第七監獄の虐殺夫人

波津井りく

第1話 箱の中の檻

 この世界の終端に最も近い孤島には、極刑を定められた囚人だけの大監獄がある。

 ただの刑死じゃない。孤島を漕ぎ出し沖合に出ると、海水が黒く染まった海域に至る。そこに囚人を放り出すんだ。


 一旦黒い海流に乗ってしまったものは、それが荷物であれ大型船舶であれ等しく端に押し流される。文字通り世界の端へと。

 途切れた海水が流れ落ちて行く先は光射さぬ虚無であり、虚無の深淵に落ちた魂は二度と世界に還ることはない。誰もが一度は教会で言い聞かされる話だな。


 人間に科されるものとして最も重い刑罰であり、魂の死を以ってしか償えない大罪人を収監する島。俺はそこで半年前から看守を務める。まだ新入りと言っていい。

 俺が看守になってから初めて収監される大罪人こそ、ドロシー・シャルケンス辺境伯夫人。世に悪名轟かせた虐殺夫人だ。既に未亡人だっけか。


「……自国民も他国民もまとめて三万人殺しまくった大罪人ですか」


「死者数だけでなく、過去に類を見ない規模の戦災を生み出した本物の悪魔だ。深淵に落ちても案外生き残るかもな」


「それはだいぶ笑えませんよ。先輩」


 おお怖い、と大袈裟に腕をさすって俺は答える。何がどうしてそんな狂気の使者が世に放たれたか知らないが、お貴族様の人間性なんぞ理解出来てしまったらそっちのが恐ろしいや。

 奴ら基本平民を人間と思ってないからな。全ての平民が納税の義務を放棄したら飢えるしかないくせに。まあ分かりたくもねえや。


「特別牢に入っている。お前の区分だ、精々手玉に取られんようにな」


「肝に命じますよ。年増なのが救いですね、趣味じゃねえから」


「……俺の方が年嵩は上だから、どうにも返事しようがない」


「おっと、申し訳ない」


 おちゃらけた態度も過ぎれば不和を生む。きっちり頭を下げて詫び、俺は看守らしくいかめしい表情を作る。向かう先は件の特別牢、俺が担当する第七棟の監獄だ。


 特別牢と名付けちゃいるが、特段設備がいいわけでもない。鉄格子でなく厚く重い鋼鉄の扉と壁に囲われた独房。つまり、周囲に影響を与える可能性が何より危惧される扱いだな。他の囚人とも看守とも極力接触させない、シンパを作らせない。そういう方向に厄介だということ──


「けど女だしなぁ。配慮されたならそっち方面だろ。辺境伯夫人、そりゃあ何が起きても……いや死刑囚なのに意味あるのかよ」


 そうだ、どうせ近々死ぬ女。何が起きようが速やかに葬り去れるのに、何故。

 それだけやべー奴か、人を惹き付ける何かを備えてるのか……さもなくば恐れられ過ぎて、そこまでの扱いにしなければ安心出来ないお偉いさんがいるか、だな。


 ただの邪推、下衆の勘繰りであって欲しい。でも一度思ってしまえば振り払うのは困難だ。何せ相手は正真正銘の戦争犯罪者なんだから。

 その疑義が胸に暗い影を落とす。なるたけ関わらないに越したことはない。


「あー……それとは別問題で行きたくねえ……毎度毎度、この長い階段だけはマジで勘弁してくれって思うわ」


 脱獄を阻止すべくあえて面倒に作られている建物は、とにかく階段が多いのが特徴だ。おかげで長く働いてる看守の足腰の強さと来たら、多分俺走っても勝てない。

 しかし島一つ分を占有する敷地内に建つ七棟の施設は実際、内部のほとんどが物資の蓄えに割かれている。巨大な貯蔵庫だ。


 ここは世界の端に最も近い場所。いつの日にか虚無が海底を削り、端がこちらに迫るとも限らない。もしもの時すぐさま脱出すべく、大型船舶に詰め込めるだけの備蓄を常日頃から用意しているのだ。


