水晶は知っている
坂井ユキ
水晶は知っている
「セリナ!こんなところでうろうろしてて、今日の仕事は終わったの!?」
今日の分として命じられていた仕事が一段落し、ほっと息をついていた私に、お姉様の罵声が響く。
「はい、お姉様……。終わりました」
眦を釣り上げて私を睨んでいたお姉様は、私の言葉にアメジストの瞳をすっと細める。
「そう。それなら、さっさと部屋に引っ込んでなさい。
わかってると思うけど、許可なく部屋から出るんじゃないわよ」
「はい……」
俯きながら答える私を、じろりともうひと睨みすると、美しいドレスと艶やかなプラチナブロンドの髪を靡かせながら歩み去って行く。
お姉様はとても美しい。
田舎子爵家でしかない我がアルビール家だけど、お姉様の美しさは王都でも有名らしい。
それに加え、頭も良いし魔力も高い。
将来は高位の貴族家へ嫁げるのではないかと、両親だけではなく領民からもとても期待されているそうだ。
実際、18歳と結婚適齢期を迎えているお姉様には、色んな家門から縁談話が来ていると聞いている。
「それに比べて私は……。はぁ……」
自室に戻り、姿見に写った自分の姿を見ると、無意識にため息がこぼれる。
そこに写るのは、とても貴族の令嬢には見えない
、メイド服に身を包んだ平凡な娘の姿。
両親それぞれの金髪と銀髪を完璧なバランスで混ぜ合わせたようなお姉様の美しいプラチナブロンドに比べ、お母様の銀髪を強く受け継いではいるものの、艶はなく銀と言うよりは灰色と言った方がしっくりと来る髪色。
瞳の色は何の変哲もない茶色だ。
みんな見目麗しい家族の中で、私だけが平凡な容姿に生まれてしまった。
でも、それだけならまだ良かった。
幼かった頃は、お姉様も今は王都で文官として働いているお兄様も。
今はほとんど顔を合わせることの無い両親だってとても優しかったのだから。
全てが変わってしまったのは、五歳の時。
あの蒼く美しい水晶を手にした瞬間だった。
◇ ◆ ◇ ◆
私が暮らしているハーベル王国では、五歳になると全ての子どもが魔力の適正検査を受けることが義務付けられている。
そこで魔力量や適正を調べ、素質があると判断されれば将来王城務めの魔道士となる為の魔法学園に通ったりする。
アルビール子爵家は代々魔力量が多い家系で、お父様もかつては王都で魔道士として活躍していたと聞かされていた。
私が産まれた頃に役職を辞し、領地経営に専念するようになったらしいけど、その豊富な魔力は今も領地へ多大な恩恵をもたらしているらしい。
伯爵家から嫁いで来たお母様も魔力量は多かったし、お兄様もお姉様もそうだった。
だから、私もきっと魔力量は多いだろうし、将来はその力で大好きな家族と領地のために頑張ろうと思っていた。
「セリナは本当に優しい子ね」
そう決意を語る私の頭を、優しく撫でてくれたお姉様。
「セリナは本当に頼もしいな。兄妹で力を合わせて、アルビール領をもっともっと素晴らしい土地にしような」
嬉しそうにそう言って肩車をしてくれたお兄様。
そして、そんな私達を暖かい眼差しで見守ってくれていた両親。
その幸せは、全て私が魔力検査を受けた日に失われた。
「お父様、この水晶に触れば良いのですか?」
この後自分を待ち受ける運命を知らず、あの時の私は無邪気にお父様に尋ねていた。
「あぁ、そうだよ。緊張しなくて良いからそっと触れてみなさい」
「はいっ!」
蒼く美しい水晶の表面は、少しひんやりとしていた。
水晶は、魔力を持つものが触れると、その魔力適正に応じて光り輝くのだ。
魔力量が多ければ多い程により強く、より鮮やかに。
お兄様みたいな綺麗な青かな?
それとも、お姉様みたいな鮮やかな赤かな?
