ep. 45 燻火の姫(1)

 近年、凪之国の両側を挟むように位置する五大国の二つ、炬之国と稲之国は情勢が不安定だ。


 特に炬之国においては州の一つ、篝(かがり)の州都で生じた反乱によって、篝州の長である州侯――陽乃の父親である――が失脚、政を担っていた一族も離散した。


 炬政府は国全体への延焼を避けるため、篝の反乱者たちを黙認している状態だ。

 あくまでも一州内でのみ生じた内輪揉めとして、自然鎮火を待つ構えであるという。

 下手に国が反乱を力で抑えつければ、全国各地で燻りが発火しかねない。


 それほどに、炬之国には不信からなる政情不安が蔓延していた。


 難民村への道中、元・篝州侯の陽乃姫はトウジュの背におぶられていた。

 栄養状態の悪いやせ細った体には、森を歩きぬくだけの体力がない。


 陽乃の告白によれば。


 件の護衛任務の後日、炬へ帰国してから間もなく父親が決めた相手と結婚したという。

 侍女の檀弓と共に州都を離れ、嫁ぎ先の地方都市、葦火(あしび)郡へ入った。

 親子ほど年の離れた相手だと思っていた婚約者だが、実際の相手はその息子であり心優しい青年であった。


 この事について陽乃は、

「その節は、峡谷様はじめ凪法軍の皆様には大変なご迷惑を……」

 と、己の我儘と勘違いが発端となった騒動を、いたく反省している様子である。


 そして嫁いで間もなく、州都で乱が発生したとの便りが届く。

 跡継ぎとなる息子と娘が生まれて、間もなくの事だった。


「炬之国内で反乱が発生したとは聞いていましたが、想像よりも酷い様子ですね」


 榊准士、と青が名を呼ぶとトウジュは青へ僅かに目許を緩めてから、再び厳しい面持ちで頷いた。


 炬之国の要請を受け凪は、主に国境線付近の救援協力のため、小規模隊を派遣、トウジュはその一人で、国境からほど近い町を中心に活動していた。


「ひでーもんだよ。州都での反乱が成功しちまったから、あっちこっちで蜂起だの革命だの」


 トウジュのこめかみが小さく震えている。心的疲労によるものだろう。誰も彼の言葉遣いを嗜める事はしなかった。


「革命ってのは名目で、ただの憂さ晴らしだ、あんなの。権力者や金持ちたちが吊し上げられて、よくわかんねぇ裁判で有罪くらって」


 拷問や処刑という名目の、暴力の見世物がまかり通っている。トウジュの使命はあくまでも「革命」に巻き込まれた一般市民の救援活動で、反乱そのものに干渉する事は範疇外である。


 理解していたはずだった。

 それでも、見知った人間が目の前で首を落とされようとしている様を、トウジュは放っておけなかったのだ。


 町で「州都から嫁に来た若奥様」について、様々な悪評がトウジュの耳に流れてきた。


 金持ちの権力者に嫁いだ世間知らずで我儘なお飾りの姫と、その浪費や男遊びを止める事ができないぼんくらな跡継ぎの若旦那。


 有史におけるあらゆる反乱の発端として、もはや聞き飽きた醜聞の典型だ。


 更には残虐非道の限りを尽くす悪女、災害や流行り病をもたらす呪われた女といった、根拠が皆無であろう愚劣な噂話も多かった。


「俺は……こいつがそんなやつだってどうしても思えなくて……」

「それは……」


 青は反応に窮した。

 かつて護衛任務において、動機だけを見れば望まない結婚から逃げたいがために少女が練った、稚拙な策略であった。


 だがその結果、その自己中心的な振る舞いが原因で凪側に重傷者が出たのは事実であり、トウジュ自身も負傷している。


「地位や権力を持つ責任とは結果が全て。無知や力量不足は言い訳にできぬ」

 殿を担うように列の最後尾を歩く紅鶴が、トウジュの背中へ諭す言葉を手向けた。


「本当に……本当に、仰る通りです……私が如何に無知で、幼稚であったか……」

 代わりに応えたのは、か細い声。

 トウジュの背中に預けていた細い体が、震えていた。


「夫は優しい人でした……でも、私が愚かであったばかりに命を落としてしまいました……子どもたちも行方が知りません……」

 家族を失い、自らの死をもってようやく理解する事ができたものの、全てが遅かったのだ。


 生気のないすすり泣く声が、凩(こがらし)に巻かれて消えていく。

 誰からともなく無言になり、枯草や枯れ枝を踏みしめる足音だけが続いた。


 完全に朽ちた道標の残骸を通り過ぎると、少しずつ土が均されて人道となる。


「……」

 森を抜けようとする道の先を見据えて、青は紅鶴の言葉を頭の中で巡らせていた。

 

 ――地位や権力を持つ責任

 ――無知や力量不足は言い訳にならない。


 紅鶴の言葉は全て、青への戒めにも聞こえた。

 青の指先が、無意識に手甲の龍をなぞっていた。



 それから獣や妖に遭遇する事もなく、一行は村落への入口へとたどり着く。


 以前と変わらず門も石垣もないが、凪の救援隊が急ごしらえで立てたであろう真新しい木の柵が、森と村落の境界線を描いていた。


 朱鷺と出会った頃にはあった家屋や納屋は半数が倒壊していて、辛うじて半壊にとどまっている家屋の軒下で、難民たちが冷風をしのいでいる様子が見えた。


「ここでは、身分が判る振る舞いは避けた方が良い」

 村へ入る前に、青は危惧している事を口にした。


「同意いたします」

 紅鶴をはじめ、一同が頷く。


 難民の中に、元州侯をはじめ、権力を有していた人物へ恨みを持つ者がいないとも限らない。

 凪との国境線にほど近い、葦火郡の暴動から逃れてきた人間も多いであろう。

 陽乃の名が知られている可能性は高い。


 それに、と青は外套の中で懐に手を差し込み、指先で紙片を取り出した。


「つい先ほど苦無で仕留めた蜥蜴の式符だ」

「式符……炬の法軍がを追手として式を放っていた可能性もあるという事ね」


 もし炬之国が陽乃を罪人として指名手配しているのだとすれば、義務として青たちは陽乃を引き渡さねばならなくなる。

 五大国間で結んでいる軍事協定の一環だ。


「でも、こいつは……」

 トウジュの声に焦燥が乗る。


「申し訳ないけど、それを決めるのは私たちではない」

 蓮華の事務的な声が、釘を刺した。


 トウジュの瞳に刹那、翳りがよぎる。

 陽乃本人は黙して俯いていた。


「だけどね」

 二人の前に、蓮華は自らの龍の紋章を翳した。


「少なくとも今の時点では、彼女は保護すべき対象だわ。私は薬術師、龍の位、蓮華。難民村についたら、あなたたちを診させてもらうわね」

「龍……」


 胡桃色の瞳を瞬きさせ、陽乃はしばし、その刻印を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る