第2話 頭おかしい奴しかいない(俺を除く)

「十一番」


「あなた大丈夫? 吃驚する程その仕事向いてないと思うわ」


「あ?」


 思わず仕事を忘れた声にもなる。さっきの今でこれだ、うんざりする。

 苛々しながら扉を叩けど、自分の手が痛いだけで彼女に毛程の痛痒も与えられない。むしろ踏ん反り返った様子で彼女は言葉を連ねる。


「人間をコントロールする側に向いてないのよ。その立場にいようと、あなたの気持ちはこちらと横並びのまま。鞭を振ろうとも打たれる側の方にいる。自覚はあって?」


 貴族って生き物は息を吸うだけで偉そうに出来るんだから凄い。囚人のくせに。

 一々勘に触る物言いだ、呆れと驚きと……恐らく若干の憐れみ。それが何より腹立たしい。魂の救いすら絶たれた死刑囚なんぞに憐れまれる、不快だ。


「私語は、懲罰、だ……!」


 八つ当たりを込めて鞭を打った。ドロシー・シャルケンスは痛みに顔を顰めこそすれ、どれだけ打とうと精神的には俺の上にいるまま。そんな気がした。

 打てば打つだけ自分の何かを投げ捨てているような嫌な気分だ。クソが。


「はあ、はあ……っ」


「ほら……ご覧、なさい……あなた、向いて……ないわ」


 まだ言うか、と更に振り上げた鞭を頭上から下ろす。馬鹿馬鹿しさが上回った。

 もし苦痛で黙らせても、こいつの中の身勝手な心象は覆らないのだし。


「はん、大虐殺の極悪人でも流石に鞭打ちは堪えるか」


「……柔肌だもの。何分、高貴な身の上なの」


 裂傷や打撲に痙攣している様を笑えば、皮肉気な減らず口が聞こえて来る。

 どんだけ度胸があるんだか。普通鞭打たれたら苦痛で転げ回る気力すら湧かないもんだが。まるで勝った気がしない、俺の時間が無駄に溶けただけだな。むかつく。


「高貴だぁ? 笑わせるな。お前らは下等と蔑む平民の支えなしに生きていられない存在だと、この後に及んでもまだ理解出来ないか」


「しているわ……きっと、あなたが思うより……私達は……」


 朧な声がふつりと絶えた。ああ、今頃気絶したのか。

 感情が行方知れずのまま床を見下ろせば派手な傷口と分かる。鞭には血肉がこびりついているのだから……そうか、俺がやったことか。

 やり過ぎた自覚はある、医療班を呼ぼう。二人分診て貰わなきゃならない。


 感情なんて帰って来なくていいんじゃねえかというくらい、夜に吐いた。



 ***


 四日後、俺は十番を船に乗せた。執行されるのは十番含め五人の囚人達。

 あいつは最後に愉快なものを見る顔で、お世話になりましたねと言った。普通の人の、普通の日常会話みたいな物言いが、俺には逆に苦々しくてならない。


 証明出来なかっただけの無実の人間を、どれだけ世界の端へ葬って来たことか。

 そんなのは考えるだけ無駄だ、意味なんかない。証明されなかった可能性なんて放り投げるしかないんだから。ああもうクソ気持ち悪い、あいつのせいだ。


「辛気臭い面だな」


「……そうですかね、いつも通りのつもりなんですが」


「お前は新人としちゃ相当出来がいいけどな、ちゃんと人間で安心したよ」


 そんなことを言われた。俺はどこからどう見ても人間だし、檻の中の連中と違って正常で正気でまともですがね。ちゃんと人間ってどういう評価だ一体。

 移送が済んで引き返す道中、先輩がポケットから何かを寄越した。薄い紙に包まれている……薬?


