酒と小説とバクチ
@miura
第1話
酒と小説とバクチ
①
“部屋と Yシャツと 私”
大好きな曲だった。
つきあった女の子とカラオケに行くと必ず歌ってもらった。
音楽に興味を持ち始めたのは高校生、ちょうど大学の受験勉強を始めたころだった。
入りは洋楽だった。当時、80年代は腐るほどいい洋楽があった。邦楽など相手にしていなかった。いけいけどんどん、バブルと言う背景も一因だったのかもしれない。
しかし、受験が終わり、無事大学に入学すると途端に音楽など聴かなくなった。
アルバイトと合コンにひたすら明け暮れる毎日。
やがて大学を卒業し社会人になるとカラオケブームなるものがおこった。飲み会の後は必ずと言っていいほどカラオケに行く。まだ、カラオケボックスなどない時代で、カラオケバーといって、すべてが個室で、部屋代が一時間当たり三千円から四千円かかり、おまけにワンオーダー制だったので、歌ってちょっと飲むと二人で七、八千円かかった。カラオケボックスが世を席巻したときには俺たちが使ったあの金はなんだったんだと地団駄を踏んだものだった。
ある時、デートに誘った会社の女の子とイタ飯を食べ、二件目にこのカラオケバーなるものに入店した。
その女の子はすごくおとなしく、上品で、無駄なおしゃべりなどほとんどしない、派手さはなかったが間違いなく美人で自分にとってはど真ん中のストライクだった。
邦楽の知識が小学生の頃のキャンディーズや、ピンクレディーで止まっていたので、ワンオーダー制のジントニックを舐めると、カルアミルクを可愛く飲んでいる彼女に「なんか歌ってよ」と辞書ほどの分厚さのある楽曲全集を渡すと彼女はパラパラとページをめくり七桁の番号をリモコンに入力した。
暫くするとこの曲が流れだした。
もちろん初めて聴く曲だった。
メロディーはもちろんのこと、歌声、特に歌詞にしびれた。
部屋とワイシャツと私
愛するあなたのため
毎日磨いていたいから
なんとけなげな、今、目の前にいる彼女に言ってもらいたかった。
歌い終わった彼女に曲名と歌っている人の名前を教えてもらったが、もちろんどちらとも知らなかった。
「むちゃくちゃええ曲やんなぁ」
「私も大好きなんです。カラオケに行くと必ず歌うんです」
あまりの彼女の可愛さに抱きしめようと思ったが、酒に酔っていてもその時の僕にはそんな勇気はなかった。
「わたしCD持っているんで今度テープに入れて持ってきます」
「ほんまに? むちゃくちゃうれしいわ」
その曲の入ったテープをもらえるということももちろんうれしかったが、彼女とまた会える、大げさに言うと関係性が継続されることがもっと嬉しかった。
しかし、そのテープをもらった半年後に彼女は会社の他の男と華燭を迎え、今では死語となった寿退社をしたのであった。
だから、この曲を聴くと、いつも彼女の品のある綺麗な顔立ちを思い出すとともに苦い思い出も同時に思い出すのであった。
“締め切り三分前です”の女性の電子音声で我に返る。
朝から夕方までやっていた中央競馬で散々な目に遭い、残り少ない残金で舞台を地方競馬に移していた。
といっても、還暦を間近に控え、年々睡眠時間が減少してくる傾向の中で、朝の五時に目覚め、その三十分後から飲酒を開始した僕は、ほぼ“泥酔”状態だった。
パドックの馬が牛に見え、パソコンの画面に映っている馬柱を見るがもちろん判断能力はなかった。
手にしているのはリカーショップでまとめ買いしてきた、缶ジュースや缶コーヒーより安い韓国製の発泡酒。
親父が酒飲みで、今ほど規制は厳しくなかったので高校生のころから居酒屋で酒宴を上げていたので、大学に入って呑む機会が増えてもなんの抵抗もなくすっと入っていけ、社会人になってさらに吞む機会が増え“のんだくれ”と言うレッテルを自ら体に張り付けた。
しかし、今のように家でダラダラと、とくに休みの日など朝の六時から夜の八時まで吞み続けるといったことなどは若い頃はしていなかった。確かに外ではかなりの量の酒を呑んだが、家に帰ってからは風呂上りにせいぜいロング缶のビールを一本呑む程度だった。
この変な癖がついたのは娘が原因だった。
ちょうど娘が生まれる二週間前に急に東京への異動を会社から言われた。
娘の首が座るまでということで単身赴任の生活を始めた。
東京に赴任した翌日に娘が生まれ、それからは毎週週末になると疲れた体に鞭打って大阪へと帰った。
生まれたばかりの娘を見ていると疲れなどどこか遠くへ飛んで行った。
しかし、別れる時がつらい。どうして会社の都合で生まれたばかりの自分の娘と一緒に暮らせないんだ。俺はなんとつまらない苦労をしているんだと東京へ戻る新幹線の中で何度も思った。
そして、娘が成長していくのと比例してさすがに疲れがどんどんと蓄積されていった。
毎週帰っていたのが二週間に一回になり、三週間に一回になり、やがて月一回になる。
週末、独身寮の八畳一間のワンルームに一人になる。
もともと出不精で無趣味な人間だ。
結局酒を呑むことしかすることがなかった。
娘の首が座ると呼ぶことになっていたので余計なものは買い揃えず、部屋には大阪から持って行った布団とテレビとちゃぶ台と小さな湯呑が一つあるだけだった。
独身寮の中にある自販機で缶ビールを買ってのどを潤すとお次は近くのコンビニで買ってきたバーボンを呑む。冷蔵庫などないのでもちろんストレート。これを朝の九時過ぎから夜の七時くらいまで続ける。
生まれて初めて買ったフォトスタンドに収まる妻から送ってもらった娘の写真をあてに・・。
二人を東京に呼んだ時、部屋の隅に集められたバーボンの空瓶の数と茶渋のように底がまっ茶色に変色した湯呑を見て妻は呆気に取られていた。
締め切り間近の電子音が鳴り、慌てて適当に投票する。
レースが始まる。
しかし、軸にした馬はパソコンの画面に映ってこない。
やがて一着の馬がゴールし、暫くしてから軸の馬がやっと画面に現れた。
「あほかっ!」
声を張り上げた時、玄関の扉が開く音がした。娘が出先から帰ってきたのだ。
彼女はすぐに向かいの自室に入る。
こんなんになったんはお前のせいやからなと心の中で呟くとドアがノックされる。
妻が少しだけドアを開ける。
「あんまりでっかい声だしなや、また嫌がるでぇ」
「へいへい」
娘とはこの七、八年、ろくに口をきいていない。何が気に入らないのか、高校に入ったころから急に口を利かなくなった。小さい頃は周りから“お父ちゃん子やなぁ”と言われるほど僕にいつもべったりだった。
裸で浴室から出てきたことも娘の風呂を覗いたことなどもちろんなかった。
単なる反抗期にしては長すぎる。
「休みの日にな、一日部屋で酒飲んで競馬やってんのんがいやなんちゃう」と妻に言われたことがあったが本当にそれが原因なのだろうか。今の父親というか男はみんなお行儀がよくなったから、家でダラダラ酒を呑んだりなんかしないんだろう、ましてや、自分の買った馬が負けたからと言って部屋の中から声を張り上げたりする父親などいないのだろう。
今日は中央競馬の馬と地方競馬の馬が一緒に走る交流戦があることに気づく。
購入限度額が二百円しかなかったので、短パンとTシャツに着替え、近くのATMへ向かうことにする。
②
生ビールのジョッキが空になったので店員に熱燗を注文する。
そして、足元に置いたカバンの中から文庫本を取り出す。
若い頃、読書など全くしなかった。年に二、三冊文庫本を読む程度だった。それも昔の著名な作家のもので、直近のベストセラーなどは読まなかった。
