はなせ!俺は正常だ!

太刀川るい

第1話

「はなせ! 俺は正常だ!」


 手を振り回して暴れるそいつを、管理用BOTが取り押さえる。といっても仮想空間の中だからそんなに意味はないのだけれど。


「前にも言ったでしょう。これ以上バトルバトルとうるさく騒ぐなら、対処しますって。何がバトルカクヨムですか。あなたをバトル禁止の規約違反で隔離します」

「ちきしょう! バトルがなぜいけないんだ!」


 そう言いながら、そいつはカクヨム・アサイラムに引きずられていく。

「ちょっとあなた。あの人の対応頼みます。変な素振りを見せたらそのままアカウントロックしていいから」上司はそう言い残すと次のトラブルに向けて走っていった。


 人類が仮想空間に居住を移して数世紀。僕らは巨大な仮想サーバの中にそれぞれ領域を確保して住まうようになった。ここはワールド・カクヨム。小説投稿サイトが運営する領域だ。


 アサイラムは、カクヨムの一番隅っこにある。(もっとも仮想空間に隅っこという概念はないのだけれど。座標位置が離れているとでも言うべきだろうか?)

 重厚な砦を模したオブジェクトの中に、問題を起こした厄介勢がユーザに迷惑をかけないように閉じ込められているのだ。


「どうも、運営か」

 そいつは、独房の中央でなぜか座禅を組むモーションをしていた。カッコつけているとしたら、滑っているし、素でやっているんだったら、ちょっと関わりたくない。

「俺は規約違反をしたつもりはないぞ。バトルをして何が悪い」

「それが、他のユーザから苦情が来ているんですよ。うちのポリシーとも違いますし」

「それについては誤解があるようだ。俺は他人にバトルを強要したことはない」

「本当に?」

 僕は、カクヨムアシスタントを起動した、対象の過去全ての発言、記録を検索できる便利な機能で、こういう時にはとても役立つだ。


「『俺とバトルカクヨムで勝負だ!!』って何回か言ってますけど?」

「……まあ、そういうことは言ってたな。だが、相手が拒むならそれはバトル不成立だからノーカンだ」

「バトル不成立ってなんすか」

「つまりだ、果し状を渡すだろ。相手には、それを拒む自由がある。拒んだのなら仕方がない」

「その果し状を渡すのをやめてくれって言っているんですよ。大体バトルカクヨムってなんですか」

「お互いに同じネタで、短編を書いて投稿して戦う儀式のことさ。もちろん勝敗は勝手に自分で判断する。ちきしょう、こいつ。こんな面白いネタをやりやがって……と傷つくこともあれば、甘いなッ!この設定だと俺はこうだッ!みたいな気持ちになることもある。ただそれだけのことさ。当事者の中だけで完結する遊びだ。それの何が悪い? 他人に向かって勝負を強要することを控えろというならそれでもいい。だが、勝負したい人間同士で戦うのは何も問題ないだろう?」


「うーん、そこなんですよ。そもそもウチは、勝負とか戦いとかそういう部分を排除する方針なんですよ」


 僕は、上司の言葉を代弁する。


「そもそも、勝った負けたの世界ではだれも幸せになりませんよ。負ければ嫉妬して、勝てば歪んだ優越感だけが育っていく。そんなことより、みんな楽しく小説を書いて、読んで。人生を少し豊かにしたらどうですか?うちはそれを目指しているんです。だから、バトルなんて意味がありません」


 辛口批評を名乗る厄介なアカウントを今まで何個も追放してきたから分かる。他人の作ったものに対して、批評を書いた所で生まれるものはトラブルだけだ。


「俺だって批評はしていない。勝ったと思ってもそれは胸の中だけにしまっておく。負けた! と思ったら、素直にその部分をレビューに書く。つまり、あんたらの考える正しいアカウントの挙動と何も変わらない。