それぞれ水と火の強い魔力がある兄姉のように、きっと今回も水晶は眩しく輝くのだろうと思っていた。
しかし、そんな私の期待は一瞬にして裏切られた。
私が触れた水晶はしばらく待っても光り輝くことはなく。
――ピシッ
無機質な音を立てて、真っ二つに割れてしまった。
「この子は呪われている」
割れた水晶を前にして呆然としている私に、お父様がこれまで聞いた事のない冷たい声で言った。
「部屋に閉じ込めておけ。絶対に外には出すな」
「お、お父様……?待って……待ってください!」
そのまま魔力検査を行っていた居間から出て行こうとするお父様を、泣き出しそうになるのを堪えながら追い掛けようとした私は、突然ぐいっと強い力で腕を掴まれる。
「痛っ!え……お兄様……?」
痛みに声を上げる私に、何の感情もこもっていない目を向けると、お兄様はそのまま私の腕を掴んで歩き出す。
「お兄様!痛い!痛いです!
お母様、お姉様、お兄様を止めてくだ……」
突然のお兄様の行動に、咄嗟にお母様とお姉様に助けを求めようとした私は、その言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。
二人もまた、お兄様と同じような何の感情も感じられない顔で私を見ていたから。
ほんのついさっきまで、あんなに優しい顔で笑ってくれていたのに、どうして?
呪われた子ってなんなの?
お兄様に押し込められた自室で、私は訳も分からず泣き続けることしか出来なかった。
◇ ◆ ◇ ◆
あの日から、もうすぐ10年が経とうとしている。
水晶を割ってしまって以来、私はアルビール家の令嬢としてではなく、使用人としてこの屋敷に置かれている。
お父様は固く口止めをしていたみたいだけど、何処かから漏れたのか。
きっと私が呪われた子だと言う噂が広まったのだろう。
執事長や侍女長といった、代々仕えてくれている一部の古参を除き、使用人達は次々と屋敷を去ってしまい、人手不足だからだ。
幸いと言って良いのかはわからないけど、部屋は元々の自室を使わせてもらっているし、食事も十分に与えられている。
適正な金額なのかはわからないけど、一応は賃金も払われているから多少の貯えはある。
それに、10年近くも使用人扱いで働いていたから、一通りの仕事も出来るようになった。
だから、私は15歳の誕生日で成人を迎えたら、この家を出ていこうと思っている。
何処か遠く、別の国でも良い。
読み書きとか最低限の教育は受けたし、もしかしたら、貴族の家で使用人として雇ってもらえるかもしれない。
だから私は、家族の元から去るんだ。
幼かった頃に愛してくれていた記憶は忘れられないし、ずっと冷たく扱われていても、今でも家族のことはやっぱり愛してる。
それでもきっと、その方がお互い幸せになれるだろうから。
◇ ◆ ◇ ◆
(sideアルビール子爵家)
「お父様!もう我慢の限界ですわ!
いつまでセリナのことで我慢しなければならないんですの!?」
自慢のプラチナブロンドの髪を振り乱しながら執務室へと怒鳴り込んで来た娘に、アルビール子爵ゼノンは深い溜め息を吐く。
「落ち着け。何度も言っているだろう。
成人するまで待てと。
未成年のうちに屋敷から出せば、余計な詮索をされかねん」
ゼノンにとっては、もううんざりする程繰り返した会話だ。
娘――レフィーリアだってわかっているはずなのだ。
だが、社交界では「妖精のようだ」とか「天から舞い降りた天使」などと呼ばれるような可憐な容姿をしているが、強い火の魔力持ちらしく苛烈な性格をしているレフィーリアは納得しない。
「これが落ち着けるものですか!
あれ以来お母様はずっと気落ちされて臥せりがちですし、碌な縁談は来ませんし!
もういっそ、元凶をわたくしの炎で焼き尽くしてやりたいですわ!!」
この娘の性格なら、本当にやりかねない。
内心ではそう思って密かに冷や汗を流しながら、ゼノンは表面上は冷静さを取り繕う。
「縁談はお前が全て断ってしまうからではないか」
社交界での評判が良いのもあって、レフィーリアへの縁談話は多い。
だが、未だに婚約者が決まらないのは、全てレフィーリア自身が断ってしまうからなのだ。
「あのような中途半端な家柄からの縁談など一考に値しません!
