この手を離せば異世界転生!
壱ノ瀬和実
異世界転生!
目を開けると、そこは無の世界だった。
「ここは、一体……?」
わたしは病院のベッドで眠っていたはずだ。それがどういうわけか、何もない真っ白な空間に一人立ち尽くしている。
これは夢なのか。夢だとしたら、この妙に生々しい感覚はなんなのか。
わたしは一人、ぎゅっと拳を握った。
「
名前を呼ぶ声がした。
上も下も、右も左もないような空間で、その声は確かに背後から聞こえていた。
振り返ると、そこには明らかに日本の文化とは違うタイプの天使的な、頭の上に輪っかを付け、白すぎるくらい白い羽を背負った女の子がいた。
一切淀みのない声色は美しく、この世のものとは思えない。
「三田真由加さん。十六歳。あなたは今日、死にました」
「……え?」
「亡くなったのです。だからここに来た。ここは現世とあの世の狭間。あなたは迷い込んだのです。本来ならば死者はあの世への入り口に直行。極楽浄土にいくか地獄にいくかを決められるのですが、あなたはまだ若く、何より天寿を全うしていない。故に、あの世の入り口のその手前、この空間に迷い込んだ」
「あのごめん、宗教観が分かんない。あの世って仏教的なやつ? 西洋的な価値観のやつ? あなたの見た目は全然日本っぽくないけど。天国か地獄、とかじゃないんだ」
「え?」
本当に驚いたときの「え」だった。
「私、めちゃくちゃ日本っぽいと思いますけど」
「どこが?」
「こんな可愛いロリ娘が天使の格好してるのなんて日本くらいじゃないです?」
「たぶん今日日そんなこともない」あと自分でも言うことでもない。
「あ、そうなの? 間違えちゃった」
「天使も間違えることあるんですね」
「まあそりゃ天使だし」
「そりゃ人間だし、みたいに言わないで。天使って普通に間違える生き物だから、みたいに言わないで。わたしははじめましてだから」
「次から気を付けます」
「次があるんですね」
天使は可愛らしく咳払いをした。
「確かにあなたは死にました。しかしあなたはまだ若い。ここに迷い込んだということは、あなたはまだやり直すことができるということです。さあ」
と言って、天使は白くて小さな手を差し出した。
「さあ、とは?」
「手を取ってください。あなたを現世に戻します」
「生き返ることができるんですか!」
「もちろんです。ですが、現世への道中は決して手を離さないでください。私から離れてしまうと、あなたは生き返ることも死ぬこともできず、なんと、異世界へと飛ばされてしまうのです」
「い、いせかい!? あの、アニメで見るような、あれですか」
「多分それです」
「多分?」
「異世界はとっても恐ろしいところです。魔王軍に支配された世界で人々は怯えて暮らしており、勇者パーティーはせめて魔女がいてくれたらと願っているのですが如何せん魔女になる才能を持った女の子がなかなか転生……おっと、あなたには関係ないことでしたね」
「そ、そうですね」
「では参りましょう。三田真由加さんの、新たな人生に向かって」
わたしが天使の手を握ると、
「ぜ、ったい、に! 離さないでくださいね」
にこっと笑った天使は、天使のような笑顔だった。
何もない空間に扉が現れる。
「これってどこでも行ける系のドアですか」
「どこでも? ドアが? ははっ、何を仰っているのかさっぱり」分かってんなこいつ。
扉を開いた先に広がっている世界は、いや、その先に世界が広がっているかどうかすらわからないほど真っ暗な空間は、まさに闇であった。
「行きましょう」
天使が一歩踏み出すと、吸い込まれるようにドアをくぐる。
身体がふわりと浮いた。
無重力のような、何かに浮かばされているような不思議な感覚だった。
「うぅ……気持ち悪い」
「慣れですよ。絶対に手を離さないでくださいね」
「分かってる」
天使に引っ張られるように、恐らくは前に進んでいる。
「片道切符みたいなものでね、真っ直ぐ真っ直ぐ、ひたすら現世に向かって進んでいきます。ただしそれは私が天使だからできることであって、天使じゃない人は、空間に呑み込まれて異世界へと転生します」
「はあ」
