ep. 42 冬凪の龍(2)
凪之国の冬は、心地よく乾いた晴天が続く。
特に都は、嶮山の峰々が雪雲を遮り、降雪が少ない。時おり吹き付ける冷たい乾風を除けば概ね過ごしやすく、この季節を好む民は多い。
冬晴れのある日。
蟲之区の一角で、シユウの姿が目撃された。
資料室区画の中央で螺旋を描く書架を通り抜けた先の、窓に面して規則正しく並ぶ机、その席の一つに座り資料の紙束と睨み合っている。
「一師だ……」
「え、どなた?」
書架の影から二つの影が窓側を覗いていた。
一人は頭巾、一人は支給品の覆面を身に着けている。
「毒術のシユウ一師」
「ああ…、あの「幻の珍獣」と言われてる?」
「しーっ!」
学校を卒業したてのような若い二人の技能師が、声をひそめながらも、小動物がじゃれ合うように体を押し合いへし合いしていた。
その後ろから、長い影が書架と技能師たちの間をすり抜けようとしている。
「後ろ、ごめんね」
高い位置から降る、低い声。
「す、すみません」
「申し訳ありません」
慌てて技能師達が道を空けた脇を、長身がすり抜けた。
「一師」
しなやかな後ろ姿が、シユウに声をかけながら窓際の席へ進む。
「峡谷上士」とシユウが顔を上げた。
「峡谷豺狼上士…!?」
書架の影に身を隠した二人の技能師は、意外な二人の思わぬ会合の場に出くわすという希少な状況に色めき立つ。
観察を続行する二人の視界に、机を挟んで向き合う二人が爆笑している様子が映った。ところどころ「珍獣」「幻」という単語が聞こえてくるので、どうやら技能師二人がしていた噂話を、峡谷上士がシユウ本人へ告げ口したようだ。
シユウの「幻の珍獣」呼ばわりには理由がある。
獅子の位へ昇格した頃からシユウの名は、本人の預かり知らぬ所で若手や下位の毒術師たちの間で音に聞こえていた。
だが獅子への昇格後に間もなくシユウは外つ国への長期任務に旅立ち、稀に帰還した際にも公に姿を現す事なく、何処かに身を潜めている事が多い。
気がつけば毒薬目録にその名が増えており、あまつさえ単独で要塞陥落任務を成功させたとの武勇伝も流れてくるなど、名を目や耳にするものの、本人の姿はほぼ都で目撃される事がない。
結果、陰でついたあだ名が「幻の珍獣」という訳である。
そこから、峡谷上士が何やら小声で報告をしている様子で一方的にしゃべり続け、合間にシユウが頷き返しているうちに半刻ほどが経過した。
次にシユウが手元の紙資料をいくつか手にとりながら、二回ほど首を傾げる。反して峡谷上士はどこか楽しそうだ。両者間の雰囲気の変化から、本題は終わって雑談に転じているようだ。
「あのお二人が仲良しだなんて知らなかったぁ」
「楽しそう。何の話してんだろう」
若手技能師の二人は物珍しい光景に目を見張りながら、同時に耳を澄ませた。
雑談の時間は長くは続かず、間もなく峡谷上士が席を立つ。去り際にシユウを振り返り「また式を飛ばすよ」と告げ、シユウが「冬の間は凪周辺にいるので」と返し、その場はお開きとなった。
峡谷上士は往路と反対側の通路へと抜けて、資料区を去る。残ったシユウは再び紙束と向き合いはじめた。
「すごいなぁ、やっぱり優秀な人同士で仲良くなるんだね」
頭巾の技能師は「かっこいい~」と、まるで舞台に見惚れるようにはしゃいでいる。
一方で、
「大変だ…」
覆面の技能師は、ただ事ならない様子で背をただし、直後に踵を返して出口側へ書架から抜け出した。
「え、ど、どうしたの??」
きょとんとする頭巾の技能師の声が、その背を追いかける。
「……?」
書架側から聞こえる騒音に、シユウがふと顔を向けた事に二人とも気が付かないまま、再び一帯は静寂の中に落ち着いた。
「冬の間は凪にいる」
この何気なく発したシユウの一言がこの年の冬、凪の毒術師道界隈を騒がせる事になるとは、本人が気が付く由もない。
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