わたくしは、もっと力のある高貴な家に嫁ぎたいのです!」
本来なら、子爵令嬢でしかないレフィーリアが高位貴族への嫁入りなど望める筈がない。
しかし、レフィーリアの場合はその恵まれた容姿と魔力のおかげでそれも不可能ではない。
ゼノンもそれがわかっているし、その結果としてアルビール子爵家の力が大きくなるのは歓迎すべきことなので、早く相手を決めろとは強く言えないのだ。
「とにかく、もう少しだけ待て。
セリナの15歳の誕生日まであと少しではないか。
それで成人を迎えればあの子は屋敷から出す。
そうすれば、もう大丈夫だ。
お前だってそれはわかるだろう?」
「納得は出来ませんが、仰りたいことはわかりました。
ですが、セリナが成人したら必ず我が家から遠ざけてくださいね!?
もしそうなさらないなら、わたくしにも考えがありますからっ!!」
そう言い捨てると、荒々しい足音を残して去って行く娘に、ゼノンはまた大きく溜め息を吐いた。
◇ ◆ ◇ ◆
15歳の誕生日を翌日に控えた日。
いつものように命じられた仕事をしていると、突然お父様の執務室へと呼び出された。
お父様が私を、それも執務室に呼び出すのなんて初めてのことだ。
そもそも、家族での食事の場にすら呼ばれないから、お父様に会うことそのものが久しぶりだ。
「失礼します。お呼びとのことで参りました」
「あぁ、来たか」
部屋に入った私に短く答えたお父様だけど、険しい顔で手紙を読んでいてこちらを見ようとすらしてくださらない。
きっと、もう私の顔を見るのすら嫌なんだろうと思う。
「明日はお前の15歳の誕生日だったな」
「えっ?はい、そうですが……」
まさかお父様が私の誕生日を覚えているなんて思ってもみなかった。
あの時を最後に、誕生日を祝ってもらったことなんて一度もなかったから。
もうとっくに家族からの愛情なんて諦めていたはずなのに、思わぬ言葉につい期待してしまった。
その期待が私を余計に傷付けることになるのに。
どこまでも私は愚かだ。
そのことを、続いて発せられたお父様の一言で思い知らされる。
「つまり、お前も成人を迎えるわけだ。
だから、お前を隣国へと行かせることにした」
「隣国、と言いますとリッテンベル帝国でしょうか……」
声が震えそうになるのを、何とか堪える。
平静さを保つのに必死な私に比べ、お父様は何も感じていないかのようにずっと手紙に視線を向けながら淡々としている。
「そうだ。かの国のシュバルク公爵家が使用人を探しているそうでな。
お前を行かせることにした」
「そう……ですか……」
何故他国の公爵家なんだろうとか、お父様はシュバルク公爵様とお知り合いだったんだろうかとか、気になることはたくさんあったけど、それを尋ねる気にもならない。
私は、家族に捨てられるんだ。
その事実が、今はただ悲しかった。
元々自分から家を出て行くつもりだったのに、いざ家族からこうして捨てられるとやっぱり辛い。
でも、ここて泣いても縋っても、もう無駄なこともわかっていたから。
「明日の朝には家を出てもらう。
今日のうちに荷物をまとめておきなさい」
「はい、かしこまりました……」
最後まで私の方を見ようとしなかったお父様に、静かに答えると私は執務室を後にした。
お父様の執務室を出て、重い足を引き摺るように自室へと向かっていると、廊下の隅からこちらをじっと見ている人影があった。
「え?お姉様……?」
私が声を掛けると、お姉様は何も言わずに踵を返して足早にその場を離れてしまった。
「今のお姉様の表情……。私の見間違いよね?」
きっと私の愚かな願望がそう見せていただけだろう。
だって、私を嫌っているお姉様が、あんな泣きそうな顔で私のことを見ているはずがないのだから。
◇ ◆ ◇ ◆
翌日の早朝。
私は生まれ育ったアルビール子爵邸を後にした。
執事長と侍女長が見送りに来てくれたけど、家族は誰も来なかった。
せめてもの情けで用意してくれた馬車に乗り込もうとした時、何となく視線を感じた気がして後ろを振り返る。
「あそこはお母様の部屋?