それが、これもまた間接的に娘が原因なのだが、生まれる直前で東京へ転勤となり、暫くの間単身赴任をすることになった僕は赴任当時、大した仕事も任せられず、毎日、遅くまで残業する同僚を尻目にほぼ定時で会社を辞していた。
単身赴任の寮に戻り、誰もいない食堂で一人黙って食事をとると、部屋に戻り、酒の宴にどっぷりと浸かる。
テレビをつけても、大阪ではどのチャンネルをひねっても出てきた吉本芸人が意外と少ない。特に深夜のチャンネルにお笑い系の番組が皆無なのが意外だった。
会社の中には標準語が溢れ、電車に乗ると女子校生の「だめじゃん」。
そう、その時、僕は大阪弁に飢えていた。
独身寮の最寄り駅で、フォトスタンドを買った店の隣にある本屋に、ある仕事帰りの日に立ち寄った。
大阪弁・・大阪弁・・すがるような思いで棚を回る・・あった・・中島らも・・これまで何冊か読んだことがある、大阪の人間なら大概の人は知っている作家だった。
適当に文庫本三冊を購入し急いで独身寮に戻る。
食事もそこそこに部屋に戻ると早速表紙をめくる。
出てくる出てくる、懐かしい大阪弁。三十余年暮らした街を離れてひと月もたたないうちにこんなことになるとは夢にも思わなかった。
言葉を聞かなくても、言葉を読むだけで何かほっとした。
それを契機に、週に一冊のペースで中島らもの文庫本を読破していった。
三十を過ぎて本を読むことの楽しさを知った僕は中島らも以外の作家の本にも触手を伸ばし始め、散々あらゆるジャンルの小説を読み漁った結果、なぜか自分でも書いてみたいと思うようになった。
フォトスタンドを買った店で原稿用紙を購入して独身寮のちゃぶ台の前に座る。
書きたいことはいくらでも湧いてくる。しかし、それを言葉に変えることの難しさを湯呑のバーボンを舐めながら痛感する。
小学生の夏休みの作文のように、原稿用紙一枚を埋めるのにとんでもない時間がかかり、ほぼへべれけの手前まで来てしまっていた。
その日はその一枚で完了として、もう少しだけ呑んで備え付けのベッドに体を沈めた。
頼んだ熱燗が供される。
お猪口に注ぎながら何気なく店内を見渡す。
お猪口に酒を注いでいる人間など皆無で、自分のように紫煙をくゆらせている人間も二、三人。もちろん小説など読んでいる酔客などどこにもいない。
皆、ハイボールか酎ハイを呑みながら、テーブルの上に置いたスマホをじっと見つめている。一人客ならまだしも何人かの人間ときているにもかかわらず、皆、自分の前のテーブルにスマホを置き、たまに短い会話をする。目の前に人がいるのになんと失礼なことかと思うが、彼らにはそんな感覚はもう無いし、これからも感じることはないだろう。本当に無礼な国になった、日本だけではないと思うのだが・・。
熱燗が無くなったので店員にお代わりを注文し、タバコに火をつけ紫煙をくゆらせる。
すると、隣の、自分よりは少し若そうでいながら髪の毛がかなり寂しくなった男が、僕の吐き出した紫煙をこれ見よがしに手で仰いだ。
「煙草の煙が気になるんやったら禁煙の店に行けっ、アホがっ」と心の中で言葉を跳ね躍らす。
③
久しぶりの場外馬券売場、いわゆるWINSは結構な人でにぎわっていた。
コロナ禍の中、一度だけ訪れたが、入場前に熱を測られ手指を消毒させられ、レースのテレビ放映もなく、券を買ったらさっさと帰ってくれといった扱いに足が遠のいた。
暫くは部屋の中でパソコンのキーボードをたたいて馬券を買っていたが、久しぶりに赤ペンを握って券売機の前に並びたくなったのだ。
競馬歴は長く、大学受験に失敗して入った予備校の裏にちょうど場外馬券売場があった。たまに土曜日に模擬試験があり、昼の休憩時間にふらっと寄ったのが競馬との出会いだった。
当時はバブル全盛で、JRAの年間売り上げが四兆円を超え、今と同様に二十歳を超えていれば馬券を買うことができたにもかかわらず、なぜか学生はダメというわけのわからない規制があった。その後、見事にバブルがはじけ、JRAの年間売り上げも三兆円を割り、慌てて学生にも門戸を開いた。利益を上げるためには手段を選ばない、JRAとはそういう卑しい組織なのだ。
例えば、今ではネット会員の登録も簡単にできるが、当時は、電話投票の会員になるのはたいへんな狭き門で、会員であるということだけで周囲の人間から羨望のまなざしでみられたものだった。
締め切り三分前のアナウンスが流れる。
皆が自動券売機の前に集まってくる。久しぶりに見る光景だ。悪くない。
懐具合と、とにかく一日遊びたいため購入単位は百円。独身の頃、馬券は千円単位で購入していた。場外馬券売場もメインの二、三階は千円単位での販売、その上の四、五階が五百円単位での販売。そして、最上階が百円単位での販売フロアーだった。百円馬券って、馬鹿にしていたが、今やそれが当たり前になった。JRAも売り上げ増のため、今はどのフロアーでも百円単位で馬券が購入できるようになった。
百円の三点買い、計三百円の勝ち馬投票券を握ってテレビの中のレースに見入る。
「アホっ」とか「ボケっ」とか「そのままそのままっ」と懐かしい声が至る所から飛んでくる。
結局、午前中のレースではすべての勝ち馬投票券がはずれ馬券に姿を変えた。
軽く吞みながら昼食でもと思って場外馬券売場の辺りを歩くがどこの店も混雑。牛丼チェーン店まで待ちが出ている。店内を覗くとほとんどがインバウンドのアジア人達。
街全体がまたコロナ前に戻ってしまった。
たいして美味しくもない店が客で溢れ、調子に乗った市場のアホ店主が海鮮をアホみたいな値段で売りさばく。こんなアホどもに本当に税金を使った補助金など必要だったのか。そもそもこの国は資本主義社会、自由主義国家なのだ。おそらく、景気のいいときはサラリーマンの給料をはるかに上回る収益があったはずだ。その時のお金をこういったケースが起こることを想定して蓄えておくべきだったのではないか。それがコロナ禍に見舞われ客が来なくなった、商売がしんどい、助けてくれ、と言うのはお門違いではないか。また、そんな人間たちに金を払う国家はもっとアホだ。不謹慎ながら、コロナ禍に戻ってほしい、
静かな街に戻って欲しいと思いながら一軒だけ空いていたお店に潜り込む。
“昼のみセット”なるものを頼み、午後からのレースを予想する。
空いている店だけあって、出てくるあてはどれももうひとつで、唯一、当たり前だが、ビールだけはいつもの味でうまかった。
パドックのテレビ映像が流れ始める。
皆、ジョッキを新聞に持ち替え、真剣に輪になって回る馬を見入る。
考えてみれば、僕の人生はギャンブルと切っては切れないものだった。
まだ、四、五歳のころ、住んでいた家が今でいう社宅で、隣に独身寮なるものがあった。
休日になると、寮の若い社員の人が色んなところに連れて行ってくれた。
中でも漫画を描くのが趣味な人がいて、その人がたまに町の小さなパチンコ屋に連れて行ってくれた。今のように規制は厳しくなく、その若い人と並んで球を打った。もちろん手打ちの時代、チューリップが目の前で開くと歓喜した。
その影響かどうか、高校生になると足繫くパチンコ屋に通うようになった。当時は羽根もの全盛の時代。近くの店が新装開店だと聞くと学校から飛んで帰り、人の列に並ぶ。
高校を卒業し、堂々と店に入れるようになったころ、フィーバーブームがやって来た。
今ほどの規制がなく、勝つときはうん十万、負けるときもうん十万負けた。