「凄いですよね」
「凄いですね」
「手、離さないでね」
と言うわりに、あまり強く手を握られている感触がなかった。
「絶対離さないでね」
「分かってます」
「絶対離しちゃ駄目だよ」
「分かってますって」
お互い段々語気が強くなっていく。
前に進んでいるという実感がないまま、視界の先に小さな光が見えてきた。
「もしかしてあれが!」
「そう! もう少しで現世だよ」喜んでいるような声ではなかった。
徐々に光が大きくなっていく。
希望の光だ。
心に纏わり付く不安が、次第に闇に溶けていく。
「ねぇ! ちゃんと手握ってる!?」
しつこいくらいに天使は叫ぶ。可愛い声でがなっていた。
「握ってます! 寧ろ超強く握ってますよ」
「絶対手離しちゃ駄目だよ!」
「離しません!」
「絶対だよ!? 絶対って意味分かってる!?」
「分かってる!!」
「ホントに分かってるんだよね!?」
「本当に分かってるって!」
「絶対ってほら! 絶対ってそういうことじゃん!! ほら!? 絶対離さないで!!」
「絶っっ対離さない!!」
「あああもう早く手ぇ離せやあああああああああ!!」
「やっぱりそういうことかあああああああああ!!」
天使の可愛い怒声が響く。
わたしも力いっぱい叫んだ。
「あなたが手ぇ離さないとストーリー始まんないでしょうが!!」
「ストーリーってなにさ! どこの誰が異世界なんてワケの分からないところに行きたがるの!? わたし嫌だよ!」
「帰ったところで病院なんだよ!? 転生したらあなたは自由! 異世界で自由! 素晴らしいことでしょう! ずっと病院にいたいの!?」
「ずっとはいないから! もうすぐ退院だから!」
「異世界行ったら病気治るよ!? すぐ元気になれるんだよ!?」
「わたし、ただの痔なんで!! 痔で死んで異世界転生って何!? そもそも痔で死ぬ!? 異世界転生させた過ぎて痔で殺しちゃってる疑惑ありますけど!?」
「それがなにか!?」
「自白したよ! 転生ありきで殺さないでくれる!?」
「もう良いからお願い! その手を離してマジで!!」
「転生したら元の世界のわたし死ぬじゃん! 死因にドイツ語で痔って書かれるのが最悪すぎる!! 絶対に離さない!!」
「ああもう! 現世着いちゃうじゃん! せっかく見つけた魔女候補なのに!! 」
「関係ない!! わたしはまだまだ生きるんだああああああああああああ!!」
「手ぇ離せええええええええええええええええええええええええええええ!!」
天使の、天使らしからぬ叫びがこだまして、闇の世界から光に飛び込んだ時、わたしの意識はそこで途切れた。
***
三田真由加が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
「三田さーん、おはようございます。よく眠れましたか?」
女性看護師の山本が天使のような笑顔で朝を報せる。
「……なんか、悪い夢を見ていたようです」
「夢?」
「天使みたいな、悪魔のような人が来て」
「はぁ……」
「わたしを異世界に転生させようとしてくるみたいな」
「転生ですか? まあ。随分と面白い夢を見ましたねぇ」
「夢、だったんですよね……にしては妙に生々しかったな」
真由加はぼやけた目を擦ろうと右手を持ち上げると、何故だか力が入らない。指先がピクピクと震えて、それはまるで、何かを強く掴んで離さなかったときのように――。
「山本さん」
「はい?」
真由加は決して離さなかった。
ここに戻ってくることを、諦めなかった。
「わたし、まだ生きていたいみたいです」
「……そうですか。じゃあ、今日の手術頑張りましょうね。その気持ちがあれば絶対に成功します。私たちも全力でサポートしますから。あ、せっかくなんでついでに痔も治しちゃいます?」
真由加は思わず吹き出した。
「それは……また今度で」
この手を離せば異世界転生! 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam
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