第3話 世界の端から落ちて行くのは

「でも駄目ね、平和なんて長く続かないわ」


 辺境伯家へ嫁いで十年近く経った。その間に王子も立太子を済ませ、結婚した後に子供が生まれた。本人に落ち度はないけれど、必ずや火種となってしまう子を。


 何より変わり果てたのは大国の方。時期を合わせたかのように王位が簒奪されたのだ。

 新たな王は足場固めと敵の排除に躍起で、長ずれば自分の地位をおびやかしかねない赤子を看過出来なかった。


 大国の自負か、臆病な気質なのか。新王が選んだのは併呑ではなく征服。この国を力尽くで攻め滅ぼす進路へと舵を切った。

 大軍を相手に国境を守るシャルケンス辺境伯家の緊張と負担は計り知れない。


「……あの人は勇敢に戦ったわ。それに応えて兵と民が堪えてくれた。それでも人と武装は有限よ。私達に用立てられる物資と大国のそれが、匹敵するはずもない」


 兵力差を考えれば粘りに粘ったと言える。けれどジリ貧。より多くの援助が必要だった。王侯貴族がもっと財を削る程の。国力差を覆すのは並大抵ではない。

 しかしそんな最中に城は城で紛糾していた。敵国所縁の妃などやはり信用ならない、内通者を引き込んでいるのでは。援助を横流しされる恐れが──


 疑心暗鬼が上層部を分断する。ただの町娘だった王太子妃に、万事治める手腕などなく。疑惑の存在を寵愛する王太子も、足元の揺らぎを実感したのだろう。シャルケンス辺境伯家に援助を惜しまないと、国難を排するべく総力を挙げた。


 資金や兵を投じてくれたのはありがたい。しかし成果はまだかとせっついたところで、事態が都合良く転がりはしないのだ。援助が圧力になるのも時間の問題だった。

 その板挟みの中、シャルケンス辺境伯が戦死。流れは最悪に至る。


 ──燃えるような夕焼けだったのを今でも覚えている。そして死んでも忘れられないでしょうね、だって血潮の色だもの。あの人の最後の姿の色なんだもの。

 歌うような声で彼女の唇が紡いだ言葉。涙も慟哭も置き去りにして来た人間とはこういうものなのかと、ストンと腑に落ちる様相だった。


 無言の帰宅叶った夫の手は、ドロシーが無事を願い贈ったハンカチを握っていて。

 幾度も血を洗い流したろう傷んだ生地を彼は大切に持っていた。息を引き取るその時にも、決して離さないでいたのだと。

 ドロシーが泣き崩れたのは、生涯ただ一度きり、その話を聞いた時だけ。


「……とてもね、穏やかな死に顔だったの。ねえ分かる? あの人はずっと勇敢に戦ったけれど、最期の最後に思ったのはきっと……ああ、もう戦わなくていいんだって安堵だったのよ」