「危険手当のおかげで給料はべらぼうに高いが、ここじゃ肝心の使い道がないのクソ過ぎんよ……早く任期明けてくれ、既にやめたい気持ちしかない」


 とはいえ最初に交わした契約で最低期間は働かなきゃならない。娑婆シャバに戻ったら絶対豪遊してやると心に決めたんだ。ここには楽しみってもんがない。

 監獄ならそりゃあそうだろと分かっちゃいるけど、心情と事情とは別問題だ。

 ガチャガチャ鍵を選り分け重たい扉をいくつも開けて、俺は見回りを遂行する。


 例の夫人以外にもここには数人の受刑者がいる。教育者でありながら流言飛語で国家転覆を企てた反逆者、王妹に怪我を負わせた暗殺者──事実かどうかは知らない。

 権力者なんて適当にでっち上げた罪状さえ押し通すからな。実は冤罪、濡れ衣……そうだとしても証明出来ず、買収するだけの金がない時点でそいつの負けだ。


「……点呼の時間だ。これより点呼開始」


 独房扉の上部にあるスライド越しに、囚人がおとなしくしているか垣間見る。

 いつもの奴らはいつも通り。さて、おっかない女の顔を拝んでみようじゃないか。


「十一番」


「何か?」


「返事は『はい』だ、懲罰が欲しいのか」


「あら、次から気を付けるわ。お仕事お疲れ様」


 肩を竦めドロシー・シャルケンス元辺境伯夫人は翳りもなくそう言った。

 度胸があると言うべきか、投げやりの極みなのか判断に困る。


 手入れなどされようはずのない囚人暮らしだ。諦めか実用性でばっさりと髪を切り落とした姿はいっそ潔く映る。死刑宣告を受けて尚、活力があるのも太々しい。

 貴族の妻だけに美人。だが三十過ぎの女、食指は動かな……いや割とイケる気がする。人妻って肩書きが何かを二割増しにしてるかもしれない。待て待て気の迷いだ。


 ……うん、何万人と殺した気狂いだからやっぱなしだな。頭がやばい奴と金遣いが荒い奴には関わるなって爺さんが言ってた。



***


「口を利いたのか? お前に?」


「え? ええまあ、小馬鹿にした感じで。如何にも貴族だなと……」


「ドロシー・シャルケンスは法廷で一切を語らなかったそうだ。ここへ移送されるまでの道中さえ、一言足りともな」


「自分が死刑になる裁判でも、何も話さないでいたんですか? はー、やっぱイカレた奴は分っかんねーなぁ」


「おかげで奴の手口や裏のルートも、てんで解明出来てないそうだ。もしお前に口を滑らせたら、内地で踏ん反り返ってる連中が悔しがるだろうよ」


「それは朗報ですね。けどもう誰にも情報が伝わらない場所だから、口を開いただけかと」


「じわじわ処刑の日取りを考えるごとに口が軽くなる奴、重くなる奴に分かれるしな。ここに来て軽くなっただけか」


 ──それきりの話と思っちゃいたんだが。時間が経つ程に霧みたく立ち込める何かが俺の胸にある。少しずつ少しずつ、興味が膨らんでしまう。

 その晩は寝付くまでの間ドロシー・シャルケンスが何を思って俺に口を開いたのか。どうあって虐殺に及んだのかを考えていた。認めよう、なんか無性に気になる。


 ずっと島で生活する俺達にとって、外でどんな犯罪が起きていようと然程の実感はなく。ただ仕事しているだけで囚人に恨みも怒りもない。

 故にこれはただの好奇心……正直言って野次馬根性なのだと思う。



 ***


 今日も今日とて仕事は続く。第七監獄特別牢で食事後の食器回収に来た俺は、ある場所で足を止めた。半分も食べ進めてない食事に、体調不良かと声をかける。


「どうした十番、残したからといって次の食事は増えたりしないぞ」


「喉を通りませんで。そろそろ自分の番なんでしょ? 分かるんですよねぇ、そういうの」


 執行の日取りのことなんぞ俺は知らん。答えようもない。気のせいだろ。

 と言い返すのも職務上よろしくないので、俺はいかめしい顔を意識して聞き流す。


「……私語は慎め。懲罰対象だ」


「お優しい人だなぁ、この仕事向いてないのでは?」


 ヘラヘラとした語気で無駄口を叩く十番に、俺はやむなく鞭を打った。それも仕事だからな。打つ瞬間は感情をどこかへ捨てている、もしくは心の方が俺にも分からない場所に隠れてくれる。


 打たれた瞬間は呻いたものの、十番の表情はやはり笑おうとしていた。

 いつ執行なのかは直前まで俺にも知らされない。その時が来ても俺の仕事は死刑囚を船に乗せることだけ。お前らがどう死ぬかなんて関心もない。


 でも戦時中にも関わらず生徒達に平和を説き、人を害するのは悪だと言い聞かせたらしい国家転覆罪の死刑囚は、やはり俺にはどこか浮世離れして見えた。


「口を慎め、次はもっと罰が重い」


「ふは、は……っ」


 次があると思ってくれている、甘い人だ。か細い声がそんなことを呟く。

 これ以上鞭を振るのは腕が疲れるから御免だ。何も聞こえなかったことにして、俺は十番の牢を出た。


 こういう風になる囚人もそれなりにいるらしい。先輩に聞いた。鞭打たれた痛みだけが、現世との繋がりに感じられるのだと。俺には永遠に分からない感覚だ。

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