大学に入ると、さらにパチンコにのめりこみ、私鉄電車への乗り換えの駅で途中下車し閉店の十時まで球をはじく日々が続いた。おかげで五年半、大学に籍を置くことになった。
そして、社会人になると、さすがに自由な時間が少なくなり、パチンコもたまの休日に打つ程度となり、結婚し子供ができると、さらに自分の時間が無くなり、パチンコからは完全に足を洗い、たまに競馬のG1レースを買う程度になった。晴れて、いいお父さんになったのだ。
ところが、娘が口を利かなくなり、食事や買い物に出かけなくなると、また週末に自分の時間ができるようになり、もともとが無趣味な僕は再びギャンブルと言う沼にはまってしまった。人のせいにするのは良くないがこれもまた娘が原因だった。
パチンコは規制のがんじがらめでハイリスクローリターンとなり打つことは滅多になかったが、競馬にはまってしまった。一日使う金額を決めて遊べるのが最大の魅力だった。 時間は腐るほどある。昔は見向きもしなかった平場の第一レースからメインレースまで、掛け金は百円単位、一日遊んでたまに勝っても数千円、負けても数千円、独身時代にやっていたパチンコに比べれば可愛いものだ。
閉め切り五分前になると店を出ていく客が数人。みな新聞やタバコは置いていくので、どうやら出入り自由な店のようだ。だから、あてがうまくなくても客がいるのだろう。
僕はもう場外馬券場で立ちっぱなしでいるのがつらかったので昼からのレースはすべて購入済みだった。
発走前になると、出て行った客が戻ってきて、新しい客も加わり、カウンターだけの店内があっという間に満席となった。
スタートが切られた。
場外馬券売場と同様、熱の入った言葉が狭い店内にこだまする。
僕の本命馬は早くも勝負の第四コーナー手前で力尽き、強くスポーツ新聞を握っていた手を緩めた。
しかし、隣の席に座ったばかりの新しい客のおっさんの本命馬がいい位置にいるのだろう「そのままっ、そのままっ」と連呼し、やがて「よっしゃっー」と言って、満面に笑みを浮かべ生ビールのジョッキを傾けた。
「すんまへん、大きい声出して、結構張ってたんで・・あっ、大将、すんません、この人になんか吞みもんを・・何がいいですか?」と聞かれる。
断ろうと思ったが「すんません、そしたら熱燗お願いします」と言って頭を垂れた。
その後、結局午後からのレースも勝ち馬投票券が当たり馬券になることはなかった。
店を出ようと隣のおっさんに熱燗のお礼を言おうと思ったらいつの間にかいなくなっていた。
かなり呑みすぎて若干千鳥足で地下鉄につながる階段を降りようとしたとき、ズボンの後ろポケットのスマホが震える。
「二人で出かけるから晩御飯食べといてな」
妻からだった。
確かに酒ばかり呑んで少し腹は空いていたし、家の近くで食べるのもどうかなと思い、少し晩御飯の時間には早かったが昼間インバウンドで賑わっていた牛丼チェーン店を目指す。
相変わらずインバウンドで賑わっていたが二人掛けのテーブルが一つ空いていたので腰を下ろす。
そして、寂しくなった懐を考え、一番安い牛丼の並とお味噌汁をタッチパネルで注文し、何気なく隣のテーブルを見ると、牛丼の倍以上の値段がする、鰻の乗った丼を、アジア系のインバウンドと思われる男四人組がそれぞれの目の前に置いたスマホを見ながら無表情で貪り食っていた。
④
始業のベルが鳴ると、毎度毎度の二日酔いの重い体を持ち上げいつもの定位置に陣取る。
ラジオ体操の曲が流れ始める。
凝り固まった体が悲鳴を上げる。
何気なく周りを見ると女性社員の数が本当に増えた。
僕の会社は変な言い方、非常にまじめな会社というか国に非常に忠実な会社で未だに新年の社長挨拶の前には皆で君が代を斉唱する。
そして、女性活躍社会に、と国が呼びかけるとたちまち反応し、あっという間に女性の役職者を増やした。真面目なのか単純なのかよくわからなかった。
ラジオ体操が終わり席に着くと自宅から持ってきた水のペットボトルを傾け、昨日の酒の存在を顔のほてりで感じる。
事務課の女性社員が郵便を持ってきてくれた。自分の娘よりさらに若い子だ。
「おっ、ありがとう・・自分まだマスク取らへんのん?」
社内でのマスク着用は解除されたが女性はまだつけている人が大半だった。マスク美女という大変失礼な言葉がコロナ禍に流行ったがそれが原因なのだろうか。それとも本当に罹患への警戒心が強いのだろうか。
「今のセクハラですよ」と女性社員がまだ幼さの残る笑みを浮かべて言う。
「そうなん?」
「そうですよ」と向かいに座っている入社三年目の男性社員が会話に入ってきた。
「せやけど、なにも服脱げへんのん?て聞いてるわけやないんやで」
「だけどダメなんです。呑みに行こかって誘うのもダメなんですよ。セクハラなんです」と男性社員が得意顔で言う。
「そんなんやったら、もう喋られへんやんか。何言うてもアウトっていうことやろ。世知辛い世の中になったのぅ」
「そんなぁ、落ち込まないでくださいよ」と女性社員が言う。
「もうええねん、所詮俺は昭和のおっさんや、完全にはずれてる人間やからな。ちょっとタバコ吸うてくるわ」と言って席を立つ。
喫煙ルームに入るとほぼ満員だった。
紙タバコを吸っているのはおっさんばかりで若い人はみんな電子タバコをおしゃれにくわえている。
気が付けば部署で最年長になっていた。いつまでも若いつもりでいたがもう還暦が目の前に迫っている、所謂アラカンなのだ。
席に戻ると、若手社員しか席についていなかった。金曜日の朝イチは役職者による部内会議だった。
僕は役職はついていない、所謂、平社員だった。大学を出て入社した会社を上司ともめて三十七歳で辞し、ある方のコネで今の会社に入社させてもらった。若い頃からたとえ上司であっても、自分でおかしいと思ったことは正直に言葉にした。そのせいか、あまり上司に可愛がられず、実際十四年の在籍期間で四度の部署異動を言い渡された。
「今度もめて辞めたら、もうその歳やねんからいくとこないで」と妻に散々言われていて自分でもわかっていたが、ある日、そのとき在籍していた部署とは違う部署の人間、自分よりは歳上でそこそこの役職の人間にいきなり罵声を浴びせ掛けられ、まったく納得がいかなかったので多くの人の目の前で大声で怒鳴り返してやった。
喧嘩と言うのは自分より上の人間とやるものであって、下のものとやるのは単なるいじめなのだ。
結果、歳をとって役職から降りてきた平社員ではなく、生粋の平社員をこれまでずっと続けてきた。
「今日もしんどそうですよね」と席に戻ると向かいの男性社員が声をかけてくる。
「当り前や、酒は俺の唯一の友達やからな、毎日付き合わなあかんねや」
「そうなんですか?」
「いつ呑んでもちゃんと酔わせてくれるやろ。
最高の友達や。ただ、ちょっと次の日はしんどいけどな」と言うと男性社員は笑う。
しかし、考えてみればいい国だ、この日本と言う国は。
毎日毎日二日酔いで出社しても首にならず、家族三人、贅沢をしなければ食べていけるだけのサラリーをもらえる。夜中にどこかの国のようにミサイルが飛んできたりドローンからの襲撃を受けることもない。
幸せを甘受しながら終業のベルを聞く。
「お疲れっ」とまるで社長のように、上席者を含めた部署のみんなに手を上げフロアーを後にする。
駅に向かう地下道を歩いていると前を隣の部署の女性社員が歩いているのが目に止まる。
以前、立ち呑みに一度連れて行ってほしいと言われたことがあった。
「帰り?」
「はい」
「呑みに行こか?」
