ep. 44 再訪、滴りの森(2)
「はい、獣除けと、虫除けと、えーっと、えー……っと……」
難民村へ続く森林道で、鹿花は言葉に詰まった。
妖や賊が潜んでいないかを確認しながら進む道中に、青が提示した「難民が集まる場所において、毒術師ができる事は何か」という問いへの解答だ。
「紅鶴佳師は」
「――は」
分かってはいたが、問いを振られても紅鶴はいっさい慌てた様子を見せない。
「獣や虫と同じくして賊除けの毒罠も有効でしょう。それから難民の婦女子たちへ護身用に例えば催涙薬等、身を護る術(すべ)を与えるべきかと存じます。難民の中に、女(おんな)子どもらを狙う悪漢が存在するのも事実」
「そんな……逃げた先でも安心できないなんて……」
鹿花は両手で口元をおさえた。
経験の中で実際に目にしてきたであろう、紅鶴が語る詳らかな現実は、実績不足の若手には刺激が強かったようだ。
「鹿花佳師、今の紅鶴佳師の意見を聞いて、他に思いつく事はありそうかな」
青が再び問いかける。
視点を変えて考えてみよ、という意図を含んでいた。
「つ、つ、つまり、困っていることを解決する、という事ですね……」
まだ見ぬ難民村落を想像しながら、懸命に答えを探っているようだ。
毒術師三人の数歩前を、蓮華と出流の薬術師二人組が歩く。
こちらは出流が森に自生する植物を指さして質問を繰り出し、蓮華が答える一問一答を繰り返していた。
「はっ……!」
何か思いついたようで鹿花が両手を口の前で合わせる。
「難民村はきっと、衛生環境が良くないと思います。屑物や廃物を溶解するのは効果的でしょうか? それから……あ、食べ物や水も不衛生でお腹を壊してしまいますね……中和剤を元に何か作れそうな気がします」
「どうですか」というように鹿の面の目が、青を見上げた。
「毒は敵を害するためのものだけではないという意識を持てたなら、考え方としてはどれも正解だ」
「……はひっ」
青が頷き返してやると、鹿面の瞳が輝いた。
今回の若手帯同任務地の選択理由の一つが、そこにある。
妖や賊退治の他にも、技能師の知識や技術が役立つ可能性は広いのだと、実感してもらう事だ。
そんなやりとりをしながら歩き進めると、見覚えのある風景に出くわす。青は森林道脇の枯れ藪に顔を覗き込ませた。
「確かこのあたりに」
そこに、亀の甲羅に似た形状の岩が横たわっている。
小麦色の枯れ草に覆われた表面を軽く払うと、風雨に晒されて消えかけた転送陣跡が辛うじて残っていた。
「あら、そんなところにもあったなんて」
「使われなくなって、だいぶ時間が経っているようですな」
「何か気になる事が?」
真後ろから蓮華も顔を覗かせて、紅鶴が並び、大人たちの後ろで背伸びをする鹿花の隣で、出流は静かに様子を見ていた。
「失礼、つい懐かしくて」
この廃転送陣は、かつて青が保健士時代に参加した課外授業中の事故により、あさぎと二人で飛ばされた時のものだ。
「これがあるという事は――」
青は顔を上げて、朱鷺と出会った廃村の方向を見つめる。
「そうだわ、思い出した」
唐突に、蓮華が声を弾ませた。
「この先の村って、朱鷺一師が村落としをなさった所よね」
「えぇっ!」
今回も、最も大きな反応を見せたのは鹿花だった。
国抜け斡旋組織の根城となった村落を、短期間のうちに連続して落として組織を壊滅させた。
その快挙は近年の法軍任務史においても語り草の一つとなっている。
朱鷺の功績があったからこそ、シユウの要塞陥としの単独成功も一層、引き立つのだ。
「凄いです! そんな歴史的な場所へ赴くことができるなんて」
「ふふふ。なんとシユウ君は朱鷺一師……応龍様の一番弟子なんだから」
「ふぁあ!?」
この日、何度目かになる鹿花の怪音が響き渡った。
反応を面白がる蓮華の玩具にされている感は否めない。
青は蓮華の口を閉ざす事は諦めて、廃転送陣から踵を返して森林道へと引き返した。
自然と一行は再び、目的地に向けて歩みだす。
「な、な、なるほど、朱鷺応龍様の連続村落とし、そしてシユウ一師の要塞陥とし……繋がっているのですね、感動いたしましましました……」
青、紅鶴の二人が先頭を歩く後ろで、鹿花は蓮華を話し相手に、興奮が治まらない様子だ。
出流は始終、平静な――というより若干、引いた――様子で、同期のはしゃぎようを横目で見ていた。
連続村落としの一つ目が、実は偶然にも青と朱鷺の共同作業となった事実を知る者は、少ない。
当の朱鷺も気がついていたかどうかは、最期まで確認する事はできなかったけれど。
「一師」
隣から、紅鶴の声が問いかける。
わずかに顔をそちらへ傾けるとそこに、老熟の横顔があった。
「朱鷺応龍様……とは、一師にとってどのような御師匠であられたのでしょうか」
声と面持ちに、どこか影が差し込んだように感じる。
そこには触れず、青は再び前方へ視線を戻した。
「朱鷺一師は……」
朱鷺が応龍に上がってからも、青は一師の敬称呼びを続けている。
今や麒麟となったハクロが未だに藍鬼を一師と呼び敬う気持ちと同じなのかもしれない。
「私に毒の残酷さと可能性の両面、そして毒術師の責任とは何か……を教えて下さった」
青の答えに耳を傾けながら、紅鶴もどこか遠くの景色に想いを馳せているようだった。
「一師にとって、良き御師匠だったのですな」
答えが分かりきっているその問いへ、青はゆるりと頷く。
隣で紅鶴がわずかに、こちらを見やる気配がした。
お互いに無言になりかけたその時。
遠くで、枯れ枝を踏みつける小さな破裂音が連続した。
「……?」
「獣かしら」
誰からともなく音の方向へ首を傾けた直後だった。
乾いた裂断音が連続したかと思うと、十数歩ほど先の片側の斜面から森林道へ影が転がり出る。
その場にいる全員が一斉に構えた。
「ひっ!」と辛うじて鹿花も悲鳴を飲み込んで耐える。
「妖や獣の気配ではない」
いの一番に反応した紅鶴が、前方に構えた武器を下ろす。
その言葉通り、枯れ葉や枝が舞い落ちる中に姿を現したのは、濃紺の外套の男だった。
青たちにも見覚えのある、何なら青が今身につけているものと色違いの、法軍支給のものだ。
右手に何かを抱えているのか、左手だけで体を起こそうとしている。
「凪の……、逃げろ! すぐに追手が――」
叫ぶと共に人影は顔を上げた。
「ト……榊准士!?」
そこにいたのは青の幼馴染、トウジュだった。
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