いえ、きっと勘違いね」
私が「呪われた子」となってしまったショックで、お母様は体調を崩してしまいずっと伏せっている。
最後にお顔を見たい気持ちはあったけど、私が会いに行っても会ってくれないのはもう分かり切っていることだし。
私を乗せた馬車は、屋敷を出ると一路リッテンベル帝国との国境を目指した。
そこまでシュバルク公爵家からの迎えが来るそうだ。
実は、私が育ったハーベル王国は基本的に他国との交流がない。
これはハーベル王国が少し特殊な信仰を持っているからで、世界的に広まっている別の宗教を信仰している周辺諸国とは考え方が合わないからだ。
そうは言っても、今でもその教えを熱心に信じているのは王家と神殿くらいなもので、私を含む大多数の国民はほとんど信仰心なんてものはない。
一応国教扱いだから、何となくは知っている程度だ。
それもあって、国としての正式な国交こそは無いものの、貴族達。特に国境近くに領地を持つ貴族は他国と普通に貿易をしたりしているし、王家もそれに関しては放任している。
結局のところ、他国と一切の関わりを絶って自国だけでやっていくことなんて、今の時代では無理なのだから。
そして、アルビール子爵家もリッテンベル帝国との国境近くに領地を持つ貴族家の一つだ。
私達アルビール子爵家の者にとっても、領民達にとっても、自国の王都よりもリッテンベル帝国の方がずっと近くて身近な場所だ。
帝国を拠点としている商会とも取り引きはずっとあったし、きっとその中でお父様はシュバルク公爵家との繋がりを得ていたんだと思う。
そうでもなければ、いくら公爵家とは言え、他国の家の使用人募集なんて知るわけがない。
そんなことを考えたり、見納めになるであろう領地の美しい景色を眺めているうちに、馬車は帝国との国境の街へと到着した。
「お嬢様、私はここまでになります。
どうかお元気で」
そう言って、ここまで馭者を務めてくれたアルビール子爵家の使用人が深々と頭を下げる。
この人は、家族から捨てられた私をまだお嬢様と呼んでくれるんだ。それが少し嬉しく感じる。
「ありがとう。貴方も気を付けて帰ってね」
それだけ言って、その馭者とは別れた。
思い返せば、家族にはずっと冷たくされて来たけど、屋敷に残っていた数少ない使用人達は最後まで私をアルビール子爵家の令嬢として扱ってくれていたように思う。
なんだ、私は一人ぼっちじゃなかったんだ。
そう思えると、何となくだけどこれからのリッテンベル帝国での生活でも頑張っていけるような気がした。
私は顔を上げ、しっかりと前を見据えて、生まれ育ったハーベル王国を去り、リッテンベル帝国の国境を跨いだ。
◇ ◆ ◇ ◆
リッテンベル帝国のシュバルク公爵家へとやって来てから、あっという間に一年が過ぎ私は16歳になった。
初めてご挨拶させて頂いた時、私はガチガチに緊張していたのだけど、公爵様は他国にまでその名声が鳴り響く大貴族とは思えない程気さくな方だった。
シュバルク公爵様は魔力の多い方で、それもあって昔ハーベル王国の魔法学園に留学していたらしい。
その時にお父様と親しくなったそうで、今回私を受け入れてくださったのはその縁からだった。
学生時代の思い出と共にそう語っている公爵様はとても穏やかな様子で、この方がご主人様なら大丈夫かもしれないと安心出来たことを良く覚えている。
公爵夫人や跡継ぎであるご子息、お二人いらっしゃるお嬢様方も皆様優しい方ばかりだった。
家族構成は同じなのにも関わらず、我が家とは全く違い仲睦まじいご家族の様子が少し羨ましかったけど。
お二人のお嬢様のうち、長女のレティシア様はリッテンベル帝国の第二皇子様とご婚約されていて、先日婚姻準備のため皇城へと居を移された。
私も少しだけその準備をお手伝いさせて頂いたけど、レティシアお嬢様は終始とても幸せそうにされていて、もう結婚なんて諦めている私ですら再び結婚への憧れを抱いてしまったくらいだ。