「えっ・・ちょっと用事があるんで」
「そうなんや・・あっ、忘れとった・・今、女の子に呑みに行こかって誘うのはセクハラって今日若いやつに言われたとこや、今の話、なかったことにしといてな、ほなっ」
地下鉄への改札へと急ぐ途中でたまに行く、安いだけで全くうまくない居酒屋が目に止まったので入店する。
ばつの悪さを消し去りたかったので、いつもならビールから始めるところ、熱燗を店員に注文する。
⑤
三百五十mlの冷酒を呑み切ったとき、備え付けのテレビで十八時のニュースが始まった。
コロナ禍の営業時間制限があった頃、いつも安くておいしい酒とあてを提供してくれるお店に少しでも協力がしたくて、定時になると会社を飛び出し呑み屋に駆け込むという習慣が身についてしまった。
まだそれほど混んでいないので、静かに呑めるし、注文した酒やあての提供が早くすごく居心地がよかった。
たまに部署の飲み会なんかに行くと、何か騒々しくて落ち着かず、一番嫌なのが注文した品がなかなか出てこない、特にアルコールの提供に時間がかかるとイライラしてきて、思わず店員を呼びつけたくなるが周りの目があるので我慢してジョッキの底に残ったビールを舐めているといった状況になる。そろそろオフィシャルの飲み会も引退しようかと考えている。
煙草に火をつけ二度紫煙をくゆらすと勘定をお願いする。
まだコロナ仕様を続けている店は、店員はみなマスク着用、席には仕切りのボードがある。隣の人を気にせず紫煙をくゆらせるのでかえって都合がいい。
お釣りを受け取ると「いつも安くて美味しい酒とあてを提供してくれてありがとう」と心の中で呟き店を後にする。
自宅に着くと。自室でスーツを脱ぎ、スエットに着替えリビングに入る。
今日は妻はパートでまだ帰ってきておらず、娘が一人スマホをいじっている。
「おかえり」の言葉などはもちろんない。いったい何が気に食わないのだろう。
風呂を出ると冷蔵庫からレギュラーサイズの第三のビールと一缶百円もしないプライベートブランドのレモン酎ハイを取り出し自室へと戻る。
時刻はまだ夜の七時にもなっていない。
テレビをBGM代わりにつけ、パソコンにワードを立ち上げる。
コロナ禍の非常事態宣言時、飲食店からのアルコール供給が完全にストップした時、さらに時間を持て余した。週末はもともと家呑みをしていたので大した影響はなかったが平日がひどかった。酒が呑めない悔しさから、たまに一つ手前の駅で降りてコンビニで缶ビールを買って歩きながら呑んで帰ったが大した時間の消化にはつながらなかった。
本来なら“二次会”となる家吞みが“一次会”となり、時間も酒の酔いもまだまだ余裕があり、しょうがなくというか自ずとと言うか小説を書く時間ができてしまった。
おかげで、非常事態宣言含めコロナ禍の間、小説を書くペースが上がり、コロナ禍前だったら、せいぜい、月に原稿用紙で二、三十枚だったのが倍以上に増えた。
と言っても、この三年間で書くペースが上がっただけで応募した新人賞では相変わらず一次選考すら通ることはなかった。
過去には投稿サイトで、五木寛之の再来だとかあなたの小説は間違いなく銭を取れますよ、と言ったコメントを頂いたこともあったが、下読みの方の心を震わせることはなかった。
僕の作品のほとんどにはSEXのシーンが登場する。間違っても今流行りのお涙頂戴的な作品を書く気はさらさらない。SEXというのは万国共通、すべての人間、いや、すべての生き物から切っては切れないものである。にもかかわらず、そのSEXについて書かれた小説がほぼない。おそらく、池田満寿夫没後以来現れていない。僭越ながら後継者の思いで筆を走らせるが日の目を見ることがない。
まあ、無理もないだろう、これだけジェンダーフリーだのセクシャルハラスメントだの、性を語ること自体がナンセンスな世の中になってしまったのだ。テレビで女性のおっぱいを見せることがダメになり、医薬品のコマーシャルで“生理”という言葉が堂々と発せられるようになったことにすごく違和感を感じる。隠さなければいけないものを取り違えていることに誰も気づいていない。まあ、若い男が脱毛エステに通う時代である、そんなことを求めること自体、それこそナンセンスなのだろう。
今、学生時代の卒業旅行で行ったタイを舞台にした物語をしたためている。もちろんSEXの描写がところどころに出てくる。
しかし、思えば小説を書き始めて二十年以上が経つ。サラリーマンのゴルフ歴と同じく、経験年数は長いがぎゅっと凝縮すると五年くらいだろう。初めのころは小学生の夏休みの作文よろしく、とても読めたものではなかった。それが二作、三作と書きすすめていくうちに自分で言うのもなんだが段々と自分の思っていることを文字にそして文章に換えていくことが容易になっていった。今なら、内容はさておき、原稿用紙百枚くらいの小説なら苦も無く書ける程度までになった。ゴルフで言うならコンスタントに90台は切れるようになったというところだろうか。
もともとガチの理系で数学や化学などが得意で国語や社会がやや苦手だった。作者が何を考えて書いたのかわかるわけがなかったし、ただ単に暗記する社会に興味がわかなかった。
おそらく、三文小説から脱せられないのも、ガチ文系の人からすると、何か足りないものが僕の小説にはあるのだろう。
第三のビールが空になったのでキッチンへ行く。
リビングで寝そべっている娘と一瞬目が合ったがお互いになかったことにした。
妻が作っていってくれたおかずイコール酒のあてをレンジに入れガラスコップに氷を入れる。レモン酎ハイがおそらくぬるくなっているだろうという酒に対するリスペクトからくる配慮だ。
自室に戻ると、小説の続きをしたためる。
いつもそうなのだが、呑んで帰ってきてすぐに風呂に入る。すると血行が良くなるのだろう“二次会”が始まりビールを一本空けるとアルコールが体中を回り、瞬く間に顔が真っ赤になる。外で呑んでいるときには絶対に起きない事象だった。
そして、レモン酎ハイが半分ほど空になったところで、思考能力が停止し書きかけの小説を保存する。
しかし、アルコールはまだ呑みたい。近くのコンビニへ買いに行きたかったが、面倒くさいし、なにせ顔がタコのように赤くなっている。いかにも酔っていますという姿を他人に晒すことをしたくなかった。
泣く泣く、僕の学歴と年齢からすると得ていないといけない年収の半分も稼ぎがない僕のためにパートに出てくれている妻にメールを打つ“お疲れのところすまんけど、安もんのレモン酎ハイ二本買ってきてくれへん”
すぐに返信が来る“はい”
すまぬっ、と思いながらユーチューブであの曲を聴く。
泣く泣くメールを打った後、本当に泣いてしまった。
⑥
目覚まし時計は5:32を表示していた。
脳みそはすべての生き物の司令塔であり、一番賢い器官であることは重々承知している。一度覚えたことは必ず隅っこに置いておいてくれ、再び触れることがあると必ず、あっ!と反応してくれる。尊敬している。
が、もう少し弾力性、カタカナで言うとフレキシブルに対応いただければ尚ありがたい。
月曜の朝であろうと水曜の朝であろうと土曜の朝であろうときっちりと五時半前後に起こしてくれる。感謝している。しかし、土曜や日曜の朝だけは八時いやせめて七時に起こしてくれないだろうか。とにかく時間を持て余してしまうのだ。
そんな愚痴と言うか希望をのたまいながら、起き上がると部屋から出て、廊下に置いてあるゴミ袋を手に取り玄関の扉を押す。
