ep. 46 黒い眼(2)
ボウッ
鼓膜を震わせる爆破音。
巨大な炎の塊が、シユウと紅鶴を飲み込んだ。
「一師!! 紅鶴さん!!」
鹿花は、狗尾草の藪から飛び出した。
戦いが不得手なため、足手まといにならないようにと身を隠していたのだ。
男が自爆した。
戦闘経験が浅い鹿花にも、状況はただちに理解できた。
「す、す、すす、水神――長蛇!」
足をもつれさせながら何とか踏ん張りをきかせ、遠距離から水術を放つ。
無数の火球が寄り集まった入道雲のような炎へ、水蛇が飛び込んだ――直後、炎が渦を巻き、空を塞ぐ枝葉を突き破る火柱と化す。
「うそぉおおおおお!!」
鹿花は絶叫しながらへたりこんだ。
明らかに状況が悪化している。二人の命どころか山火事にすらなりかねない。乾燥した冬枯れの森で、山火事は致命的だ。
「ど、ど、どどどどどどどうしよ」
火柱の巨大化に伴って、鹿花の動揺も膨張する。
「な、な、何、何か、何か、何か」
背負った道具袋の中身を足元へぶちまけた。難民村で役立ちそうだからと持参した自作の薬品や日用品の数々が転がり落ちる。
傷薬、解毒薬、下痢止め、栄養剤、風邪薬、健康茶、洗剤、石鹸――
「あ、こ、これなら……! えい!!!」
透明な液体で満たされている小瓶を、炎柱に向かって叩きつけるように投げ入れた。
僅かにだが、炎の勢いが和らぐ。
「地神、塊土(かいど)!」
すぐさま術を発動させた。
殺傷能力が低い、初歩にあたる地術だ。
炎柱の両側から、土嚢を積み上げたような土柱がボコボコと音を立てて盛り上がる。炎柱を両側から挟んで土の小山に閉じ込めた。
土塊は炎の熱でみるみる水分を失い、干からびていく。酸素が失われて火が消失すると共に、土塊の表面が剥がれ落ちて最後は崩れた砂山だけが残った。
「しょ……消火でき……た、けど! い、一師! 紅鶴さん!」
燃え落ちた砂山に向かって、這いずるように駆け出そうとした鹿花の背後から、
「こっちだ」
シユウの声。
「へぇあ!?」
振り向くとそこに、シユウと紅鶴が並んで立っていた。
両者とも、露出した肌が男の返り血で汚れている。
「ぁぃや”ーーー!??」
掠れた絶叫が谷風と共に掻き消えた。
「学校の消火訓練で習ったと思うけど、激しい炎に対して安易に水を投入したら危ないよ」
シユウは苦笑しながら、外套の中から手ぬぐいを引っ張り出して顔周辺を拭う。
己の上半身が血で汚れていると気が付いたのだ。
「お、おおおおお仰るとお……」
完全に腰を抜かして尻もちをついた姿勢のまま、鹿花は壊れたからくり人形のように口を開閉させた。
「最後に投入したのは中和剤かな。用意が良いね」
「あり、ありありあり……お、お二人とも、ご、ごぶ、ぶ、ご無事、で……」
「……おどかして悪かった」
さすがに哀れと感じたか、シユウの声に負い目を覚えた色が浮かぶ。
紅鶴の説明によれば、男が自爆紐を引く直前、シユウが紅鶴に体当たりして男の身体から飛びずさり、両者とも爆発の直撃を免れた。
鹿花から二人の姿は炎柱に隠れ、更に必死で消火しようと荷物をぶちまけた足元に意識が向いていたために、二人が手前へ移動してくる様子にも気付かずにいたという訳だ。
「君がどう消火に対応するのかと思って、つい」
つい、二人揃って興味本位が勝り、声をかけずに後輩が四苦八苦する様子を観察していた、という訳だ。
散らばる薬瓶や薬包をシユウが一つずつ拾い上げていく。その隣で紅鶴も中腰になって紙や地図類を拾い集めていた。
大人二人に拾い物をさせてしまっている。
混乱で気持ちも思考もまとまらず、鹿花はただ動けずに目を白黒させるしかない。
「洗剤、石鹸、健康茶……色々と持ってきたんだな。だから荷物が多かったのか」
拾い上げた品々を、シユウが鹿花の道具袋へ一つずつ入れていく。
まるで買い物籠を引っ繰り返したかのような品揃えだ。
「も、もうもう、申し訳ありません、よ、余計な物……ばかりで」
文字通りに火が出そうに顔を赤くさせて、鹿花は俯いた。
混乱が治まり頭が徐々に冷静さを取り戻し始めると、今度は恥ずかしさのあまり消えたくなった。
感情の乱高下に忙しい鹿花とは対照的に、大人二人は嗤う事もなく散らばった品や道具を全て鹿花の道具袋へ入れ終える。
腰を抜かしている鹿花が立ち上がるのを、静かに待っていた。
「任務依頼書を熟読して、避難民の事を色々と考えてきてくれてたという事だろう」
手近にある枯れ木に掴まりながらようやく立ち上がった鹿花へ、シユウが拾い集めた物を詰めた道具袋を差し出す。
「確かに重たいな」と柔らかく笑って。
「私も鹿花佳師くらいの時は、師匠たちに比べてあれこれと持ち物が多かった事を思い出した。荷物なんて少しずつ減らしていければ良い。君の準備が良かったおかげで、この抜け道に気が付く事もできた。助かったよ」
「い、一師……」
今回の任務に同行できる権利を得られて、本当に良かった。
改めて、鹿花は実感した。
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