ep. 43 水蛇草問題(1)
「シユウ一師がしばらく凪に留まるらしい」
下位や若手毒術師らの間で、その噂はにわかに旬となっていた。
「これこれ」
「本当だ……」
蟲之区の工房の間の片隅で、数人の技能師たちが足を止めている。
そこには小さな書棚と掲示板が設置されていて、技能師同士のちょっとした交流に用いられていた。
書棚には使い古した資料や余った素材が包みに入れて置いてあったり、掲示板には情報交換や共同作業の呼びかけなどの求人が貼られている。
その中の一つへ下位の毒術師たちが、張り付くように顔を近づけて凝視していた。
求 任務同行希望者
条件 毒術師 狼もしくは虎の位
下記の解答にあたる現物を
提出した者に限る
眠り薬の材料として使用できる
水蛇草
人数 先着若干名
提出先 毒術師 龍の位 シユウ
募集主 毒術師 龍の位 シユウ
募集内容は以上であり、募集主の記名の隣には、龍の朱印が押されていた。
実質上、これは高位毒術師との任務同行権利を争う、選抜試験の告知だ。
「水蛇草が課題? そんな初歩的なやつで?」
「でも水蛇草って、傷薬の材料だよな」
若い毒術師たちは顔を見合わせる。
水蛇草とは、凪之国に自生する固有種の一つである多年の薬草だ。
国内全域で見られる草で、すり潰してこねると傷に効く軟膏となる事から、ドクダミに並んで家庭薬として広く一般的に知られている。
ただし熱に弱いため、煮たり干したりといった調合ができず、傷薬以外での用途は無いとされていた。
「謎かけか」
「暗号か」
掲示物を見た毒術師たちは首を傾げながら、工房の間から出ていく。文献を求めて資料室へ移る者、心当たりの場所へ向かう者とそれぞれの行動に移っていった。
*
若手の毒術師たちがシユウの課題に右往左往している一方その頃、青は医療士・大月青として三葉医院を訪れていた。
「そっかぁ……残念……本当に残念だなぁ…」
三葉院長は、膝の上に置かれた青の片手を両手でとると、痛いほどに握り込んだ。
「三葉医院では本当に多くのことを学ばせていただきました。これまでも我儘を通して下さり感謝しています」
感情を隠さない上司に手を握らせたまま、向かい合う椅子に腰かけた青は深々と頭を下げる。
院長の執務机の上には「退職願」としたためられた書状。青の筆によるものだ。
高位技能師の多くが、表の顔での職との両立が困難になり、いずれかを選択しなければならなくなる。
青も、その時を迎えていた。
かつて獅子に上がった際に、正職員から臨時職員に身分を変える降格願いを提出し、しばらくは院長の厚意により何とか両立を保っていた。
だが課題が山積する毒術師道の現状から龍としての責任を自覚した今、潮時を悟る。
「たまに顔を見せに来てね。絶対よ」
三葉院長は多くを尋ねなかった。詮索はご法度であり、酷く野暮な事でもある。
青の決意を受け入れ、快く送り出す事が最高の餞別となる事を理解していた。
「三葉先生…」
黒曜の瞳をうるませかけた青へ、三葉院長は肩をすぼめて悪戯な顔をする。
「大月君じゃないと言うこと聞いてくれない頑固な患者さんって、まだまだ多いのよ。「院長の茶のみ友達」という名の名誉職って事にするから、本当に遠慮なく遊びにきてね」
「ふはっ」
感傷的になりかけた空気を、三葉院長はいつものように冗談で振り払う。
「ありがとうございます。はい、必ず」
最後まで姉御の気風の良さに元気づけられ、青は清々しい気持ちで医院を後にする事ができたのであった。
*
大月青として一つの区切りを迎えた翌日、青はシユウとして七重塔の一角にある、高位技能師の詰所へ赴いた。
詰所は獅子以上の技能師たちが利用する専門事務局であり、北東に面した大広間を幾つかの仕切りで区切って職種別の事務室としている。
面積の半分を占める空間は会合の場ともなり、残りの小部屋には職種ごとに専任の文官が常駐して、高位者向けの各種手続きや、重機密資料類の厳重な保管や書状預かりも行ってくれる。
青が蟲ノ区に掲示した課題の提出物も、最終的にこの詰所に行き着くのだ。
「シユウ様へのお届け物は…特にございません」
文官は青の問い合わせを受けて受取箱を覗き、首を横に振った。
「さすがに昨日の今日じゃ気が早かったか」
空振りに終わって詰所を後にする。
募集に記載した試練の出題意図は、経歴や実績ではなく、毒術師としての気概を計るものだ。
「眠り薬の材料として使用できる水蛇草」とは何か。
水蛇草は凪の全域で見ることができるため、傷薬の原料と知らない人にとっては雑草として認識されている。
それほどに平凡な存在であるが、特定の環境、条件下で、稀に変異する事があるのだ。
変異した水蛇草は薄青や白く色素が抜け落ち、その色味から「氷蛇草」と名付けた文献もある。
効能も変化し、葉をすり潰すと垂れ落ちる葉液は神経毒の原料となる。
ただし毒性は非常に弱いため、その特性を活かして睡眠薬の原料となったり、痛み止めにも使えるのだ。
初歩的な薬草であるからこそ、変異種を目にすれば珍しく感じるはず。
青も幼少の頃に森の植物を全て覚えようと散策を繰り返す中で、変異種の存在に気づいた。
今回の課題では「現物提出」が必須となっている。
文献を漁れば知識を得るのは容易いが、それでは不十分だ。
普段から周囲の植物や生態系を気に留め、観察する意識があれば、すぐに自生している場所の見当がつくはずである。
まだまだ行動範囲が狭い、狼の位にも採取が可能な物を選んだつもりだ。
「どれだけ応募があるかな」
もし応募者が皆無であったら、豺狼に泣き言を聞いてもらおうと思う青であった。
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