ゴミと空き缶を一階にあるゴミ庫に持って行くのが唯一の任されている家事だった。
ゴミ庫から戻り、エントランスのメールボックスから朝刊を取り部屋に戻ると、いつも寝る前に枕元に置いておく透明の水筒に残ったほうじ茶をすすり活字を目で追う。
しかし、いつもよりたくさんの記事をいつもよりゆっくりと読んでも十分もしないうちに新聞を閉じてしまう。
しょうがないので、歯を磨き顔を洗うと、スエットをジーンズとTシャツに着替え、近くのコンビニへと向かう。
店に入ると自分と同じ年くらいの眠れないおじさんが二人いた。また、ホストもどきの若い男とかなり太めの化粧の濃い若い女の子が手をつないでおにぎりを物色していた。女の子にとっては楽しい夜だったのだろう。
約四十年愛読しているスポーツ新聞と、週末の唯一の贅沢、第三のビールでもない発泡酒でもないマジのビールのロング缶とポケットサイズのウィスキー、そして、それを割る炭酸水を購入する。
家では滅多に日本酒は呑まなかった。なぜかあまりおいしく感じない、日本酒は雰囲気で呑む酒なのだろうか。
自宅マンションに着くと早速マジのビールを開ける。あては昨日の寄せ鍋の残りと、今日もパートに行ってくれている妻が昼ごはんとして買ってくれてあるコンビニのお惣菜。
時計を見ると競馬が始まるまでまだ三時間余りあった。この三時間がいつも苦痛なのだ。
ビールを喉に流し込み寄せ鍋の豆腐をつつきながらノートパソコンを開く。
ワードを立ち上げ、昨夜書いた小説をチェックする。
相変わらず、終わりのほうは何が書いてあるのかよくわからない。だいたいほぼ八割は酔って書いている酔っ払い小説だからしょうがないのだが、酔ってとろとろになった脳みそで必死に何かを書こうとしているのだけはなんとなくわかる。
どうやら深夜にバンコクの空港に到着した三人が治安の悪さをガイドブックでインプットしすぎ、恐る恐る三人で肩を寄せ合い古いホテルで夜を過ごし、翌朝、逃げるようにしてバスでパタヤに向かったということが解読できた。
三人とは、僕と、今でもそうだが友達が大学生の時にもほとんどいなかったなかで唯一、ゴルフ同好会で知り合い、未だに年賀状のやり取りをしているM君と、もう一人はM君の友人で偶然にもM君といい、今回の旅行で初めて顔を合わせた。二人のM君は同じゼミに入っていて就職先も大手都市銀行に決まっていて、僕は一年留年していたため、あと一年学業が残っており、正確には僕だけは卒業旅行ではなかった。
パタヤに着いた三人はまずホテルを探す。
往復の飛行機のチケットだけを押さえ、ホテルはすべて現地での飛び込みでとることにしていた。と、えらそうに言っても僕は何もしておらず、ホテルの交渉も二人のM君がやってくれた。こういうところが、きちんと四年で卒業する人間と五年も六年もかかって卒業する人間との違いなんだとつくづく思ったものだ。
ホテルを押さえた三人は楽しい時を過ごす。
毎朝ホテルの近くの食堂で一杯五十円のとてつもなく美味しいチャーハンとビールを食し、その後は向かいの島に渡ったり、夜はキックボクシングの観戦にも行った。もちろん日本人旅行客は有無も言わさずリングサイド席だ。ゴルフもやった。クラブを運ぶ女性とずっと傘をさしてついてくる女性を引き連れた正しく殿様ゴルフだった。
楽しかった思い出が次々と脳のスクリーンに映し出され、いつもは遅い筆が軽快にワードの画面を字で埋め尽くしていき「ほんまにこのまま残ってタクシーの運ちゃんでもやろかな」と主人公に吐かせてしまう始末だった。
ポケットサイズのウィスキーが半分ほど空いたとき、少し酔いを感じた。酒を呑んでいて一番気持ちのいい瞬間だ。
小説の中の三人はパタヤでの暮らしを満喫し、時効とはいえ、少しやばいことに手を付け始めていた。
枕の横に置いてある小さなデジタル時計はやっと九時を回ったことを示していた。
畳んでいたスポーツ新聞を拡げる。
「おっ!」と思わず声が出る。
出馬表に贔屓の騎手の名前を見つけたのだ。
彼は齢四十前後、デビュー後二、三年は重賞にも勝利しG1ジョッキーにもあと一歩のところまで迫ったが、願いかなわず今日を迎えている。
今はすっかり騎乗機会が減り、年間約百日開催がある中で一日一鞍あるかないかの状況だった。
なぜ彼を贔屓にしているかというと、穴党の僕は本命馬など滅多に買わなかった。
明らかに強いと思われる馬を買って少ない配当をを手にしてもぜんぜん嬉しくない。
えっ!こんな馬が・・と言うのを見抜いて高額配当を手にして皆から羨望のまなざしでみられる・・この快感がたまらないのだ。
そんな僕の欲求を彼はたまに満たしてくれる。
決して腕の悪い騎手ではないことは間違いない。ほぼ、人気より上の着順でゴールしている。結局、馬に恵まれないのだ。エージェント制の導入もその原因だろう。実際にそれが原因で騎手を引退したG1ジョッキーだっている。
彼が今日騎乗するのはオープニングレースの第一レースだ。
単勝のオッズを見る。
なんともう少しで三桁に届くものだった。
記者の予想マークも一つもついていない。
馬柱を見ると、ここ近走はずっと二桁着順が続いている。
どう転んでも馬券圏内には入ってこないだろう。
しかし、僕は買う。
競馬とはそういうものだ。
競馬の“け”の字も知らないタレント達があの気持ちの悪いJRAのCMで叫んでいる「ロマンっ」ではなく「浪漫っ」なのである。
一番人気は今年デビューしたばかりの女性騎手だ。下手すれば彼の娘くらいの齢である。
女性活躍社会は競馬会にも浸透してきて彼女は今年すでに複数回勝利を挙げている。
それでも僕は彼を軸にした馬券を購入し、お手製のハイボールを喉に流す。
いよいよレースが始まった。
彼は出遅れる。あっという間に先頭を走る馬と十馬身以上の差ができる。千二百メートルと言う短距離のレースであることを考えると致命的なものだった。
勝負の第四コーナーではさらに彼の馬は後退し、結局シンガリでゴールを迎えた。
勝ったのは一番人気の女性が騎乗した馬だった。
彼はどんな思いで彼女を追いかけ、ゴール後何を思ったのだろうか。
グラスの中の氷が溶けてなくなったので、立ち上がりキッチンへと向かう。
⑦
番号を呼ばれたので受付へ向かう。
「問診表と検便はお持ちいただけたでしょうか」とマスク姿の職員に聞かれる。
「はい」と言って、案内書が入っていた封筒を差し出す。
「昨日の夜の十時からはお水と白湯以外は取られていないでしょうか」
「はい、大丈夫です」
「アルコールも昨日は摂られていないでしょうか」
「はい」
嘘である。いつも通りたらふく吞んだ。
よく、健康診断だからと急に一週間酒を止めたりする人間がいるがそれは違うと思う。
日頃の自分の状態を調べてもらうのが健康診断だと思っている。だから、いつも通り、たらふく酒を呑む、それでいいと思っている。
「検査項目の確認をお願いします」
「あっ、バリウムはいいですわ。来週ドッグ受けますんで」
これまた嘘である。
四十歳の時、市から無料で胃の検診を受けられる案内があり、妻から「あんたそんだけお酒呑んでんねんから一回受けといたら」と言われ気軽に申し込んだ。
しかし、それが大失敗だった。
初めにバリウムを飲まされ、たまらないくらい苦しい思いをした。数日後、再検査のため、今度は胃カメラを飲むよう案内が来た。なぜ再検査になったのかの説明が一切なかった。もともと口を開けることが苦手で歯医者に行ってもいつもえづいていたので、胃カメラなどもってのほかで受ける気などさらさらなかった。