 ただ、心のあり方がバトルというだけなのだ。そこまで規約で縛るっていうのか?」

「あなたがどう考えようとそれは自由ですけど……それであなたは幸せになるんですか?」

「そんなことは、俺が決める。あんたじゃない」

 そいつはそういうと、少し黙って続けた。

「……ああ、分かっているよ。幸せになんかならないのは。幸せになんかなるもんか。だけれど、俺でいられるのだ。傷つき、打ちのめされ、それでも前に進むから、俺は俺でいられるのだ。それがバトルカクヨムなんだ」


「そこまで苦しくてどうしてやるんですか。誰も得をしないのに」


「それはもちろん楽しいからさ。

 勝つことが楽しいんじゃない。戦うのが楽しいんだ。全力を尽くして、一生懸命ネタを考えて、絞りきった雑巾から垂れる最後の一滴まで練り上げたアイディアを、持てる技術全てを使って一本の短編にする。

 書き終えたらもう夜は遅い。大きく息を吐いて、窓をあけると、国道を走るトラックや、貨物列車と踏切の音みたいな街の喧騒が、どこか遠くから静かに聞こえてくる。世界がゆっくりと眠りについている中で、俺と、電車と、トラックだけが息をしている。その瞬間が笑ってしまうほど、好きなんだ。


 書き上げたことに意味があるのだ。書き上げるためにバトルをするのだ。それを相手にぶつけるのはおまけみたいなものさ。

 届かない時もある。力を入れすぎて滑ることもある。でも、届いた時は、何よりも嬉しいのだ。


 そしてその時だけ俺は俺でいられるのだ」


 そいつのアバターはいっきにそう言い終えると、口をつぐんだ。

 僕はなんと答えればよいのか迷ってしまう。

「まあ、他人に迷惑をかけなければ良いんですよ。あとのことは上司が決めますから」


 僕はそういうと、独房を後にした。


 そいつがアサイラムを脱獄したという話を聞いたのは、その数日後だった。


「目をはなさないでって言ったでしょ!」

 上司はイライラしながら現場を検証する。

 仮想空間で脱獄なんてできるのかと僕は驚いたけれど、手口は簡単だった。何かしらのバグを突いて、自分への参照を他オブジェクトと入れ替えたらしい。


 囚人を表すリスト構造体には、僕がなくしたと思っていたボールペンが登録されていた。面談した時にいつのまにか取られていたらしい。


「もうカクヨムからは去ったということで良いでしょうか?」

「多分ね。まあ、追放する手間が省けたということだけれど」

「これからあの人はどうなるんでしょうか?」

「さあ。知らない。どこか、ここでない仮想空間の片隅で、戦いごっこにでも勤しんでいるんでしょう」

 上司はそう吐き捨てると、独房を後にした

「可哀想なやつですね」

「可哀想? やつが自分で選んだんじゃない。戦って傷つくのも、不幸になるのも」

 果たして、彼は自分でその道を選んだと言えるのだろうか。僕はそう言いかけたが、上司の機嫌を悪くしたくなかったので胸の中にしまい込んだ。


 家に帰ると、とまり木に止まり、翼を折りたたんでログアウトした。このアバターにもすっかり慣れた。


 家は無味乾燥で、ベッドしか無い。日課の運動をした後は、ベッドに横になる。


 彼はどこに行けばよいのだろう。バトルすることでしか、意味を見いだせない彼は。我々のように、競うことをやめ、お互いに仲良く生きる道に馴染めないのは、彼の人格がそう出来ているからで、それは悪いことでも、彼が選んだことでもない。


 ただ、彼は、ここに適応するより、傷つき、悲しみ、永遠に苦しむバトルの道を選んだのだ。ああ、僕は彼に同情する。永遠に続く修羅の道を歩む彼を憐れむ。しかし、同時に自分から逃げず、立ち向かっていく彼に、尊敬の念を覚えた。


 いつか、僕も彼とバトルをする日が来るのだろうか。僕はそう思いながら目を閉じた。

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