ep. 42 冬凪の龍(3)
「……?」
書架側から聞こえた物音へ顔を向け、何事も異変が無い事を確認してから、青は再び手元の資料束へ視線を落とした。
それは、この一年以内に虎以下の毒術師が携わった任務報告書の写し。
お偉方からの「自分の事で手一杯」という非難が思いのほか胸に応えていた。
省みれば、高位とされる獅子に昇格して以降、若手や後輩に目を向ける余裕を持てずに、特権を自分のためにしか活用していなかったのだ。
師たちにあって、自分に足りないものの一つ。それは後進指導、すなわち毒術師道の持続性と発展への貢献である。
こうして資料を眺めていると、改めて気付かされる。
知っている下位や若手の毒術師の名前がほぼ、無い。
「下の人脈が皆無って、僕サイテーでは……」
青はひとり落ち込むが、不可抗力な面もある。
毒術師が人材不足である事や、青が若くして短期のうちに昇格を繰り返してきたために、同列や下位との交流を育む以前に上との繋がりが増えた事、その高位の間でも明らかに年少である青自身が常に下っ端の立ち位置であった事、等々。
上だけを見て進み続け、ふと頂点手前に辿り着いて辺りを見渡すと、そこには誰もいなかった――。
「朱鷺一師もこうやって、僕を見つけてくれたんだよな」
何から始めれば良いのか当惑していたところ、まずは師を模倣してみる事にした、というのが今だ。
時機が好い事に、西方開拓任務においてはしばらく青が出張る必要性は無さそうである。
豺狼が蟲之区へ青を訪ねてきたのもそのお達しを伝えるためだった。
蒼狼ノ國は――
狼の背骨を睨む要塞が機能不全、東との交渉役を担っていた高官が死んだ事で、以東政略が頓挫している状態が続いている。
凪の長の目論見通り、時間稼ぎに成功していた。
白狼ノ國は――
蒼狼が停滞している隙に白狼王は、凪へ使者を送った。長に宛てた書状を携えて翡翠の陣守村を訪ねたのは、白狼王の十五子、狩莅。そして二十五子の、狛。使者が王の実子とあり、白狼側の真摯さがうかがえるものであった。
書状は速やかに長の手に渡り、上層部で精査中である。
白兎ノ國は――
獣鬼隊との関係性の構築を任されている菊野上士からの報告によれば、獣鬼隊と共に白兎及び周辺国での妖討伐は順調で、徐々に鏡花や子どもたちとの信頼関係を築く中、神通術を用いる上位組織の存在は確実であり、幾人かの強力な神通術の使い手が幹部に存在しているようである、というところまで聞き出せていた。
こちらは当面、活動を継続していくようだ。
といったように、折しも各方面が経過観察もしくは現状維持の状態である。
また、北回り経路地――白兎以北、以西の気候特性や風土は元来が厳冬で、極寒気候に不慣れな凪の法軍人らに冬季の経路開拓は得策ではない。
以上が、豺狼から告げられた報告だ。
こうした状況から当面、毒術師シユウには凪周辺に留まるよう、上層部より指示が出されたのである。
そして話は、青の手元にある大量の任務報告書の束に戻る。
凪に留まる冬の間は、朱鷺のように指名権を行使し、凪周辺での高難易度任務へ若手を帯同してみようかと考えたのだが、
「……選べない……」
束の半分ほどまで目を通したところで、青は机に突っ伏した。
未だに己の未熟さに苛まれる日々であるというのに、どうして人を選ぶなどとおこがましい事ができようか。
「だいたい「珍獣」に指名されて嬉しいのかな」
顔をあげて姿勢を正し、寒々とした枯れ庭を映す窓を眺める。思い起こすのは、初めて朱鷺に指名された日のこと。
素性を見破られたのかもしれない、という恐怖が先んじたものの、次に湧き上がったのは高揚感だった。
新米狼から見れば遥か高みにいる、龍の位を持つ存在の目に留まった。
まずその事実だけでも身震いを覚えるものだ。
任務で再会した薬術の蓮華二師(当時)から「二度目は無い」と焚きつけられた時は、一度で飽きられてたまるかと躍起になったものだった。
「……」
視線を窓の外から、手元に戻す。机の上に置かれた手の甲に光る、龍の紋章が目に入る。
「……龍に価値がある…か」
幼い頃に耳にした藍鬼の言葉に、今は強い共感を覚える。
神獣への畏怖になぞらえて、傲りへの戒めとし、初心と謙虚さを忘れない心の在り方を表すもの。
その裏には、高位が持つ至重な価値が持つ重責、しがらみから心を保つ意味もあるのではと、青は思う。
「そうだ。望まれているのは、僕じゃない。この龍の位」
そう考えれば、心が軽くなった。
改めて資料をめくる手を動かし始める。
狼の場合は解呪役として任務同行して可も不可もない評価である事が大半で、虎となれば戦闘補助や遺骸処理、毒罠の設置などで貢献度は上がってくる。
「任務との出逢いも、ご縁と運次第ってところがあるしなぁ…」
評価だけの統計をとって判断するのも、一概に正解とは言えない。
朱鷺のようにとにかく数を打って行くのも正解の一つであろう。
「良いこと思いついた!」
頭をよぎったひらめきを形にすべく、青は白紙を手繰り寄せた。
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