ep. 43 水蛇草問題(3)
七重塔に隣接する任務管理局の構造は、待機所、休憩所、待合所を兼ねた玄関の広間が吹き抜けとなっていて、中央が一畳分ほど切り取られ常緑樹の園芸種が地植えされている。
今は寒梅のような淡紅色の小さな花をつけていた。
「シユウ君!」
玄関へ足を踏み入れた青を、花の向こうから手を振る人影が出迎えた。
法軍人は黒、文官の衣は白を基調とする事が多い中で、鮮やかな蓮華色の外套は目立つ。頭から爪先までほぼ黒尽くめの青と、対照的だ。
「蓮華一師、お久しぶりです」
寒梅の脇を通り抜け、青は久々に顔を合わせる蓮華の前に歩み寄り、会釈する。
広間の壁沿いに置かれた長椅子に座っていた法軍人らが、高位技能師二人を振り返った。
「応じてくれてありがとう、シユウ君、あ……ごめんなさい、もう一師とお呼びしないとね」
「いいえ、ぜひこれまで通りに」
「そう?」
薄紅を引いた唇にのった微笑は、すぐに哀傷に変わる。
「朱鷺様の事、聞いたわ」
「……はい」
向き合う二人の龍の間を、刹那の沈黙が通り過ぎた。
「――頑張りましょうね」
薄紅が再び綻ぶ。
感傷を曳くよりも、今は前へ。
そんな蓮華の激励が感じられた。
「さて。さっそく紹介するわね。薬術の有望株よ。出流(いずる)くん」
蓮華の影から獣が顔を出した――かに見えたそれは、狐か狼か、尖耳の獣を象った半面だった。半面は、目と鼻までを覆っている。
人影は一歩、蓮華の傍らに踏み出す。
体つきはまだ細身の、十代と思われる少年が、青へ丁重に礼をした。
半面と一体になっているらしい鶯(うぐいす)色の頭巾で頭部全体を覆い、後頭部に垂れた布を織り込んで結び、余った布が鉢巻のように肩まで垂れて揺れている。
「薬術師、狼の位、出流と申します。お会いできて光栄です、シユウ一師」
折り目正しい、落ち着いた挨拶だ。
見た目の印象よりも、だいぶ大人びている。
そういえば以前に蓮華が「可愛い男の子の弟子が欲しい」と話していた事を思い出した。
「毒術の龍、シユウだ。よろしく」
一般的に、畏まった場を除いて、技能職間で上位者は下位者に略称を名乗り、下位者から上位者の場合はその逆が礼儀とされている。
「えっと……、いたいた」
出流への自己紹介を終えて、青は周辺へ視線を巡らす。青の左手側の壁に背をつけて立っていた小柄な人影が、青の視線に気づいて駆け寄ってきた。
薬草園で遭遇した鹿の半面の毒術師、鹿花だ。
若い子の間で、獣の半面が流行しているのだろうか。
「ど、どどど毒術師、狼の位、鹿花、参りました。こ、このたびはお声がけをたまたま賜り――」
何度もつっかえながら慣れない堅苦しい挨拶をする姿は、出流と対照的だ。
「薬草園でも会ったね。改めて、よろしく」
「はふぁ」とまた不思議な音を漏らしている鹿花を、蓮華と出流は生まれたての小動物のごとく見守る。
「毒術はもう一名……」
再び青は待機所を見渡す。
紅鶴と思われる若者の姿が見当たらない。
そこへ、
「失礼いたす」
と低く落ち着いた声。
青の右手側、寒梅を囲む半円の長椅子から、人影がゆったりと立ち上がった様子が見えた。
見ると、黒い角頭巾に、黒い覆面を装着した壮齢――五十代ほどと思われる――の、小兵ながら尋常ならざる空気をまとう男が、青へ会釈を向ける。
「あ……騒がしくしてしまい申し訳ありません」
見覚えはないが、高位の技能師であろうかと青も頭を下げ、蓮華も小首を傾げながら会釈、倣って出流や鹿花も頭を下げた。
「小生は毒術師、狼の位、コウカクと申します」
男は簡潔に自己紹介をした。
誰も声には出さねど、その場にいた全員が「え」の形に口を開ける。
「コウ、カク……、紅、鶴、あ」
べにづる、ではなかった。
確かに男の手の甲には、狼の銀板が初々しく輝いている。
「ほ、ほら、技能師道って年齢や性別は関係ないのよ」
先に我に返った蓮華が、出流と鹿花の十代二人へ豆知識を授けていた。さすがの反射神経だ。
蓮華の言う通り、技能資格や師道に年齢や性別による制限や区別は無い。
本職の熟練者が更なる精進のために、または本職で体力や年齢的な限界を迎えた後に第二の人生として、新しい分野に挑戦する事はそこまで稀でもない。
「し、失礼いたしま……っと言うのもおかしいか……」
青は少しの狼狽と共に視線を逸らす。
想定外の出来事で、明らかに只人ならぬ佇まいの、倍以上の年齢を重ねているであろう下位者への接し方が、分からない。
出流や鹿花の前では取り繕えていた「威厳」とやらのハリボテが、どこかへ吹き飛んでしまった。
そんな青の横顔へ、
「シユウ一師、御指南を賜る機会を頂けました事、大変光栄に存じます」
誰よりも丁寧に、頭を低くし、紅鶴は青へ礼儀を尽くす挨拶を向ける。
「え……う……毒術の龍、シユウ……、だ。こちらこそ……」
「不自然すぎるわ、シユウ君」
背後から蓮華の小さな失笑が聞こえた。
「そちらは、薬術の蓮華一師でいらっしゃいますな。ご一緒できます事、この上なく心強く思います」
紅鶴の挨拶に「あら」と蓮華は気を良くしている。
年長者に対しても堂々とした上位者たる蓮華の態度に、青は感心した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます