ep. 45 燻火の姫(2)

 その町の広場には、粗末な処刑台が常設されていた。


 炬之国・篝(かがり)州・葦火(あしび)郡のその町は、五大国であればどこにでも見かける、典型的な地方商都であった。

 凪之国との国境線が近く、また維(い)之国からの交通の便も整えられているとあり、交易で富を得た権力者たちも多く住まう地だ。


 活気で賑わっていたはずの宿場町や花町が、今は反乱に乗じた我が物顔の悪漢たちを恐れてどこも店を閉じ、閑散としている。


 反して処刑台が設置されている広場周辺は、常に怒声や罵声や悲鳴が狂騒をなしていた。


 暴動の巻き添えとなった一般市民の救援のため、トウジュが所属する一隊はその町に入った。五大国間の協定による、他国支援の一環である。 


 トウジュらが町に入る数日前にも、処刑が行われたばかりであったそうだ。杉か檜か、皮を削っただけの白木材で組まれた舞台に、生々しい血汚れが染み込んだままで放置されていた。


「俺達の任務は、負傷した一般市民の救援活動「支援」、それだけだ。「アレ」は俺たちには関係ない」

 アレ――処刑台へ眉を顰める若手たちへ、隊長の特士は釘を刺す。


 この町で起きているあらゆる現象は、凪のあずかりしらぬこと。ただ負傷者や困窮者にだけ目を向けていれば良いのだ。


 だがどこを歩き回っていても、巷では次の処刑の話題で持ち切りだ。嫌でも耳に入ってくる。


「とうとう蜥蜴女の処刑が決まったな」

「明日か。見届けてやろうぜ」


 処刑台の側に設置された掲示板の前でたむろする町人らから、そんな会話が聞こえてきた。


「……蜥蜴女?」

 妖の類かと思ったが、噂話を統合してみれば、どうやら特定の人物を指す呼び名のようである。


 半日も町を歩き回れば、蜥蜴女がいかに悪女であるかを表す一通りの悪評が出揃ってしまう。その嫌われぶりは相当なものであった。


 しまいには自然災害、不作、疫病、貧困、害獣や妖被害の増加等々、町および周辺で起きるあらゆる災いがその女の呪いの仕業である、という事になっている。


 トウジュには不快感と疑念しか抱けなかった。


 ちなみに蜥蜴は炬之国にて広く分布し、妖獣妖魔も含め多種多数の棲息が確認されている生物だ。

 中型とされているものでも体長が人間をゆうに超え、肉食で凶暴である事が多い。また大型小型の区別なくその多くが毒を有している。

 ヌシ、妖獣、妖魔ともなれば龍に似た姿の種類まであるとも伝わっていた。


 そうした生態故に、忌み嫌われる存在の象徴として蔑称、隠喩に用いられてきた。


「蜥蜴女」は、炬において悪女や毒婦を表す最大限の侮蔑の言葉だ。



 蜥蜴女の公開処刑当日、トウジュらは否応なしに処刑台が置かれた広場へ向かわざるをえなかった。

 悪女の最期を見届けようと群衆が押し寄せ、怪我人も出ているためだ。


 興奮が渦を巻く人波の輪の外で、半ばトウジュは途方に暮れていた。

 転倒して群衆に踏まれてしまった者を引き上げたり、見物場所をめぐって始まったケンカの仲裁に入ったり、つぶれた酔っ払いを群衆から遠ざけたり――おおよそ人道支援とは名ばかりで、治安が悪い祭りの雑用とやる事は変わらない。


 更に気分が悪い事に、炬の法軍人と思われる兵らが全く機能しておらず、赤ら顔で祭り騒ぎに乗じている様子も散見される。


「何してんだアイツら……」

 根が熱血漢であるトウジュには、法軍人の職務怠慢が酷く腹立たしいものに映った。


「それにしても、とんだ転落劇だねぇ。州都のお嬢様が、こんな辺鄙な田舎でさぁ」

 遠巻きに処刑台側を覗いている女たちの、下卑た噂話が流れてくる。

「首が飛んだ後はいつもの、山蜥蜴の谷に捨てられるんだろう?」


「……」

 トウジュは聞こえないフリをした。

 この町の人間は、悪口と噂話しか娯楽が無いのかと疑いたくなる。


「州長のお姫様も、こうなっちまったらただの獣の餌ってわけだね。いい気味だ」

「篝の州侯一族も失脚して行方知らずだって言うし、本当に呪われてるんじゃないのかい?」


「……え」

 踵を返しかけたトウジュの足が止まった。

 勢いのまま振り返ると、ケラケラと笑っていた女たちはその剣幕に驚いて逃げて行く。


 篝州侯の姫、と確かに聞こえた。

 トウジュの記憶に当てはまる人物が、ただ一人いる。


「来たぞ!」

 にわかに場が湧いた。


 視線を上げれば、処刑台に女が引き上げられようとしている。

 ボロの囚人服を着せられ、体の前で縛られた手首から伸びた縄を、刑吏役の男が引っ張っていた。


 媚女だ、淫婦だのと群衆から怒号や野次が上がる中、舞台の真ん中に立った女は、長い髪を掴まれて上向かされる。

 露わになった顔は痩せこけ、瞳から生気が失われているが、トウジュの記憶と面影が合致した。


「やっぱりあいつ……!」

 名前は即座に浮かばなかったが、護衛任務の時の面持ちは思い出せた。


 峡谷上士を前に浮かれていたかつての乙女が、今は目の前の処刑台上で髪をざんばらに切られている。

 細い首が露わになり、倒されるがまま首切り台へ上半身を伏した。


 トウジュは混乱していた。


 あいつは本当に、あんな目に遭って当然であるような悪い事をしたのか。 

 首を切られ、遺体を谷に捨てられて獣の餌になるような事を。


 ぐるぐると思考が高速で巡る中、刑吏の刃が振り上げられ、トウジュの手が腰の投擲武器に触れ――


 そんな時だった。


「!」

 突如、乾いた破裂音と共に処刑台付近から白煙が上がる。


 異変を察知した刑吏が武器を下ろした直後に、続けて二発目、三発目と連続して、あっという間に処刑台を中心に広場が煙幕に包まれる。


「誰が……あーーっくしょう……っ!」

 気が付いたらトウジュの足は、地面を蹴っていた。



 一寸先も確認できないほどの濃煙が広場を包み、酒が回っていた炬の兵たちは風術を使う事も忘れて慌てふためいていた。


 トウジュは白霧を突き進んで処刑台へ上がり、しゃがみこんで咳き込む陽乃の体を担ぎ上げる。

 陽乃からは、驚く声も抵抗もなかった。


 その後は陽乃を外套に包んで抱え、広場を抜ける。

 町を出て森に入ったところで蜥蜴の式に襲われ、無我夢中で北上した。


 そして凪の領地――滴りの森へと逃げ込んだところで、青たち凪の技能師一同と遭遇するに至ったのである。

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