また、今はまだ9歳の次女のミリアナお嬢様は、もうすぐ迎える10歳のお誕生日を機に専属の侍女を何人か増やす予定だそうで、もしかしたら私もそこに加えて頂けるかもしれないと侍女長から伝えらている。
シュバルク公爵家は、元々の家門の力も強いし、レティシアお嬢様が新たに皇族へと嫁がれたこともあり、これ以上の政略結婚は不必要と公爵様は判断されているみたいで、ミリアナお嬢様はかなり自由に育てられている。
それもあって、少しだけ我儘な部分もあるものの、それすらも可愛く見えてしまうくらいに明るく朗らかなお方だ。
突然リッテンベル帝国へとやって来た私にも懐いてくださっていて、もし本当にこのお方の専属侍女になることが出来たのなら、私の生涯を捧げてお仕えしたいと思っている。
そうして直近の目標も見つかり、すっかりシュバルク公爵家へと馴染むことが出来た私は、いつしかハーベル王国にいる家族のことを思い出すこともほとんどなくなって来ていた。
癒えることはないのではないかとすら思っていた心の傷もかなり癒えてきていたそんなある日。
普段通りに仕事をしていた私は、公爵様の執務室へと来るように言われた。
もしかしたら、その場でミリアナお嬢様はお付きになるように言われるかもしれない。
そんな期待を胸に秘めながら執務室へとやって来た私に告げられたのは、信じられない言葉だった。
「セリナ、落ち着いて聞いて欲しい。」
「はい、何でしょうか?」
「君の実家であるアルビール子爵家が、謀反の疑いをかけられた。
子爵領へ、王家の討伐軍が向かっている」
「……え?」
一瞬何を言われているのか理解が出来なかった。
アルビール子爵家が謀反?
しかも、王家から討伐軍て……。
突然過ぎる言葉に、呆然として何も言えなくなってしまった私を、公爵様が痛ましそうに見ている。
それがわかったから何か言わなくてはいけないとは思うんだけど、頭が真っ白になってしまって言葉が出てこない。
「混乱するのはよくわかる。
だが、あまり時間的猶予がないのも事実なんだ」
公爵様によると、アルビール子爵領へと向かっている王家の討伐軍は約5000だという。
その数に、驚きが絶望へと変わっていく。
アルビール子爵領は、子爵家としては豊かな領地だっだと思う。
それでも、あくまでも子爵家でしかない。
領軍を全て掻き集めても、せいぜい300がいいところだ。
いくら一般兵数十人に匹敵する戦力があると言われる高位の魔道士であるお父様達がいたところで、到底どうにかなるとは思えない。
つまり、アルビール子爵家はもう終わりということだ。
家族には長年に渡って冷たくされて来たのに、こんな時に思い出すのは幼い頃に愛されていた記憶ばかり。
そんな家族が、これから反逆者として王家から裁かれるのだと思うと、胸が締め付けられた。
「あの、謀反て……。お父様は本当にそんなことを……?」
自分でも情けなくなるくらいに掠れた声で尋ねる私に、公爵様は眉間に皺を寄せた険しい表情で首を振る。
「いや、ゼノンはそんなことを考えるような男ではない。
まず間違いなく王家からの言いがかりだろう」
「だったら何故!?」
無礼だとわかっていながらも、つい大きな声を出してしまった私を咎めることもなく、公爵様は冷静に私を見つめる。
「それに答えるには、まず君に話さなければならないことがある。
きっと君にはとても信じられない話になると思うが、聞く覚悟はあるかい?」
そう言うということは、公爵様はアルビール子爵家に謀反の嫌疑がかけられた理由を知っているということだろう。
それならば、私は聞かなくてはならない。
いくら捨てられたとは言え、私はアルビール子爵家の娘なのだから。
「聞かせてください」
私を見据える公爵様の目を真っ直ぐに見つめ返して答える私に、公爵様は大きく頷くと静かに口を開いた。
「それでは、まず聞きたいんだが……。
セリナはハーベル王国の独自信仰についてどの程度の知識がある?」
突然そんなことを聞かれるとは予想していなかったので、一瞬呆気にとられたが、記憶を辿り公爵様に答える。
ハーベル王国の独自信仰とはこんな感じだ。
人類誕生よりはるか以前。