しかし妻に「なんかあったら、まだあの子も小さいねんから」と言われた。あの子、とは娘のことで、まだ小学校高学年で、今とは違って“お父ちゃん子”真っ盛りの時だった。
「そうやなぁ」と答えた僕は渋々診察台に横になった。
受けるまでの間、ネットなどで胃カメラの情報を色々と集めた。昔、祖母が胃がんになり、その時飲んだ胃カメラは本当にカメラを少し小さくしたくらいの大きさがあり、かなり苦しんだと聞いたことがあったが、年々技術が進歩し、今はかなり小さくなり、胃に入っていくチューブもかなり細くなっていた。これなら僕でも飲めそうかと思ったが「お待たせしました」と言ってやって来た医師が手にしたチューブを見て目が点になった。太い・・無理だ・・直径が一センチとまではいかないが八ミリか九ミリはある。無理だ・・それはいくらなんでも・・・。
「オェーッ!」
涙でにじんだ瞳が笑っている看護婦を捉ええる。
「力まんと、リラックスしてください、はい、鼻で呼吸して・・」
「オェーッ!」
結局四回目のトライで何とかチューブは喉を通過し胃に入っていった。もちろんモニターのカメラなど見る余裕はない。
「うん、大丈夫やねぇ、次、十二指腸に入りますから・・」
「オェーッ!」
「はいはい、もういいです、お疲れさまでした」
この経験を糧に、僕は今後の人生において、どんなことがあっても胃カメラは飲まない、バリウムを含む胃の検診は絶対に受けないと誓ったのであった。
一時間もかからないうちに健康診断は終わった。
喫煙室で一服付け、地下につながるエスカレーターに体を託したとき、数段下に、この間、吞みの誘いを断られた隣の部署の女性社員の姿があった。
「健康診断?」
「あっ、そうなんです」
「自分ら若いんやから、どこも悪いとこなんかないやろ」
「ええ、たぶん・・」と言って女性社員は少し顔を赤くした。
天井からぶら下がっているアナログ時計は正午まで三十分余り時間があることを示していた。
一瞬迷ったが言葉を吐く。
「昼ごはん、食べて帰れへん? これは吞みの誘いやないからセクハラちゃうよな?」
「はい。大丈夫です」と言って女性社員は口に手を当てて笑う。
「そうでっか・・なんか食べたいもんとかある?」
「いえ、特にありません」
以前に一度だけ行ったことのある洋食屋風居酒屋に入る。確か、オムライスとかスパゲッティが食べれたはずだ。
日替わりランチのご飯小盛りを頼むと、女性社員はオムライスを注文した。ケチャップとデミグラスソースを選べたが彼女はデミグラスソースを選択した。
「いつもはお弁当とかコンビニ?」
「はい」
「今日は外で食べても大丈夫なん?」
「健康診断で朝ごはんが食べれなかったので、久しぶりにお昼からガッツリ食べようともともと思っていたんで」
「そうなんや、そしたらオムライスは大盛にしたらよかったのに、誰にも言わへんねんから、あっ、これセクハラやな」
「いえ、大丈夫です、ぎりぎりセーフです」
「あっそう、ありがとう」
日替わりランチが先にやって来た。
簡単に言うとミックスフライセットだった。
「ごはん、それだけで足りますか?」と女性社員が聞く。
「これでも多いくらい。酒はなんぼでも吞めんねんけど固形物が年々入らなくなってきて」
彼女のオムライスがやってきた。
結構な大きさだ。
「わっ、大きい」
「それくらい楽勝やろ、若いんやから」
「はい、全く問題ありません。美味しそう、いただきますっ」
彼女は本当に美味しそうにオムライスを頬張る。
僕は初め美味しく感じていたフライが少し重く感じるようになってきたころ彼女に聞く。
「お父さんと話したりする?」
「しますよ。さすがに買い物に行ったりはしなくなりましたけど」
「そうなんや・・お父さんてどう?というかどう思ってる?」
「何か可愛いですよ。まだガラ携使っていて、ネット社会に対応できていないところを見るとなんだか可愛く見えて」
「そうなんや」
歳を聞くとほぼ同い年だった。
「娘さんとあまり話さないって仰ってましたよね」
「そうやねん、ここ七、八年ろくに口きいてないねん」
「そのうち、きいてくれるようになりますよ」
僕の日替わりランチと彼女のオムライスはほぼ同時にすべてがそれぞれの胃袋に収まった。
ランチにはすべてのメニューに飲み物がついていて僕はコーヒー、彼女はミルクティーを選んだ。
そして、コーヒーに入れるフレッシュのふたを開けているとき「この店いいでしょ」と彼女がスマホの画面を僕にかざした。
店内の様子や食べ物の写真を何枚か見せてくれた。
「ええ感じやん、なんかすごく雰囲気があって」
「この間、帰りにお会いしたときに、学生時代の友人と行ったんです」
単に断られたんじゃなかったんだ。
「今度一緒に行きませんか?」
「行こ行こ」
「来週でしたらいつご都合がいいですか?」
「そんなん毎日暇よ。できたら週末は家でたらふく酒呑んでるから月曜日だけ避けていただいたら」
「じゃあ、木曜日にしましょう、金曜日は結構混むみたいなんで、あっ、もう今予約取りますね」
彼女はスマホの画面に器用に指を滑らせると「あっ、空いてます、二人で予約入れておきますね」と言って笑顔を向けた。
「せやけど、これはセクハラになれへんのんかなぁ」と僕はコーヒーを啜りながら彼女に聞く。
「大丈夫です、お誘いしたのは私のほうですから」
「そう、それならええんやけど」
「気にされすぎですよ・・木曜日すごく楽しみにしています」と彼女はまだあどけなさの残る笑顔を向けてくれた。
その後、さっきまで目の前に僕がいたことを忘れたかのように、彼女はテーブルの上に置いたスマホを一心不乱に見つめ時折画面に指を滑らせた。
コーヒーを啜るとさっきまで苦かったのが気のせいか甘く感じ、胸のポケットから煙草を取り出し「すいません、灰皿もらえますか」と店主に手を上げた。
すると店主は申し訳なさそうに「すいません、先週から禁煙になったんですわ」と言って、僕は心の中で、なんじゃそりゃ、と呟く。
⑧
棚から一冊の本を手に取りぺージをめくる。
あった。
手を止め、代わりに目を走らせるが予想通りの結果。僕の名前はそこにはなかった。
超メジャーの新人賞、芥川賞にも直結するこの新人賞に確か四度目の応募だった。
しかし、叩いた扉は開かなかった。
ある小説投稿サイトにシュールというペンネームでSEXの場面がふんだんに散りばめられた作品を投稿したところ、ある読者のかたが「これはれっきとした純文学である。今書店で平積みされている書籍に全く引けを取らないどころか優っている。言い過ぎかもしれないが五木寛之の再来と考える」とコメントをくださった。
もちろん僕はピノキオになる。鼻は高く伸びていった。
少しだけ手を加え満を持して応募した。
一次選考くらいは通るだろうと高をくくっていたが現実は違った。
出版社が求める何かとずれているのであろう。それが何かは未だにわからない。
書店を出ると、たまに行く、座って吞めて安くて美味しい店の暖簾をくぐる。
いつも通り愛想の悪いにいちゃんに生と小鉢二品を頼む。
最近、気のせいかこういった店が増えてきている。すごく安く酒と料理を提供してくれて店員がやたらと愛想が悪い。これだけ安く呑ましてやってるんだ、感謝しろよっ、と言ったところだろうか。それかネット社会だコロナ禍だといって人と触れる機会が少なくなったことによる弊害だろうか。
生が空になり熱燗の二合を頼む。いつも通りのルーティンだ。