 あの顔を見るまで私は分からなかった。そして決めたの……どんな手を使ってでも終わらせようと──


 そう振り絞られた声には確かに、底無しの呪怨が籠っていた。


「私にはどうも悪の才能があったみたいね。敵兵を皆殺しにするにはどうすべきか、いくらでも考えられたわ。友軍の犠牲さえ踏まえれば、案外なんでも出来るものよ」


 捕虜に燃料や金属粉などを混ぜたよく燃える液体を浴びせ、火を点けて放ったそうだ。勿論戦場、敵兵の前で。生きながら篝火となり、捕虜は味方に助けを求め走って行く。

 相手が避ければ隊列が乱れ隙を作れる。こちらへ来るなと殺すのならば、その分だけ装備品を消耗させられる。恐れて逃げ出すなら最高、背面を撃ち放題だ。


 また現在治療法のない病で亡くなった遺体と共に貴族の捕虜や使者を収監し、生かして敵国へ帰すことも。相手国内で勝手に広まれば上々、地味ながら効くものだ。

 捕虜が女だった場合、孕まされた者からは子供を取り上げた。経緯が経緯だけに、最初から育てる意思を持てない者はいるし、育てる余裕もないと諦める者もいる。

 育てば敵国へ送り込める間諜の人材として、方々の組織に赤子を売り渡した。


 死産の際は遺体を仕掛けと共に布でくるみ、ひっそりと敵のベースキャンプ地付近に横たえた。もし抱き上げれば近くの数人は巻き込んで弾け飛ぶ威力。

 人の良心と尊厳を踏み躙る、まさに悪魔の所業だった。だからこそ敵兵の心を折ることに成功したのだ、彼女は。


 ドロシーが打つ手は味方にも犠牲を出し続けたが、それ以上に敵を殺した。

 一番狂っているのは手法よりも、自分の主導を隠蔽しなかったことだろう。

 逃げも隠れもしない巨悪。数多の罪と勝利を重ね、敵も味方もへし折った。


「あの戦いを終えるには恐怖される存在が必要で、私はそれに相応しかった。必要なのだから敵も味方も皆死ね、そう思い切れるだけの怒りもあったから」


 思惑通り彼女の悪名は轟き、その悪行の程は自国でも敵国でも非難を浴びる。

 それでもドロシーは苛烈。屍を積み上げた果てに付いたのが虐殺夫人の称号だ。


 このまま彼女を旗頭に決死の抵抗が続けば、どれだけ戦費を費やすことか。

 そんな不安が勝ったのか、単純にドロシー・シャルケンスの人間性が恐ろしくてならないからか。遂には相手側が諦めて終戦を迎えた。


 戦後ドロシー・シャルケンスが狂気の戦争犯罪者として裁かれたのは、その遣り口の悪辣さと味方に犠牲を強いた横暴による。兵士相手なら英雄でも、一般人相手なら虐殺行為だ。被害が拡大し過ぎて、庇うより始末する方が上層部は安心だった。


 一方的な事情で王子との婚約を解消された過去を持つ彼女の恨みが、自分達に向いたら恐ろしかったのだろう。


 下された刑罰は宗教的にも最も重い死、見放された魂の死を含む極刑だ。判決文を言い渡される際、眉一つ動かさず彼女は受け入れるのみだったが。

 そうして今ここに、史上最悪の悪女として名を刻むであろうドロシー・シャルケンスは第七監獄にいる。微笑みを浮かべながら。


「でも、私は終わらせたわ。私という明確な悪を排除したことで、緊張感が薄れ易くなるでしょう。もう対立している場合じゃないわ、精々復興に励むことね」


「……あんた馬鹿じゃないのか」


「いいじゃない、お利口に全てを飲み干しても幸せは消し飛んだもの。最後くらいはと全霊を尽くして馬鹿になったけど、私はその方がずっと強かったわ」


 それは強さじゃない、ただ壊れてっただけだ。そう言うべきか迷い、口を噤む。

 きっと何を言おうが届きやしない、こいつはとうに向こう側へ行った奴だ。


 薬でも酒でも滅ぼせない悪夢の中を生きている。そしてやっと死ねると喜んでる、頭のおかしな奴なんだ。

 わざわざ端から投げ出すまでもない。こいつはとっくにこの世界の外側へ零れ落ちてる。救われない魂に成り果てた女。


「可哀想な奴だよあんたは。でもそれ以上にクソだな」


「ふふふ……言葉選びに配慮を感じるわね。ええ、私は紛れもなく極刑に値する虐殺者よ」


 ──なんだその微笑ましいみたいな顔、本当に苛々する。

 いっそ理性を失くして喚いたりしてくれれば、まだこっちの気も楽なのに。言葉の通じない動物とでも思えたのに。


 こちらなどお構いなしにドロシー・シャルケンスは背筋を正す。凛とした面差しで、かつて纏っていたろう風格を露わにした。


「私は悪よ。報いは受ける、償いに命を惜しまない……でも、私は私を肯定する」


 意外にも、彼女は笑った。貴婦人の誇りや気位を捨て、世界を呪う悪辣な笑みで。


「これでも魂を恥じる行いは、心に背くことは成さないでいたつもりよ。どんなに残酷であれ納得してやり遂げた。断言出来る、満足だわ」


「……なんで俺にそんな話をした」


「あなたが正気にへばりついているから、突き落としたくなったのかしらね」


「は!? クソが!」


「こちら側になったら指を差して笑ってあげたい、そんな気持ちになるの」


「絶対ならねぇから永遠に一人でいろ! 馬鹿らしい!」


 腹立たしくて思わず扉に薬の包みを投げ付けて帰った。後悔はしちゃいない。

 俺が立ち去ってもドロシー・シャルケンスはずっと笑い声を立てていた。忌々しいその響きさえ、いくつもの扉を閉めてしまえば聞こえなくなる。


「俺は正気だ、狂う予定もない。奴とは二度と口を利かない」


 そう固く決意した十日後、ドロシー・シャルケンスの刑が執行された。

 第七監獄の虐殺夫人は黒い海流に導かれるまま、世界の端から落ちて消える。

 済んでしまえば呆気ない、これまでの受刑者と同じようにいなくなるだけ。


 いや彼女の魂は深淵に落ちようと身勝手に輝き続けるのでは。俺は不思議とそんな気がしている。

 不本意ながら死ぬまで忘れられそうにない奴、そう思える出会いだった。記憶に居座られるって、どうにも嫌になるな。




【終】

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第七監獄の虐殺夫人 波津井りく @11ecrit

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