「多少気が楽になるぞ。長く続けてる奴は手放さない、俺もだ」


「ありがとう、ございます」


 なんだか浮わついた声色で礼を言い、俺は胸ポケットに薬をしまった。

 俺もいつか気休めの薬を放さないでいられなくなるのだろうか。じゃあなと手を振って別れた先輩の後姿に、俺はゾッとした。


「……最低期間を終えたら、絶対にやめよう」


 人の減った第七監獄に戻り、囚人の食事を配膳すべくワゴンを押す。

 勿論食事も一人分減るのだから。否応なしに現実を突き付けてくれる。


「ああクソ、段差うぜえ」


 今日はなんだか舌打ちが多い。薬はまだ胸に。頼るには早いような、僅かな抵抗感を捨てられないような。俺は多分この薬を恐れてる、或いは必要な状態が怖い。

 余計なプライドが邪魔をするんだ。楽になった方がいいに決まってるのに。


「あらまあ」


 俺の顔を見るなりドロシー・シャルケンスは言った。


「まるであなたの方が罰を受けているみたい」


 この女はつくづく俺の神経を逆撫でるな、天才かよ。

 内心で毒吐き重たい扉を閉めて外へ逃げ……いや作業に戻る。逃げてねえし。


「……黙って食え。人でなし」


「苦しんでるのはあなた達の方、不思議だわ。看守なんて誰にでも出来る見張りと思っていたけど、案外私達側の人間にしか向かない仕事なのかしらね」


「看守はただ歩いて回ってお前らに餌を運ぶのが仕事なんじゃない。ここの奴らがおかしいだけで、余所じゃ囚人の社会復帰にだって取り組んでる。お前達にその道がないだけだ!」


「……そう、あなたそういうことがしたい人だったの。残念ね、御愁傷様」


 よっぽど殴り付けてやろうかと思ったが、それより先にドロシー・シャルケンスがしみじみと語り出した。誰だ、こいつ口も利かないなんて言った奴は。


「あなたを見てると昔馴染みを思い出すわ。そう、無駄に何かをよくしようと、能力に不釣り合いな高望みをしていた……」


「別れた男の愚痴なら興味ないぞ」


「ふふふ、そうね。忘れましょう。あれでも一応王太子殿下だもの、不敬だわ」


「収監されてたお前は知らないだろうが、殿下はとうに戴冠して今は陛下だ」


「まあ、月日の流れは残酷ね」


 ……いや待て。もしかしてこいつ陛下の元婚約者か? うーわ、元々不興でも買ってたのかよ。それで極刑が下ったんなら可哀想に。

 しかし俄然興味が湧く。小難しい政治闘争だのはともかく、ただのゴシップなら庶民にも分かり易いネタだ。


「あら聞きたそうな顔。王族の話題は食い付きが違うわね、どこでも」


 彼女は寝物語みたいに語り出した。かつて王子の婚約者だったこと、子供時代からの付き合いで親しい間柄だったこと。けれど王子が町で見初めた娘に恋をして、それが明るみに出たばかりに事態は急変したのだ。

 ドロシーはてっきり町娘が愛妾になり、自分が王妃の責務を背負うのだなと思ったものの。周囲はもっと狡猾で、そもそもこの国にそれ程の力などなかった。


 町娘は一目でそうと分かる、他国の血が混じった外見なのが事の始まりだった。

 娘は元々身寄りのない孤児で、引き取られるまでは孤児院で過ごしていたと聞く。生まれが定かでない、しかし見るからに異国の風貌……故に陰謀を巡らせる者がいた。


 その娘、実は我が国の貴い血筋を引く御方。婚姻の暁には是非、両国の結び付きを確固たるものに致しましょうぞ──


 大国の使者が訪れそう言い出した。娘が本当に貴い血筋かどうかは問題でない。

 そうだと丸め込み、生まれて来た子供が両国の王位継承権を得られればよい。縁戚という、こちらに干渉する大義名分があれば構わない。

 要は乗っ取りの目論見だ。数世代かかろうが国を一つ呑み込めるなら安い。


 ただの町娘の血筋がお墨付きとなる急展開。王妃に据えるのに申し分ないとなると、風向きが変わるのも必然。

 お膳立てされた状況を王子は喜び、リスクから目を背けた。もし嘘だとしても証明は難しく、大国と波風立てるのも結局はリスクだからと。


 そうして婚約者の立場を追われたドロシーは、シャルケンス辺境伯の元に嫁いだ。


 立場を失う悲哀は薄く。むしろこの国は遠からず消えるのだなと、渦中の人間として得た情報で冷静に見切りを付けていたくらい。

 何も知らぬ者に憐れみを向けられるのだけは、どんな顔をすればいいか分からず困った、と彼女は笑った。


「事情を説明しようものなら、国家転覆の流言を吹聴したとして罪を問われる。ならばもう、黙って墓に持って行くしかないわ」


 何より辺境伯に嫁いだのは、ドロシーにとって幸運な出来事となったから。

 年齢は八つ違い。武功を求められるシャルケンス辺境伯は、煌びやかな王子とまるで異なる男だったが、さっぱりした付き合い易い人格だった。


 互いに遠慮なく言葉を交わせる、しかし罵倒だけは口にしない関係と人間性に安らぎを得られた。夫婦と言うより相棒、片腕──そんな距離感。

 そう語る彼女は穏やかな顔をしていて、絆の深さが窺い知れた。

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