ep. 44 再訪、滴りの森(1)

 森に入って間もなく、激しい破砕音が降ってきた。


「お下がりください」

「――え」


 青が反応するより速く、冷静な声が躍り出た。


『ギャアアアッ!!』

『キキィイイイ!!』


 幾つもの金切り声がしたかと思うと、目の前に降り注ぐ枯れ枝や木っ端に混じり、次々と毛むくじゃらな肉塊が落下した。


「ひぃいいい!?」

「な、何??」

 鹿花が蓮華に抱きついて悲鳴を上げる。


 肉塊は血をあちこちに撒き散らしながら、岩や土に跳ね返って転がった。


「赤目猿ですな」

 地に転がる幾つもの獣の死体、その真中に紅鶴が降り立つ。右手の中刀、左手の短刀を体の横で一振りし、刃の血飛沫を飛ばした。


 気づけば出流も左手の刀を前方に構え、青、蓮華、鹿花を庇うように右手を横に伸ばして身を張り出している。


「お見事。助かった」

 青はそっと外套の中で、握り込んだ苦無を刃物差しに戻した。二人の反応の良さに驚かされる。


 投擲武器発動の速さには自信があったが、青が敵の姿を認識するよりも先に、すでに紅鶴によって切り刻まれていたのだ。刀筋がまったく見えなかった。


 やはりどう考えても、彼は只者ではない。


「何度かこの森には来たことがあるけど、こんな場所で妖獣に出くわすのは初めてよ」

 蓮華の指摘通り、転がる死体は猿の妖獣、本来は深山幽谷(しんざんゆうこく)に隠れ棲んでいるはずの種だ。



 今回の若手研修のために青と蓮華で選んだ任務は「滴りの森」での難民救援である。


 滴りの森は隣国・炬之国との国境付近に広がる森で、数年前に青があさぎと共に転送陣の事故で飛ばされた場所だ。

 不法に国抜けを行う人間と、それを斡旋する闇組織の潜入先として使われていた幾つかの廃村がある。


 豺狼と朱鷺により組織は壊滅、村落も空の廃村となっていたが、その村々が今は炬之国からの難民の寄せ場となっていた。


 近年の情勢不安定化により炬之国側に難民の送還を行う余力がなく、国境を越えてしまっている以上、凪が動かざるを得なくなったのだ。


「難民村はこの先なのですよね……ぅぇ、難民の皆さんは大丈夫でしょうか、村が妖獣に襲われていないか……っぅう、急がないと」

 漂う獣臭にあてられてか、鹿花は片手で鼻をおさえて軽くえずいている。


 難民を狙って妖や賊らが呼び寄せられ、凪領内にまで秩序の乱れが拡がる懸念、その兆候が到着早々に垣間見えてしまっていた。


「村の方は凪の援助隊が任務にあたっているから、焦らなくても大丈夫だ。それより道中を警戒した方が良い。この猿達も、排斥本能が働いてここまで下りてきた可能性もある」


 答えながら青は懐から符を取り出し、目前に転がる猿たちの死骸に向けて放った。空になった手のひらを返す動きと共に現れた水蛇が、青の手から放たれて符を飲み込む。


 濃緑に染まった水蛇は青に従い、悪臭ごと死骸を次々と飲み込んでいった。青が拳を握ると蛇は墨色に転じ、死骸を取り込んだ体をとぐろに巻いて球体となる。


「散」

 最後に更に強く青の拳が握り込まれると、黒色の水泡が変質し涸れた沼底のようにひび割れた。


「ほわぁあ…?」

 頭の天辺から抜ける奇妙な音を漏らす鹿花の目の前で、握り込んだ青の指が一本、また一本と開かれていくにつれて黒い水蛇だった物体は砂となり崩れ落ちる。


 そして微弱な風に吹かれ消散――黒い砂粒と共に、死骸も悪臭も消え去っていた。


「ぷはっ、助かった~臭いが消えたわ」

 小ぶりな鼻を指先でつまんでいた蓮華が、止めていた息を大きく吐き出した。


「やっぱり臭いの素から消すのが正解ね」

「臭いの粒子を中和する毒草もあります」

「え、それ今度教えて。強い臭いで上書きするのは好きじゃないの」


 消臭議論を始める二人の龍の横へ、


「一師、今のは六花なのでしょうか。何か術を用いて応用をされていたようですが」

 問いかけながら、紅鶴が歩み寄った。自身には返り血の一つも付着していない。


「僕もあのような処理を、見たことがありません」

 出流も遠慮がちに加わった。

 蓮華の背後に控えているように努めているが、彼もまた、ただならぬ新人であるように思える。


 一方の鹿花は、やはり「ふぇえ……えぇ……?」等の怪音を漏らしながら、死骸が消え去った跡の土を確認していた。


「使った符は六花だが、早急が求められる時は、今のように水術を併用する事がある」


 青が解説を始めると、地面に這いつくばっていた鹿花も、青を囲む輪へ足早に合流する。


「ただ、これはまだ道具や薬品に落とし込めていないので、あくまでも私のやり方になってしまうけれど」


 失敗する可能性が高いので安易に真似をしないようにという前置きを添え、神通術を組み合わせる事によって、毒物や毒薬の効力や威力や利便性を引き上げる事ができる旨を説いた。


 鹿花は口を半開きにしながら手元は高速で手帳に青の一言一句を書き込み、その勢いを出流が隣で引き気味に眺め、蓮華は「治療にも応用できるかしら……」と長考に入る。


 その中で紅鶴は、変わらず淡々と頷いた。

「無詠唱で水蛇を顕現させておられましたな。符を手にしてからの一連の動きに一切の無駄がなく、お見事でした」


「……あ、ありがとう」

 腕が攣るほど練習したから、という事実を青は口に出さなかった。


「我らのような未熟者からすれば如何にも容易く感じてしまうものですが、行うは険し。技術が血肉となるほどの不断のご努力の賜物。感服いたします」


 青には受け止めきれないほどの賛辞の裏側に、紅鶴自身の戦闘能力を裏付ける苛烈な訓練と修練の経験、そして――


「あ……」

 水を浴びたかのように鹿花が刹那、肩を縮ませた。

「仰るとおりです……! 血の滲むほどの努力なくして実りなし、とはまさにこの事」

 紅鶴の言葉の裏にある、釘をさす意図に気が付いたのだ。


「……そう、だな。場面を想定しながら、同じ動きをとにかく繰り返して、慣らすしかない」

 努力の過程を示す事も時に必要である、若手育成とはこうするものだと、諭されている事に、青も気がつく。


「片付けが終わったようなら、進みましょう」

 話の流れが途切れたのを見計らい、蓮華が声をはさんだ。


 凪の冬には珍しい、湿度のある生温い風が、一行の足元を撫でていった。

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