まだ神々が世界を支配していた時代。
その神々を従える偉大な古龍がいた。
しかし、悠久の時を生き続けた古龍も、やがて老いてその力は弱まってくる。
眠りにつくとこを決めた古龍は、自らの体を横たえるに相応しい土地を見定め、そこで眠りについた。
やがて、古龍の体は豊穣の大地に。
その爪や牙は山々に。
鱗は新たな命となった。
新たな命は母なる古龍から生まれた土地に国を興した。
それがハーベル王国であり、古龍の鱗から生まれた最初の人々こそが王族である。
「あぁ、一般的に知られているのはそう言う話になるね」
ハーベル王国民なら誰でも知っている話なので、すらすらと答えた私の説明に、公爵様が満足そうに頷く。
「でも、この話には続きがあるのは知っているかな?」
「いえ、聞いたことがありません」
そもそもが今も熱心に信仰しているのなんて神殿と王家くらいなものだ。
この話に続きがあるのかとかなんて、考えたことすらなかった。
「私もゼノンから聞いた話なんだがね。
いずれ古龍は眠りから目覚め、王国に今以上の繁栄をもたらすという話があるそうだ。」
神話の通りなら古龍が目覚めたら今の王国がある土地はどうなってしまうんだろうとは思うけど、今言うべきことではないくらいはわかるので、静かに公爵様の話の続きを聞く。
「古龍を目覚めさせるには、特殊な魔力の持ち主の生き血を捧げる必要があるらしい。
そして、王家と神殿は長年。それこそ建国以来ずっとその持ち主を探し続けていた」
初めて聞く話だ。
王家と神殿がそんなことを考えていたなんて、全然知らなかった。
「王家はね、特殊な魔具を用いて全国民の魔力を調べることでその魔力の持ち主を捜していたそうだよ」
君もその魔具を見たことがある筈だという公爵様の言葉に、何かあっただろうかと記憶を辿る。
全国民……。
魔力を調べるための魔具……。
まさか……。
あることに気が付き、はっとする私に、公爵様は頷く。
「そう、君は5歳の時にその魔具を見たはずだ。
蒼い水晶をね」
あの魔力検査のための水晶にそんな目的があったなんて思ってもみなかった。
でもどうやって?
あの水晶でわかるのは魔力量と適正だったはず。
実際兄や姉の時はそれぞれの適正の色に強く輝いていたのは私も見ている。
「普通の人が水晶に触れても、特に変わったことは起きない。
その時は測定器としての役割を果たすだけだ」
まるで私の思考を読んだかのように公爵様は答える。
「だが、そうではない反応を水晶が示す時がある。
そして、それこそが古龍を目覚めさせるための魔力への反応なんだ」
輝く以外の反応?
そんなの聞いたことなんて……。
いや、待って。
私の時はどうだった?
私が触れた時に水晶は……。
「そう、古龍を目覚めさせるための特殊な魔力。
それを感知した時、水晶はその役目を終えたとして、真っ二つに割れるそうだ」
公爵様の言葉は、まさかという私の予想を裏付けるものだった。
それじゃあ、私がその特殊な魔力の持ち主ということ?
古龍を目覚めさせるには生き血を捧げる必要があると公爵様は言っていた。
それが何を意味するのかくらいは私にだってわかる。
つまり、公爵様が私をわざわざ呼んでこの話をしたのは私に血を捧げさせるため?
でも、それならなんで私の家族は謀反の疑いをかけられているっていう話になるの?
駄目だ。
あまりにも予想外で訳のわからないことが続き過ぎて、完全に混乱している。
「……セリナ。セリナ!
落ち着きなさい!」
公爵様に強く呼び掛けられ、いつの間にか体をガタガタと振るわせていたことに気が付く。
「も、申し訳ありません……。少し混乱してしまって……。
あの、私はこれからどうなるのでしょうか?
それに家族は……」
「安心しなさい。
君の身柄は、我がシュバルク公爵家が必ず守る。
私個人としても君を守りたいと思うし、何より親友からの頼みだからね」
「え?」
公爵様が私を守ると言ってくださったのはとてもありがたいと思う。
でも、私を守るように公爵様に頼んだ方がいる?