こういって賞に落選した日は活字に触れないようにしている。能天気な僕とはいえ、多少はショックなのである。少しは小説とは距離を置きたくなる。
しかし、翌日になると台風一過のようにさわやかな風が心の中を吹き渡っていた。
俺の作品が悪いんじゃない、あいつらが俺の作品の良さを嗅ぎ分けられないんだと。
これまでにも、もう書くことを辞めようと思ったことが何度もあった。しかし、辞めたところでなんなのだ。誰かの人生に影響でも与えるのか。答えはNO。だから、辞めずに続けてきた。
ルーティン通り、熱燗の二合を空けると店を出る。
地下鉄のホームとつながっているので、お釣りを財布に入れ終えると、すぐにピタパを自動改札機にかざす。
まだ時間が早いせいか、同じような赤ら顔の乗客など一人もいなかった。コロナが猛威を振るっていたときは車内ではマスクをしていたのであまりわからなかったが、今はつけていないので赤ら顔が丸わかりだ。
なんだこのおっさん、こんな早い時間から呑みやがって、と周りの視線が物語っている。
酒もタバコもバクチもやらない、家族をすごく大切にする、僕より若い人たちは大概がそうだ。
焼き海苔は確かに値段が張るが旨い、だけど、安物の味付海苔だって旨いのだ。手がべたつくのがたまにきづだけど。
自宅マンションに着くと、シャワーで汗を流し、第三のビールを手にして自室にこもる。
パソコンを開き、暫くユーチューブを見ていたが、あまり面白いのがなかったので、書きかけの小説を画面に拡げる。
二人のM君と僕はパタヤでの生活を満喫していた。
M君のうちの一人は地元の女の子に狂い、もう一人のM君はグルメで所謂食べ歩きに没頭していた。僕はと言えば、偶然出会った日本人の女性とドラッグにはまり、ジャンキー一歩手前まで来ていた。
そんな状況だったので、三人が会うのは朝のチャーハンだけで、それらを食べ終えると、それぞれのフィールドへと散っていった。人生と同じだ。
現実的にこの卒業旅行を最後に二人のM君とは一度も会ったことがなく、一人のM君と唯一年賀状のやり取りがあるだけだった。
さあ、この後、この三人をどう料理しようかと思ったところで突然眠気が襲ってきたので、そっとパソコンを閉じた。
⑨
来ない、僕が買った軸馬が全く来ない。
来たと思ったらヒモをはずしてしまう。
もう勝てる気が全くしないので自宅マンションを出る。
週末のご褒美のマジのビールとレモン酎ハイを呑んで少し赤くなった顔で地下鉄に乗る。
目的の駅で降りると地上に出て商店街を歩く。
無趣味の僕には行くところといえばパチンコ屋しかなかった。
入店すると土曜日の午後だというのに閑古鳥が鳴いていた。
1円パチンコという、通常1玉4円のところ1円で購入して遊技できるもので、通常より同じ金額で4倍の玉が購入できる代わり、もちろん景品交換は通常の四分の一になる。所謂ローリスク&ローリターン、現状の日本を如実に表しているようなものだが、そのコーナーに年寄りがたむろしているだけだった。
昔のような、ギラギラとした闘いの場ではなくなっていた。
平成不況が長かったのも原因の一つだが、やはり、ローリターンというのがギャンブラーが遠ざかっていった一番の原因だと思う。
ハイリスクでいいんだ、ギャンブラーは、ほとんどの者が負けて灰になっていくんだ、そんなことはみんな承知の上だ、依存症と言われる所以だ、
それを、規制、規制、射幸心をあおるからと・・・、それを言うなら僕が競馬を始めて少ししてから“馬連”が導入された、そして、さらに少しして“三連複”が導入され、暫くして千両役者の“3連単”が導入された。思いっきりあおっている。競艇もしかり、デビューしたときは二連単しかなかった。たったの6艇。確率論からして万舟、競馬でいう万馬券など年に数回しか出なかった。出た時にはスポーツ新聞を賑わせるほどだった。それが、3連単が導入された、思いっきりあおっている、確かに寺銭が国に入るのと、噂だがどこか近いどうしようもない国に流れているというのはあるのだろうが、あまりにも対処が違いすぎる。
そして、最後の決め手になったのが、コロナも確かにそうだが、僕は“店内禁煙”だと思っている。
缶コーヒーをなめ、紫煙をくゆらせながら玉を打つ、これが至極のくつろぎなのだ。玉が出ていればもちろんだが、出ていなくても、悟りの境地とは言い過ぎかもしれないが、無になれる。無になるからいくらでも金を突っ込んでしまうと言ってしまえばそれまでだが、とにかくそれが良かったのだ。
それを、阿保の役所の人間というかそこら中にはびこっている“健康バカ”がつまらぬ選択をした。
おそらく、早くて十年、遅くとも二十年以内にはパチンコという文化はこの国から姿を消すだろう。
缶コーヒーを買い、一円パチンコのコーナーに腰を下ろす。
病院の待ち合わせ室のように年寄りが我が物顔で占領している。玉も打たず、飴ちゃんだけを配っている婆さんもいる。超高齢化社会の縮図と言ってもいいだろう。好きな酒をたらふく呑み、タバコをふかし、健康を害して早く死んでいったほうが国のためになると思ってしまう。多くの国会議員も本当は言いたいのだが立場上言えないのであろう。
一時間ほど打ち、わずかな玉を景品と交換し、店内にある喫煙ブースに入る。
紫煙をくゆらし何気なく店内を見渡すと台で電子タバコをくわえている若者がいた。知らなかったが、電子タバコは台ですえるのだ。同じタバコでどうして紙はだめで電子はいいのだ。煙が原因だろうか、それとも匂いか。電子タバコも嫌な匂いがするのもあると思うのだがどこで線引きをしているのだろうか。
喫煙ブースを出ると店の外にある景品交換所で換金(本当はだめ、公安との暗黙の了解である)する。千二百円投資して二千円の回収、都合八百円の勝利となった。
まだ時間はたっぷりあるのでたまに行く立ち呑み屋に入り瓶ビールと奴を注文する。
秒速で出てきた瓶ビールを傷だらけのコップに注ぎ喉に流し思う。
もし、無いではあろうが、酒と小説とバクチのうちどれか一つを辞めるとなった場合、どれを選択するだろう。
酒は僕にとって唯一無二の“友達”だ。
小説は大げさだが“心の拠り所”と思っている。
バクチはと言えば、かなり痛い目にはあったが、なんと言うか、僕の人生の中では一番“色彩”があった。僕の人生というキャンバスに必ず何かしらの色を落としていった。逢瀬を重ねるオンナのようだった。
じゃあ、どれを辞めるんだと問い詰められた時、おそらく僕はバクチを選択するだろう。オンナと別れることを選択するだろう。
⑩
書きかけの小説が佳境を迎えていた。
再来週の月曜日が応募の締め切りのため、この週末で書き終え、来週は校正および校閲を行わないといけない。
だから、いつもの土曜日とは違い、朝からのアルコールは控えていた。
さらに、競馬の開催まであと二時間を切っており気持ちの焦りは半端ないものだった。
僕を含めた三人をどうしようかと熟考する。
三人をみんな日本に帰らせても面白くない。
誰かを置いて帰ろうか。
そうなると僕しかいない。二人のM君は僕と違って、ある線は超えない人たちだ。日本に帰って都市銀行で社畜のように働き、日本の経済を支えてもらおう。
パタヤに残った僕は暫く女と相変わらず自堕落な生活を送る。現金がなくると、日本へ戻る航空券を売って暫くしのぐことができた。
そんなある日、急に女が日本に戻るという。
理由は父親が病に倒れ、一人娘の自分が介護をしないといけないからと。
