【実話怪談】離しちゃだめだよ

かわしマン

離しちゃだめだよ

 三十代の主婦、五十嵐さんが五年前に体験した話だ。

 五十嵐さんの自宅から車で五分ほど行った所に、大きな郊外型のショッピングモールがある。近隣の地域に住む人達の身近で手軽な娯楽施設であり、休日ともなれば駐車場の空きを見つけるのも一苦労の賑わいを見せていた。


 とある日曜日の午前、五十嵐さんは当時五歳だった息子の散髪をしてもらおうと、そのショッピングモールの中にテナントとして入っている理髪店へと行くことにした。

 モールは午前にも関わらず人でごった返していた。

 五歳になる息子は元気一杯で、モールの中に入ると勢いよく五十嵐さんを置き去りにする勢いで駆け出していってしまった。


「走らないの!」

 

 そう叫びながら息子を追いかけようとした五十嵐さんの右手首を小さな手が握った。柔らかく弱々しい感覚で子供の手だとすぐ分かった。


 五十嵐さんは立ち止まり握られた右手首を視線を下げて確認した。

 思った通り、小さなかわいらしい手が五十嵐さんの手首を握っていた。

 しかし、見えるのは肘から指先にかけての手だけだった。肘の辺りで切断されたような手のみが五十嵐さんの手首を掴みながら空中に浮かんでいた。その手の持ち主であろう人間の子供の胴体や顔は少しも見えなかった。

 五十嵐さんは頭が真っ白になった。その場で立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 そこへ息子が走って戻ってきた。

 息子は五十嵐さんの顔と五十嵐さん右横の空間を不思議そうな顔で交互に見ていた。

 すると息子は五十嵐さんの右横の空間に向かって、「絶対に離しちゃだめだよ!」そう言った。

 そして、息子は五十嵐さんの後ろに回り込むと、五十嵐さん背中を思い切り押した。その勢いに負けて五十嵐さんは前へと歩き出した。

 その間も柔らかく弱々しい子供の手が右手首を握っていた。


 息子がいつの間にか五十嵐さんの前を歩いていた。五十嵐さんは導かれるように息子に着いていった。そしてたどり着いたのは、ショッピングモールの最端にあるエレベーターの前だった。

 エレベーターが五十嵐さんたちがいる一階に降りてきて扉が開くと、息子は「ばいばい!」と五十嵐さんの右横の空間に向かって手を振った。

 その瞬間、五十嵐さんの右手首を握る弱々しく柔らかい感覚が無くなった。

 エレベーターに乗り込んで上の階へと行こうとする人たちに向かって息子は手をずっと振っていた。エレベーターの中の人達は戸惑いつつ、笑顔で息子に手を振り返していた。

 エレベーターの扉が閉まると息子は「ママ床屋さん!」と五十嵐さんを促した。言われるがまま五十嵐さんは息子を連れて理髪店へと向かった。


 ずっと訳も分からず戸惑って息子の言われるがままだった五十嵐さんも、息子の散髪が終わるのを待っていると落ち着きを取り戻した。

 

 帰宅する車の中で五十嵐さんは、自分の手首を握っていたのは何だったのか、息子には何か見えていたと思い訪ねてみた。

 しかし息子は「えっ?何?何のこと?」と、つい一時間ほど前の出来事であったにも関わらず何も覚えていない様子だったという。


 そのショピングモールで不思議な体験をしたのはその時だけだそうだ。

 

 

 

 

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