ep. 46 黒い眼(3)

「申し訳ありません、一師」

 青が振り向くと、目の前に深々と垂れる角頭巾があった。

 彼には珍しく、頭巾や衣服のあちこちに返り血や焦げ跡が目立つ。それは青も同様だ。


「あの男に自爆を許してしまう失態――完全に、小生の油断が招いたもの」

 体の側面にぴたりとつけた両拳が、固く握られている。


「わ、私も、私も!」

 すかさず鹿花が身を乗り出した。


「転んで、紅鶴さんのお手を煩わせて、戦いのお役に立てないばかりか、ボヤ騒ぎを起こす始末で……!」

「鹿花佳師。そんな事は織り込み済みで小生から謝罪をしているのだ」

「はっ……え、え??」

「責任の所在が散らばっている時は、年長者が代表して頭を下げれば良い。理解ある上官であれば、それも汲み取って場を収めて下さる」

「な、なるほど、私、場を読めていなかったのですね……」


 父と娘、もしくは祖父と孫にも見える奇妙な同期二人組のやりとりが、寒々しい冬枯れの森で、場違いに微笑ましい。


「私も助けてもらった。気に病まないで欲しい」

 そこへ青が、期待されている「理解ある上官」の模範解答を述べて、一件落着だ。


「それより……何を拾った?」

 もう少し二人のやりとりを眺めていたい気持ちを飲み込み、青は紅鶴の右手を覗く仕草で問いかけた。

 胡桃ほどの大きさの玉が握りこまれている。男が自爆する直前に、紅鶴が拾い上げていたものだ。


「これの、証拠隠滅を図ったと思われます」

 差し出されて、開かれた手の平の上には黒い卵が一つ。

 蜥蜴の鱗で覆われているかのような細かい凹凸――陽乃の背中から摘出したものと、酷似している。

 慎重に指先で転がして裏返してみると、正円の中に五方向へ放射する日足の紋が刻まれていた。


「陽乃殿から摘出されたものと、同一の物に見えますな」

「もしくは……借りるぞ」

「は、はいっ!」

 思い立つや否や、青は鹿花の手元から地図を引き抜いた。片側を持たせて大きく拡げる。


 地図の下半分、南側には滴りの森の以南から南西にかけて、炬之国の葦火郡までが描かれていた。青の指先が葦火からぐるりと山を迂回させて動く。


「葦火から難民村へ向かうには、遠回りでも街道に沿うのが最も安全で確実な経路である、が」


 青の指が再び葦火に戻り、今度は直線を描いて北上する。その先に、難民村の蕨道が突き当たった。


「直線距離だと、この蕨道を通れば最短距離となる。あの狐もここを通り抜けようとしていた。これは仮説だが」


 黒い二つの呪具は対になっており、男は狐が飲み込んだ呪具の在処へ向かおうとしていて、狐は男が持つ呪具へ導かれていた――


 青の立てた仮説に、紅鶴も鹿花も反論しなかった。


「という事は、一師が解呪に成功していなければ、さっきの男は陽乃さんを探して狙っていたという事になりますか……?」


 鹿花の推論にも、反論は出なかった。



 青たちが急ぎ村へ戻ると、トウジュが出立準備をしていた。


 自身の手当を終え、落ち着きを取り戻した陽乃の様子を見届け、任務地である葦火郡の町へ戻る事としたのだ。


 報告・連絡・相談・謝罪は早ければ早い方が良いのは、世の常である。


「いい? 絶対に! ちゃんと報告しなさいよ!」

 隊長へ仔細報告するよう、トウジュは蓮華からキツく説教を喰らっていた。


 ただただ平身低頭で頷くしかないトウジュの様子を、青は二歩ほど下がった位置から見守る。

 口出しや擁護はしない。

 隠蔽すれば任務違反のみならず、国境を越えている事もあって下手な言い逃れをすれば逃亡罪にあたる可能性もあるのだから。


「陽乃殿は籍をはく奪され、現在は無籍である事が不幸中の幸いであろう」

 変わらず紅鶴の声は平静を保っていた。


「すなわち難民で保護対象であるという判断の仕方も十分にありえる。とにかく今は、己のためにも、陽乃殿のためにも、誠心誠意を尽くす事が賢明と言えよう」


 との紅鶴の忠告に、蓮華が深く頷いて同意を示す。

 青も同意見だ。


 トウジュは唇を引き結び、神妙に頷いた。

 彼にも、紅鶴の威風凛然たる気が伝わっているようだ。

 そこへ、


「あの、榊様」


 陽乃が、急ごしらえの天蓋から身を乗り出して立ち上がろうというところだった。

 傍らに付き添う出流が手を貸そうとする。


「もし、葦火で檀弓に、私の侍女にお遭いになる事がございましたら……私の子どもたちがどうしているのか、お尋ねいただけませんでしょうか」

「マユミ? ああ、確か黒髪の」

「はい。檀弓が無事であるかどうかも気がかりで……檀弓は幼い頃からずっと一緒で……処刑が決まってからも親身にお世話をしてくれたのです……」


 子どもたち、そして忠義の侍女を想い、涙ながらに懇願する一人の母親の姿。


「……」

 美談となろう光景から、青は一歩身を引いた。



「榊准士」

 村落の北側から出て街道に踏み入ろうとするトウジュの背中へ、青は声を掛ける。


「あんた……あ、いや、一師。体の具合は」

「もし檀弓女史に遭遇しても、陽乃殿の居場所は伏せて欲しい。安否を知らぬと、言い通してくれ」


 あえて強めの語調で、青は単刀直入に切り出した。

 龍の位は職位における上士以上に相当すると換算されている。

 准士と、龍。不本意だが、その立場の差を利用してでもトウジュを口止めしなければならない。


「しょ、承知しました。でも、なんで」

「必ずだ」


 同世代の気安さが抜け切れていないトウジュの語尾を押しのけるように、青は強く畳みかける。

 う、と言葉を詰まらせた幼馴染に、青は言い聞かせるよう声を和らげた。


「檀弓女史にそのつもりがなくとも、些細なきっかけで陽乃殿の居場所が葦火の暴徒に伝われば、凪の難民村にまで押しかけてこないとも限らない。せめて彼女の正式な保護先が決まるまでは、少しでも火種になりそうな事態は避けたい」


 檀弓に対する漠然とした不安、不信感についての言及は避けた。

 それを裏付けるための確たる証拠は、まだ何も無い。


「た、確かに……留意します!」

 半ば苦し紛れだった青の説得にもトウジュは深く頷き、忠告を素直に受け止めた。


 まだ心的疲労感が顔色に残る幼なじみは、こうして再び炬之国へと戻っていった。

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