最期の夜、酒を呑み、クスリを決め、女を抱いた僕は残っていた現金を餞別の代わりに女にすべて渡す。これからどうするのかとオンナは心配するが、タクシーの運ちゃんにでもなってやっていくよと答える。
翌朝、目覚めると彼女はすでにおらず、テーブルの上に“ビール代ね”と書置きのメモの横に日本円で約一万円分のバーツ紙幣が置かれていた。
その紙幣を手に僕は海岸までよろよろと歩いて行き、露店でビールを買い、一口喉に流したところでパタヤビーチの砂浜の上でしりもちをついて投了とした。
第一レースまで五分を切っていた。慌てて画面のワードをJRAのネット投票の画面に切り替える。スポーツ新聞を見て、適当に投票して、キッチンから週末の贅沢の冷えたマジのビールを取ってきて、一人乾杯をする。
一次選考も通らない駄作ばかりだったが、毎回投了したときは何とも言えない達成感を覚えた。
そして、一口目のビールがすぐになくなり二杯目をグラスに注いだ時、ドアがノックされる。
扉の隙間から妻の顔が見えた。
「あんた、明日なんか用事ある?」と聞く。
「いや、呑んで馬やるだけやけど」
「あの子、あって欲しい人おんねんて」
思わずビールを吐きだしそうになる。
「マジかっ」
「おんなじ会社の人やて」
「そうなんか、わ、わかった、どうすんねん、どっかご飯でも食べに行くんか?」
「あの子、家がええって言うてるからなんかお寿司でもとるわ」
「酒は吞むんか? 彼は?」
「ほとんど吞まへんて」
「やっぱりそうやわなぁ、わかった、お昼やんなん?」
「そう、明日は朝から呑んだらあかんで」
「わかってるよ、そこまでふしだらな父親やないよ」
翌日の午後、彼はやって来た。
手土産に四合瓶の日本酒を持ってきてくれた。さすが最近の若者、事前リサーチはちゃんと済ませていたようだ。
テーブルの上に置かれた寿司桶には、これまで見たことがないトロやウニやイクラが鎮座していた。
「さっ、遠慮せんと、召し上がってくださいね」と声を掛けるのと同時に、今朝、近くのリカーショップまで買いに行ってきた、最近若者に人気だと聞くビールの大瓶を差し出す。
「あっ、すいません」と彼は会釈して、これも妻が昨日慌てて買ってきた少し高級感が漂うグラスを差し出した。
「お酒は強いんですか?」と知っていながら聞く。
「いえ、あまり・・」
「そうなんですか、じゃあ、お寿司ようさん召し上がってくださいね、お酒は私が責任もって担当しますんで」と言ってビールを注ぐ。
この僕の言葉に彼は少し笑った。
久しぶりにリビングのテーブルで向かう娘はあいかわらずの無表情。
「お父さんもどうぞ・・」と彼が瓶ビールを差し出す。
「あっ、すいません」
瓶を持つ彼の腕が少し震えているように見えた。
「もう、この人のことはほっといて、たくさん召し上がってくださいね」と妻が言葉を挟む。
彼は「ありがとうございます」と言って、グラスのコップを少しだけなめると寿司桶に箸を伸ばす。
聞くと彼は、関西の私立大学を出て今の会社に勤め、娘より歳は三つ上、大学生の妹さんがいて、趣味はスポーツ観戦、特にサッカーが好きだという。
瓶ビールが空になると彼からもらった四合瓶を開ける。
「日本酒は呑みませんよね?」とすでに真っ赤な顔になっている彼に聞く。
「はい」
「美味しいですよ、ビールなんかより間違いなく美味しいですから」
「そうなんですか。毎晩呑まれてるんですか」
「そうやねぇ、この三十年くらいで呑まへんかった日は十日もないですねぇ」
「そうなんですか?すごいですよね」
娘は“アホかっ”という表情で寿司をつまんでいる。
「お父さんは呑まれるんですか?」と聞く、
「いえ、父も呑まないんです」
「そうなんですか」
お父さんは某有名化学メーカーの技術屋さんらしい。
熱燗ができたことを電子レンジが知らせる。
取りに行こうとしたが、珍しく妻が席を立ち、お猪口と一緒に持ってきてくれた。
「いつも熱燗で呑まれるんですか?」と彼が聞く。
「そうやねぇ、冷って常温のことね、それも良くて、一番美味しい吞み方やと思うんですけど、なんかねぇ、心に沁みすぎるっていうか、その点、熱燗は沁みた思うたらパッと心って言うか体から離れていくんですわ。オンナと一緒。あとくされのないのがええんですわ」
妻が目で「こらっ」と言う。
娘に限っては視線に殺意すら感じる。
「ちょっと吞んでみます?」とお猪口を差し出す。
「いえ、ビールだけでも結構きてますんで」
「そうですか、良かったらこれから鍛えてあげますよ、週末はずっと部屋で呑んでるだけですから是非声かけてください」
「ありがとうございます。お父さんはお酒以外に何か趣味みたいなものとかはおありですか?」
「趣味ですか・・まあ、お馬ちゃんを少しするくらいで」
「競馬ですか?」
「ええ、わずかな小遣いで遊ぶ程度ですけどね、されたことあります?」
「いえ、ただ、一度、競馬場に行ってみたいとは思っていたんです」
「そうなんですか。良かったら案内させてもらいますよ。こいつが小さい時もよう二人で行ったんですよ」
「そうなんですか」と言った彼の隣の娘は我関せずでイクラをぱくついている。
「あとはねぇ、小説書いてるんですよ」
「えっ、マジですかっ」
「三文小説ですけどね、ちびちび酒呑みながら書いてるんですよ」
「うわーっ、お父さん、やっぱりすごいですよねぇ、さすがに・・」
彼は僕が卒業した旧帝大の名前を口に出した。
「昔は賢かったんですよ。小学生の時なんか神童て呼ばれて。テストもほとんど百点でしたから。それが今や神童いうても震えるほうの“振動”ですわ。酒切れてきたらぶるぶる手が震えて・・」
「いやーっ、お父さん、おもしろいですっ、最高ですっ、色々聞いていたんですけど、実際にお会いして僕の想像以上の人ですっ」
「やっぱりわかりますか?人間の教養って
出てしまうんですよね。いくら“酒”という防波堤をもってしても、それを超えちゃうんですよね、教養ってのはっ」
妻が太ももを強くつねる。
「美味しいお酒有難うございました。ゆっくりしていってください。私、ちょっと用事があるんでこれで失礼します」
彼に頭を垂れるとリビングから離れ自室に入る。
今日は贔屓の騎手が何年振りかに重賞レースに騎乗する。まさか、娘のフィアンセが来ているのに「こらっ差せーっ、逃げろ、ぼけあほかすっ」と部屋から声が漏れるのはまずいと思いWINSに行くことにしていた。
必需品を身に着け部屋を出ると狭い廊下に妻が立っていた。
「これ」と一枚の葉書を手渡された。
学生時代の友人で唯一未だに年賀状をくれている、あの小説にも登場願ったM君からのものだった。
三十年以上勤めあげた都市銀行を退職し新たに再就職をしたとのことだった。肩書を見ると“顧問”となっていた。おそらく関連会社へ天下ったのだろう。
「あいつはちゃんと生きとんのう、すばらしいわ」
「えらい違いやなぁ」と妻が漏らす。
「ほんま、尊敬するわ」
「せやけど、ああいう生き方には、あんた、興味ないんやろ」
「そうやねぇ」と言って、妻に通販で買ってもらった安物のスニーカーに足を通す。
「あんまり吞みすぎたらあかんで」
「ラジャー」
自宅マンションを出ると歌う。
“酒と小説とバクチ
アホな僕に残った
三つの大事な宝物
たまにはビールを買ってね
発泡酒じゃないやつ
ロング缶 三百円“
了
酒と小説とバクチ @miura
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