないことだらけだし、かといって切り捨てられないくらいに俺は無知すぎる」


 そうだ。何も分からない。こんな壮大な話、一瞬で噛み砕けるはずもない。

 非道を為すセリスや実際にこの目で見たわけでもない。例え夜でさえ変わらない空の色を確かに認知していようと、彼女達が人に仇なす存在になってしまったなどと納得出来るわけがない。

 けれど今ここでそういう話を聞き、それを否定できなかった。あり得ないと断ずることが出来なかった。……あるかもしれないと、そう思ってしまったのだ。


 ──そうだ。何も知らないんだ。それを目にするまで、俺は彼女達を信じたいんだ。

 


「だから行くよ、王都へ。自分の目で、全部確かめてくる」


 

 目の前に彼へ伝えるために、そしてそれ以上に自分自身へ刻むため、やるべき事を声に出す。

 光の翼ローゼンタークの仲間達の生死と所在。そして王都含めたこの国の現状。

 知るべき事、探るべき事は山ほどある。謎の剣のことはひとまず置いておいて、まずはそれらを調べる所から始める、それが俺にとって最も必要なことのはずだ。


「……そうかい。なら止めねェさ。お前自身で決めたことだしな」


 男は小さく頷き、それから懐に手を入れ何かを放り投げてくる。

 

「コンパスと……指輪?」

「苦難に挑む冒険者への餞別さ。指輪はまあ……お守りみてェみたいなもんだ。……俺にはもう必要ないもんだからな」


 ありがたいが貴重品だろうし、申し訳ないと返そうとしたが男は手振りで止めてくる。

 魔石が付いているわけでもない、何の変哲もない白い指輪。指輪の街リングルで作られた郷土品とか、そんなかんじだろうか。

 ……まあ、そういうことなら素直に貰っておこう。明日に困るレベルで身軽な俺にとって、貰えるなら何でもありがたいしな。


「ありがとう。大事にするよ」

「そうかい。……さて、なら明日に備えて今日は休みな! 気分が良い! 見張りは俺がしといてやるよ!」


 ……ならお言葉に甘えよう。いろんなことがありすぎて疲れたからな。

 水で口をゆすいでから、男から借してくれた敷物の上に横になり、ゆっくりと目を閉じる。

 

「励めよアンク。お前の進む道は、確かに──」


 何かを呟く男の言葉を最後まで聞き遂げることなく、そのまま眠りへと落ちていく。

 どうか今日が悪い夢であってほしいと、そう密かに願いながら。



「……相変わらず寝入りのいいやつ。ま、それが数少ない美点だもんな」

「……さて、少し話をしようか。何も知らず、奥底のみが焦がれるだけの哀れな雲の姫よ」

 

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