それに公爵様の親友って……。
初めて公爵家に来て公爵様にご挨拶をした時のことを思い出す。
あの時、公爵様はこう仰った。
「君は私の唯一の親友の娘だ。
悪いようにはしないから、安心してここで過ごしなさい」
って。
それじゃあ、公爵様に私を守るように頼んだ親友というのは……。
「君を守るように私に頼んだのはゼノン。
君のお父上だよ」
「どういうことですか?
だって、父は私を憎んでいて……。
それで私が邪魔だったから帝国へ行かせたのでは……?」
そうだ。
お父様は私を疎んでいたはずだ。
あの時からずっと「呪われた子」である私を憎んでいた。
だから、私は家を出ようと思っていたし、こうして追い出されるようにしてここに来たはずなんだ。
「本当は口止めされていたんだ」
呆然としている私に、公爵様は辛そうに眉間に皺を寄せて話してくれた。
お父様から聞かされたという話を。
「君が産まれた時。優れた魔道士でもあるゼノンはもしかしたらと思ったそうだ。
彼は他人の魔力を探知する能力にも長けていたからね。
君の魔力が普通ではないとすぐに気が付いたようだよ」
だから、王都での役職を辞して領地に。家族の近くへと戻ったそうだ。
その言葉で思い出した。
確かに、お父様は私が産まれてすぐに領地へと帰って来た。
普通なら、貴族は子どもがある程度大きくなれば家族共々王都で暮らすことが多い。
それなのに、私は一度も王都へとは行ったことがない。
家族もみんな、お兄様以外はずっと領地にいた。
「ゼノンはいずれは君のことが王家に知られるだろうと予想していたそうだ。
だから、君を何とか成人までは手元で隠し通し、成人のタイミングで遠くへ逃がそうとしていたらしい。
成人した貴族の娘なら、他家へ行儀見習いとして行かせてもおかしくは無いからね」
確かに公爵様の言うように、成人した未婚の娘が花嫁修業として他家へ行儀見習いへと行くことはハーベル王国や帝国ではよくあることだ。
じゃあ、私は捨てられたのではなく、ハーベル王家から逃がすために帝国へ送られたということ?
「ハーベル王家は、もしかしたら、何らかの方法で既に古龍を目覚めさせる魔力の持ち主が生まれていることを把握していたのかもしれない。
かなり執拗に国内を探していたらしくてね。
成人までは隠し切れないかもしれないと感じていたそうだ。
そうなると、市井に紛れさせて逃がすしかない。
だからこそ、君が市井でも生きていけるように色々な仕事を身に付けさせる必要があった」
実際、私は家を出て市井に紛れて生きていくつもりだった。
ずっと使用人として働かされていたから一通りのことは身に付いていたし、しばらくは生きていけるだけの貯えもあった。
でも……。
「もし、もし本当にお父様がそのようなことを考えていたのだとしたら!
何故私に何も話してくれなかったのですか?
何故私はずっとあんな……」
あんな風に家族から冷たく扱われなければならなかったのか。
「セリナ、君は優しい子だ。」
いつの間にか溢れ出た涙を拭おうともせずに声を荒らげた私に、公爵様は優しく微笑んでくれる。
「君に真実を伝え、そして君の存在が王家に知られてしまった時。
優しい君は家族のために自分の身を差し出してしまうだろうとゼノンは言っていたよ。
だからこそ、万が一真実を知っても、君が迷わず家族を切り捨てられるように。
なんの情も残さないようにする必要があったそうだ」
「嘘……。そんなことって……。
じゃあ、お父様も、お母様も……。
お兄様もお姉様も……」
「あぁ、君の家族はみんなこのことを知っている」
私に嫌われたかったから?
私が家族を庇おうなどと考えないようにするため?
そんなの……。
「じゃあ、何故今アルビール子爵家は王家から攻められているのですか……?」
何となく予想は出来る。
でも、まだ信じたくない気持ちが強い。
「時間稼ぎ……だろうね。
私がここで君を匿うにしろ、もっと遠くへと逃がすにしろね」
しかし、公爵様の言葉は私の予想を裏付ける。
「それに、大人しく王家に拘束されてしまえば、自白剤でも何でも使って君の居場所を吐かせようとするだろう。
そうなるくらいならば、王家と戦うことを選ぶ男だよ、ゼノンは」
そして、他の家族もお父様のその決定に従った。
そういうことなんだと思う。
「全部、全部私のためだったというのですか……。
家から追い出したのも、ずっと冷たく扱われて来たのも……それも全部私を逃がすためだったと……?」
「その通りだ」
あぁ、やっぱりそうなんだ。
今更そんなことを知っても、一度傷付いてしまった心の傷が癒されることがないのはわかっている。
それでも、ずっと嫌われていたとばかり思っていた家族が、本当は命を賭けてまで守ろうとしてくれるほどに私を愛してくれていたことをやっぱり嬉しく思う気持ち。
そして、私の意見なんて聞こうともしないで勝手に色々と決めてしまったことへの怒りだってある。
色々な気持ちが溢れてきて、頭はぐちゃぐちゃだし、胸は痛いしめちゃくちゃだ。
「セリナ、まだ気持ちが落ち着かないのはわかっている。
だが、今は一秒が惜しいのも事実だ」
公爵様の仰る通りだ。
今こうしている間にも王家の討伐軍は領地へと向かっていて、領民や家族へ危険が迫っている。
「だからこそ、敢えて聞こう。
君はどうしたい?」
多分、人生で一番混乱している。
難しいことを考えても、絶対に頭が働かない。
そんな状態だからこそ、思うがままに振る舞ってもいいのではないだろうか。
「私は、アルビール領へ行きたいです」
そこで、今のこの気持ちを全て家族にぶつけたい。
本当のことを何も教えてくれなかった怒りも、ずっと冷たくされて来てどれだけ悲しかったのかも。
そして、それでも私は家族を愛していることも。
全部全部、今更この胸の中にあるものを、家族にぶつけたい。
そして、一緒に領民を守りたい。
「だから、公爵様。
これまでもたくさん助けて頂いたのに、こんなお願いをするのは図々しいとはわかっています。
ですが、私には現状頼れるお方は公爵様しかおられません」
姿勢を正してじっと真っ直ぐに向ける視線を、公爵様も真正面から受け止めてくれる。
「どうか、家族を、そしてアルビール領の領民を助けるために力をお貸しください」
立ち上がり、床に跪いて深々と頭を下げる。
ハーベル王国の反乱討伐にリッテンベル帝国の公爵家が手を出す。
しかも、反逆者側として。
それが何を意味するかをわからない程私だって馬鹿じゃない。
でも、今はこうするしか、公爵様に縋るしかない。
私には何の力もないのだから。
「セリナ、頭を上げなさい」
公爵様の言葉にゆっくりと頭を上げる。
その先では、公爵様が優しい顔で私を見ていた。
「力になるつもりがなければ、最初からこの話を君にしてはいない。
だから、安心しなさい」
「ありがとうございます。言葉では言い表せない程にありがたい事だとわかっています。
ですが、本当によろしいのですか?」
自分から頼んでおいて何だけど、やはり気になってしまう。
だって、高確率で戦争になるかもしれないんだ。
「この件以外にもハーベル王国とは色々とあるからね。
どの道時間の問題だったんだよ。
だから、これは逆に良い機会だとも言える。
もちろん、皇帝陛下だってご存知のことだ」
「それでは……」
「あぁ、まずはアルビール領救援の軍を出す。
そして、その後は……だね。
もちろん、セリナも行くのだろう?」
そう言って、立ち上がった公爵様が私に手を差し出す。
きっとこれから、ハーベル王国とリッテンベル帝国の戦争になる。アルビール領が発端となって。
だったら、そのアルビール子爵家の娘として、私も立ち向かわなければならない。
これまでずっと、もう仕方ないんだと、私が悪いんだと何もかも諦めて来た。
でも、もうこれからはそうはしない。
家族とのことも、領地のことも全部。
きちんと向き合って、真正面からぶつかっていきたい。
その気持ちを込めて、差し出された公爵様の手を取る。
私は、ここからもう一度始めるんだ。
今度こそ、きっと。
~Fin~
水晶は知っている 坂井ユキ @yukisakai
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